春の章その9
学校の代表を務める旧友との再会やら美鶴に関する手続きやらを終え、学校の建物から出て校門の側まで歩いてきたところで、不意にいづるが立ち止まる。
急に立ち止まった、そんな彼女を見て、鈴鹿が『どうした? 急に止まるとは。何か忘れ物でもあったか?』と問い掛けている。
その問いに対し、いづるは否定の意を示しつつ『あ~、済まねぇが先に戻っててくれ。ちょっとヤボ用ができたわ。』と一言述べている。
いづるのその発言に"何かを感じる"鈴鹿ではあったが、いづるの様子を見て色々察した彼女は『……とりあえず火遊びは程々にな。ま、お前の事だから大事にはならんだろうが。』と告げると次の瞬間、身体の周囲に水が渦を巻く様に現れ彼女を包み込んだ。
そして、更に次の瞬間には鈴鹿はその場から姿を消していた……
『済まねぇな。まあ空気を読んだって事で感謝するぜ。……さてと、隠れてないでそろそろ出てきたらどうだ? 気配なり何なりで解るんだが?』
この一言を発したいづるだったが特に戦闘体勢をとる訳ではなく、更にその表情は……そんなに厳しくもなかったのである。
なぜなら、次に彼女の耳に聞こえてきた声と発言から、少なくとも敵ではない事が明らかだったからである……
『あらあら、久しぶりに貴女が戻ってきたのを感じ取ったから会いに来たのに、随分と素っ気ないのね。まあ、それが貴女の良いところなんだけどね~。』
……その直後、いづるの背後を一陣の風が吹き通り、周囲の木々の落ち葉が舞い上がったかと思ったら、次はその葉が渦を巻いて一点に集束すると、最後は集まった葉が一気に軽くパンっと周囲に向けて弾けた。
そして、その弾けた跡のその場所には保険医の様な白衣を纏い、青みを帯びた黒髪を"馬尾状(所謂ポニーテール)"に纏めた美しい顔立ちの女性が立っていたのだった……
『やれやれ、登場するならもう少し落ち着いた登場の仕方もあるだろ? これだから"お転婆姫様"は……』
そういづるが言いつつ振り向こうとしたよりも先に、その女性の方がいづるに抱きつこうと飛び込んで来たのである!
無論、この事態に対していづるは……あたかも闘牛士の様に軽々と逸らしてみせ、件の女性は先程までいづるが立っていた場所を素通りして少し先の地面に飛び込み、まるでギャグのように滑るのだった。
うつ伏せ気味の姿勢となったこの女性、すぐに立ち上がると、いづるの方を向いてこう語気強く言葉を発した。
『痛っ! ちょっとぉ! そこは普通に抱き止める場面でしょ? なぜ避けるのよ! いづるのイジワル。』
明らかにプンスカ怒り顔のその女性に対して、いづるは『お前なぁ、人が見てる可能性だってあるんだから、場を弁えろってヤツだぜ? ま、周囲に人はいないから良いような物だが。』と言い放つ。
すると、この女性は『ううっ、一応人避けの"魔法"は使ってるのよ? これなら誰も近寄らないでしょ?』と反論する。
この話を聞いて、何か察したようにいづるがかく語る。
『ちっ、少し前から妙な感覚を感じてたのはお前の魔法だったか。鹿野郎も感知はしてただろうが……気を使ったか?』
その言葉に『鈴鹿さんは貴女以上に空気が読める人だからね。』と、この女性は答えたのであった……
『ちっ、あの野郎、知ってて知らねぇ振りしてやがったか……』
そう愚痴るいづるを横目に、白衣に付いた汚れを手でハタき取りつつ、件の女性はいづるの側へと近づく。
無論、また抱きついて来る可能性がない訳ではなかったが、さすがに二度目はなかったようである。
そして両者が相対する位置に立ったところで改めていづるの口から『さて、改めて久しぶりだな"姫様"……あ、今は結婚して"石田小百合"って名乗ってるんだったな。』という言葉が出てくるのだった……
今から凡そ二十数年前のある日、当時学生だった東雲いづるは、修行の一環として"とある異世界"に赴いていた。
いづるが異世界に赴くのはコレが初めてではなく、"上位者"からの宿題と言わんばかりの要求に応じる形で"異世界探訪"を幾度となく繰り返していたのだった。
その回数たるや、中等学校、高級中等学校(いわゆる高校)の学生時代全体で実に六百回をゆうに越える。
無論、こんな回数を刻むに当たり、色々と仕掛けというか細工というかあるのだが、ここでは割愛する。
とある異世界に赴いたいづるは、ある切っ掛けからその世界の"とある王国"の王位継承権争いに巻き込まれる。
その際、王位継承順位筆頭でもあった人物と知り合い、紆余曲折を経てその人物の王位継承権の確定に尽力したのであるが、土壇場中の土壇場……
つまり次期王位継承者としての正式指名を受ける場に於いて件の人物がなんと王位継承権を放棄するという宣言をしてしまったのだった。
それを見聞きして呆れるいづるに対して、この人物は『貴女と一緒に行動していて思った。この世には、王位なんて物に縛られない生き方がある。私は、それをもっと知りたいと思う。空を流れる雲の様に風の向くまま自由を体現する貴女を見て、それを強く思ったの。』と語り、更に続けて斯く告げたのだった……
『貴女が私達が住まうこの世界と異なる場所から来たのであれば、私はその世界を知りたい。王位という手枷足枷に縛られて自分の意思を封じるのは一番イヤ。そんな王位なんて、貴女の言葉で言うなら"クソ喰らえ"ってヤツよ!』
この言葉を発した後、その人物はいづるの腕を掴み引っ張りつつ連れ出しながら、追い掛けてくる群臣諸氏を振り切り遂に隣国との国境にまで逃走する事となる。
逃走先でいづるは再三再四この人物の意思を確認した上で、遂に自分が住む世界(ヤマト国がある世界)に連れ出すこととなったという……
その後は大変だったのは言うまでもない。何せ戸籍も何もかも無い人物をいづるが連れてきてしまったので、関係者諸氏はその人物がこちらで暮らすための各種手続きを整えねばならなかった。
幸いだったのは、その人物が魔法を使える事だった。その事から高天原の住人という事で話を纏めた上で、この人物はヤマト国で暮らす事となる。
そして、元の世界での知識を生かしつつ、こちらの世界の薬学医学などを学び直し、医者として独り立ちするに至ったのであった。
その後、仕事上の付き合いなどから石田姓の男性とお見舞いをし、遂には結婚に至ったという。
そう、その人物。そしてその女性こそ……
「改めて思うが"小百合"って、実に普通の名前だよな。いつ見ても、いつ聞いても普通過ぎる名前だぜ。」
「あら今さら酷い事を言うのね。私の本名から色々捻って、この世界での外国かしら? そちらの単語も探ってやっとヤマト国で過ごすための名前を決めた事、貴女も忘れた訳じゃないでしょ?」
「んぁ~、そんな事もあったっけか~? 昔の事だからちょいと忘れ掛かってるって感じかぁ?」
「ちょ、ちょっとヒド~い。私の人生を弄んだのね、酷いわ~。しくしく……」
「おい、まるでアタシが人さらいみたいな事を口走るな! あと嘘泣きはやめろ!!」
「……ありゃ、バレてたか~。」
そう言いつつ俗に言う"てへぺろ"を見せる彼女を見て、いづるは呆れた表情を見せつつ斯く思ったという。
『全くコイツは昔と変わって無さすぎだろ? もう結婚して何年になるんだよ。見た目はともかく、年齢を考えて欲しいぜ……。元・フォレスティア王国王位継承権者筆頭にして、次期女王予定者だった"サレナ姫"さんよぉ……』
この直後、サレナ姫こと小百合から『今、すごーく失礼な事を考えて無かった? いづる、隠し事は無しよ? それでなくても貴女は顔に出やすいからすぐ解るんだからね?』と突っ込まれ、たじたじになったのは言うまでもなかったという……
暫く立ち話を続けていたいづると小百合の二人。
その際、いづるは小百合が纏う服装を見て『お前、医者をやってるんだよな? こんなところにいて大丈夫なのかよ?』と問い質している。
すると彼女は『大丈夫よ……ってか、いづるは知らないみたいだけど私、今こちらの学校の保健医をやってるの。』と答え、いづるは『ほぉ~ん、成る程そういう事か。……って事は、今日アタシがここに来た事を事前に察知していたって事かよ! ってか、アタシがお前の気配に帰る時まで気づかなかったって事にちょっとショック~。』と語り、最後にガックリ肩を落とすいづるであった。
さて、更に会話を続けていた両者であったものの、いづるがそろそろ帰らないとならない旨の事を述べたところで一旦お開きという事となった。
そして別れ際、いづるの口から『あ、そうだ。……近々アタシの"娘"がこの学校の御世話になるから、その時は宜しくな。』と言った時、小百合の様子が驚きの表情を見せ、続けて次のような事を口走ったという。
『えっ? いづるの娘!? それって一体どういう事!? 私の知らないところで子供を作ったの!? 相手は誰なのよぉ!!』
この発言と共に急に迫ってきた小百合を前に、いづるは『おい、ちょっと待て。色々勘違いが過ぎるだろうが! それと相手ってなんだよ!? とりあえず落ち着けぇ!!』と言いつつ、小百合を宥め始めていた。
更に少し時間が経過し、両者は人目につかない場所へ移動し更に話し込んでいた。その中でいづるは娘……美鶴に関する事を一通り説明したという。
その説明を聞いた小百合は『ふぅ……大体の事は理解したわ。それにしても"この世界の帝様"もなかなか酷いわね。自由人のいづるに子守りを命じるだなんて。他に適任な人はいたでしょうに……』と、少しだけ呆れ気味に語っている。
恐らく、美鶴に昔の自分に重なるところがあるのを感じたからだと思われるが、いづるの自由意思を横に置いて決めた帝への不満も滲み出た発言であった。
それに対しいづるは『まあ、帝のねーちゃんには色々世話になってるからな。多少は恩返しみたいな事をやる必要はあった。それがこういう形だっただけの事だせ? それに適任者という点でアタシ以上の存在は見当たらなかったらしいしな。』と告げ、小百合の不満を抑えにかかっている。
その上で『まあ、学校にお前がいるのならとりあえずは安心かな? 状況次第ではアタシもこの場所に張り付かねーとならなかったかも知れないしな。』と語り、最後に『なんか面倒事を押し付ける格好になるが、アタシの娘の事を宜しく見てやってくれ。決して悪い奴じゃない事は太鼓判捺して保証するぜ。』と言い締めている。
これを聞き、小百合も『そこまでいづるが言うのなら、保健医として見守るのも悪くないわね。解ったわ、その美鶴さんという子の事は任せてちょうだいな。』と語り、いづるの頼みを聞き入れている。
もっとも直後に小百合は小声で『それにしてもいづるの娘さんか~。聞いた年齢通りなら……』と呟いたところで"うふふふ"と言わんばかりの笑みを浮かべ出しており、何も知らないいづるが思わずドン引き気味の表情を、態度を含めて露にしていたという。
そして別れに際して何事か生じた時には連絡を取り合う事を約し、両者は別れている。
飛び去っていくいづるの姿を見届けながら、小百合は心の中で『いづるが帰って来たのなら、確かに面倒事も押し寄せてくるかも知れないわね。ま、それも含めて退屈せずに済むのは個人的にはちょっと嬉しいかな。何よりいづるが戻ってきた事、それが一番重要なんだからね~。』と独白するのであった……
そして時は更に少しだけ流れ、美鶴と部屋友となる今川美紗音の二人はお世話になる学生寮へと案内されていた。
学生寮の複数いる管理担当者の内の一人が案内役として割り当てられた入る予定の部屋へと二人を案内するのだが、既に入寮している生徒達は見知らぬ少女が現れた事に興味津々だったようである。
特に美鶴に関して思うところがある生徒が何人かいたようで……
「あの子、転校生みたいだけど、あの髪の色……真っ白?銀色?よく解らないけど綺麗だよね。」
「窓から入る光が反射して透き通るような色をしてるよね。まるでお人形みたい。あ、髪の色だけでなく見た目も含めてだけど。」
「見た目って点だと、あの瞳の色も紅色? 赤色? 茜色? よく解らないけど、引き込まれるような朱色をしているわ。」
「そうそう、まるで赤色の宝石を宿したような瞳をしてるね。どこかのお嬢様かお姫様かな?
なんとなく世俗の穢れを知らないと言うか、そんな感じに見える。」
……と、こんな感じで早速噂の新人みたいな扱いを受ける事となるのであった。
外野がそんな感じで騒がしい中、美鶴と美紗音は割り当てられた部屋へと案内される。
その部屋へと入った途端、二人の視界に入ってきたのは窓越しに見える佐世保の港や市街地、そして市街地を挟んで見える向かいの"弓張""但馬"と言った山々であった。
その光景を見て『綺麗な風景ですね。』と一言呟く美鶴と、それを受けて黙って頷く美紗音の姿があったという。
斯くして全ての準備が進み、後は美鶴の転入学を待つばかりとなったのである……
― つづく ―




