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春の章その15



 『次の話題です。昨日、アメリカ合衆国からの親善を兼ねた表敬訪問を目的として、アメリカ海軍の大型艦が神奈川県三浦半島沖に到着しました。この大型艦はアメリカ軍が新規に建造した軍艦であり……』




 佐世保市街地から離れた"隠居岳(かくいだけ)"の北の山里の一角にある平屋の住宅「水梨邸」。

 その庭に接する建物の縁側で、東雲いづるはごろ寝しながらラジオを聞いていた。

 娘である美鶴が学生寮に入って以降、彼女が通う山の上の学校に様子をこっそりと見に行く事はあったが、大抵は保健室に(たむろ)しては、そこの主である石田小百合と茶飲み話をするなどしていた。


 しかしこの日は学校に様子を見に行くでもなく、家でごろごろしていたのである。

 この時、家主である水梨伊鈴は山に入って山菜取りをしていた為に不在であった。

 そうして何もやる事なくラジオを聞いていたいづるだったが……



『……ん、そよ風? それにこの気配……』



 不意に身体に触れた風を感じたいづるは、同時に来客がある事を察した。

 そして、縁側で横になってた身体を起こして"気配の主"の方に視線を向けた。

 そこには一人の人物……女性が立っていたのであった。

 いづるはその人物を見るなり『……んぁ、誰かと思えば"風の姐さん"じゃん。』と一言発した。


 この時、いづるの前に現れた人物。

 それは"先代"の風の鬼の王、その人であった……




「やあ、久しぶりだな東雲。君がこっちに帰ってきてるのを風が教えてくれてね。ちょっと不肖の弟子と別行動をとって会いに来たよ。」


「ありゃ、そういう事か。相変わらず風が云々とか言って不意に現れるのは何時もの事だけど……まあ、客として来たなら歓迎するぜ?」


「そうしてくれると助かる。……水の、いや伊鈴殿は不在か?」


「婆さんか? 今は山に入って山菜取りしてるぜ。今夜は山菜料理でアタシとしては少し避けたい食材があるけどな。」


「ふっ、君の事だ。どうせ近くの川で捕れる河魚あたりの事を言ってるのだろう? 昔から魚介類系統は君が一番苦手としている食材だからな。」


「悪かったな、苦手で。あんな無駄に小骨がある食材とか、食い難い事この上ねぇんだよ。せめて圧力鍋とか使って骨をボロボロにでもしてくれたなら……」


「食い易いか。やれやれ、そういう子供っぽいところは変わらないな。……不肖の弟子の、更に弟子も似た口だが。」


「不肖の弟子の更に弟子? 不肖の弟子って、確か今の風の鬼の王をやってる"澄風(すみか)"だったよな? へぇ、アイツが弟子取ってるのかよ。」


「ふむ、澄風の弟子だが、あくまで弟子だ。決して次代の風の鬼の王候補という訳ではない事を予め言っておくぞ?」


「次代の王候補じゃないって……澄風自体若いだろ。それが候補じゃない弟子を取ってるってどういうこった?」


「うむ、実は色々事情……というべきか? 真相を知ったら大した事ではないと君は思うかも知れんが、実はだな……」




 そこまで言うと、先代は一気にいづるの隣に音もなく移動し、まるで風の囁きの様に耳打ちしてみせた。

 彼女の口から語られた話を聞いたいづるは、目を丸くしていた。

 そして、その口から出たのは……



『へぇ、なるほどねぇ……。道理で"居なかった"訳だ。』



 ……という一言であった。

 そんないづるの様子を見て、先代は『まあ、この事は先代の水の……美清の奴も承知している。知らぬはアレの妹君だけだろう。』と語り、続けて『とりあえずこの事は内密にな。あの妹君は姉である"美羽音"を敬愛していたらしいし、美羽音も妹君を溺愛していたからな。』と述べている。


 その話を聞き、いづるは『へぇ、あの妹……ねーちゃん敬愛勢ってヤツだったか。そして"みは公"も……。姉妹で相思相愛ってのは悪い話じゃねぇが、仲が良すぎるのも考え物だな。』と告げると、先代も同意していた。






 その後、両者は最近の互いの近況報告を交えている。

 話をしている内にいづるが『あ~、話聞いてたらまたほっつき歩きしたくなってきたぜ。美鶴の周りが落ち着いて来たら、少しほっつき歩きしようかな?』と口に出すと、先代も『良いんじゃないのか? 君が一箇所に留まるなど、らしくないからな。美鶴嬢の件が落ち着いたらまた旅に出るのも君の自由だろうし。』と答え、いづるの意思を尊重する旨を告げた。


 もっとも、いづるは同時に『しかし、美鶴の周りが落ち着くのは何時の日になる事やら。今は少し静かになったけど……』と口に出している。

 それを聞いた先代は……



『ふむ、東雲の語り口を聞く限り、まだまだ安心できないと思っているようだな。美鶴嬢……あの"媛君"の存在を面白く思わぬ輩はまだ居るだろうし、そういう意味では東雲に安息の日々はまだ訪れまい。』



 ……と、心の中で思うのであった。
















 その日の午後、夕方というにはまだ日が空に在る時間。美鶴が通う学校の敷地の外側の森の中の片隅で、学生寮の守衛を務めている"山県那苗"と、事実上の弟子と化した"小蓮"の両人が"正体不明の影"を相手取り、大立ち回りをしていた。

 もっとも、積極的に動いていたのは那苗の方であり、小蓮はその動きを追う位置取りをしていたのであるが……



『突然違和感ある気配が現れて何事かと思ったのですが、この様な存在がいるとは聞いてませんよ~。だけど、こんな妖怪擬き私も見たことがない。世の中広いとはいえ、まだまだ私も未熟ですね……』



 ……という感想を持ったとか。

 そんな事を思う間も那苗の大立ち回りは続いており、正体不明の影は高速で動く那苗を捉える事すらできてなかったようである。

 那苗はその影の動きが鈍った瞬間を狙って手に持つ脇差し程度の長さの直刀を以て斬りつけている。

 一撃一撃は大した事ではないが、高速で斬りつける事を延々とやられては堪ったものではなかったのか?

 正体不明の影は咆哮を上げて那苗を押し潰そうとしたのであるが……



『威勢は良いが、自ら弱点なり急所を晒すとはな。そんな動きで私を殺せると思ったか?』



 那苗が斯く一言発するなり、影の視点から姿を消していた。

 影の側からすれば押し潰そうとしていた相手が目の前から消えた手前、そのまま地面に飛び込んで姿勢がうつ伏せ状態になってしまう。

 その瞬間、がら空きになった背後から、一気に突っ込んでくる小柄な人影があった。

 それは姿を消していた那苗であった……



『背後がガラ空きだぞ。戦場ではそれ即ち"死"に繋がると思え!』



 この一言を吐いた直後、那苗は持ってた短刀を影の背中に突き刺していた。

 普通、単なる短刀であれば自身の体躯の数倍の大きさの、ましてや正体不明の影を刺したくらいでは致命傷にはならない。

 だが、兎人族であり歴戦の兎人兵でもある那苗もまた"霊力"を扱える存在であった。つまり霊力を直刀に込めて突き刺した訳だからその一撃は極めて鋭い一撃となったのである。


 那苗の一撃を受け、正体不明の影はその体躯を維持出来なくなったかのように、まるで風に舞う灰の如く身体が崩壊していった。

 崩壊する影から素早く離れた那苗と、その那苗の側に駆け寄る小蓮。二人は影が完全に崩れたのを見て会話を始めている。




「那苗さま、お見事です。」


「当たり前だ。この手合いのヤツなんて何度もやり合ってるんだからな……楽勝ってものさ。」


「楽勝なんですか!? 私だったらとにかく逃げ回るしかできなさそうなのですが……」


「そりゃ、お前がまだ弱いからだよ。とはいえ、いずれはこの程度のヤツはお前ひとりで退治して貰わないとな。」


「うぇ!? 私ひとりでですかぁ!?!?」


「そりゃそうだろ? そのくらいできないと美鶴嬢のお守りなんてできないぞ? 少なくともあのいづるは出来てたみたいだしな。」


「あはは……。いづる様と比較されては何とも言い様がありません。」




 笑顔を見せつつ斯く語る小蓮を見て、那苗は『お前も守られていた側だからそんな風で済んでるんだぞ。だが、何時までも守られる側ではいられなくなるぞ?』と小蓮を見ながら思いつつ、更に……



『……しかし、この影。手応えからして"召喚術"か"使役術"を用いた"妖獣の影"を実体化した感じのヤツなのだろうな。これが本物だったら私ひとりで対応できたかどうか……』



 ……と、この様な事を思うのであった。

 その上で那苗は『まだ影の内なら手早く始末をつけられるが、本物が出てくるようならば"結界術"を使えるヤツも呼べるなら呼ばないとならないだろうな。流石に美鶴嬢を巻き込む訳にもいかないし。』と思い、気持ちを新たにするのである。


 そして未だに目の前の結果を見て笑顔を絶やさぬ小蓮に対して『おい、まだ終わりじゃないぞ?

 勝って兜の緒をしめろって言うからな。』と語りかけ、気を引き締めるように促すのであった……
















 正体不明の影を仕留めた那苗と小蓮の姿を、遥か上空から見る人影があった。

 それは当代の風の鬼の王である"澄風"と、今川美清の娘にして美紗音の姉でもある美羽音であった……




「ご当代、あの影は一体……」


「ふむ、どうやら"媛君"をつけ狙う輩が産み出した怪物……といったところかな?」


「媛君? この地に斯様な尊称で呼ばれる存在がいるのですか?」


「ん~、まあ居ると言えば居るな。美羽音が知らないのも無理はない。この話はかなり前から進められていた話でもあるのだから。」


「かなり前!? それって少なくとも……」


「少なくとも十年位前からだな。」


「十年位前……ではウチのお袋も知っていたって事ですか?」




 そう訊ねる美羽音に対し澄風は『ああ、そうだ。私達当代の王だけでなく先代の王も、先々代の方々も、皆知っている。

 知らぬは都で媛君を預けられるまで旅の空の下にいた東雲の奴と、当時幼かったお前など大勢の者だけだ。』と語っている。

 この話を聞き、美羽音は『う~ん、それなら確かに私が知らないのもやむを得ないか。』と述べ、一応は納得していたという。


 さて、そんなこんなで上空に留まっていた二人の元に接近してくる人影があった。

 それは先刻まで水梨邸にいた先代の風の鬼の王であった。




「ご先代、お戻りになられましたか。」


「うむ、先々代の水……伊鈴殿は不在だったが、東雲が居たので少し会話をしてきた。」


「いづるさんと会ってきたんですか! いいな~、顔合わせできたなんて。これなら先代さまについていけば良かった。」


「こら美羽音、今回はご先代個人の所用で赴いたのだぞ。我々が邪魔をするべきではないのだ。」


「まあまあ澄風、落ち着け。お前も本音は東雲の顔を見たかったのだろう?」


「えっ? いや、私は別に……」


「あれ? 当代もいづるさんに会いたかったんですか?」


「別に会いたくない訳ではない。ただ、今はお前という存在を預かる身。おいそれと勝手に動いて良い訳ではないのだ。」


「ふむ……澄風よ、お前が言わん事は解るが我々は風だ。何者にも縛られない自由の風鬼(かぜのおに)だ。今回は私の都合でお前達を待たせたが、次来る時は美羽音共々会いに行くがよい。」




 話の最後に先代がそう語ると、澄風も美羽音も揃って同じような反応を示していた。

 それは『今度は好きに会いに行って良いのか~。今日ではない辺り、お楽しみが少し延びたのは残念だけど仕方ないか〜。』という代物だったという。


 そんな語らいを成した後、三人は何処かへと気ままな風の如く瞬く間に飛び去って行ったのだった……






 ― つづく ―


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