春の章その7
東雲いづるとその娘である美鶴、稲荷人の従者である小蓮の三人が佐世保に到着して数日……
美鶴の学校への転入学に向けた手続きのために、いづるは慣れない事務手続きに奔走していた。
もっとも、その事を予見していた先代の水の鬼の王であった"今川美清"の指示により、当代の王である"水梨鈴鹿"がいづると行動を共にしていたのであるが……
「東雲、そこはお前の名前を書く欄じゃない。お前の名前を書く欄はこっちだ。」
「なにぃ? ……確かに子供の名前を記入って書いてあるな。」
「お前なぁ……。ちゃんと書いてある事を確り読み込んで書くものだろうに。相変わらず雑な生き方をしていたから、こういう時に苦労するのだ。」
「うっ、うるせぇな~。今の今まで自由意思で旅してたんだ。それが急にこんなクソ細かい事をやらされたら、こうもなるだろ。」
「やれやれ、全く貴様という奴は……。これでよくもまあ美鶴嬢の親を務められたモノだ。」
「悪かったな、雑な親で! しかしアタシもだが、高天原特権でヤマト国の諸制度の対象外だったのに、急にこんな事になるなんて思いにもよらなかったってヤツなんだよ。」
「ん? アタシもだがとは、お前の子供の頃の話か? お前の時はある意味特例みたいなモノだったろう? 本来なら高天原に居るべきではなかった訳だし。お前に"あんな力"が無ければ普通にヤマト国側の学校に早い段階で通わせていたぞ。」
「あんな力……か。まあ、その力のお陰で普通の人間が経験しないような経験を出来た訳だから、この力を持つ意味はあったって事で。」
「あのなぁ……。はぁ、コイツはなぜこうも頭スッカラカンなんだ。お前が"あの一件"の際に記憶を無くしたと思われた時、良心とか常識とか纏めてオサラバしたのかと思うと頭が痛い。」
鈴鹿の呆れ気味のぼやきを、いづるは右から左にスルーしていた。
そうして何とか出来上がった各種必要書類を市役所の担当窓口に提出し、いづるの書類との格闘はひとまず終了する事となった。
そうして市役所を出て、今川家を兼ねる神社の社務所に顔を出したところで、いづるは美鶴がいつもとは異なる見慣れない衣服に身を包んでいる姿を目撃する。
彼女が纏っていた衣服。それは今川家の娘である"美紗音"が自分たちと初顔合わせした際に纏っていた衣服と同じ学生服であった……
「あ、かーさま、お帰りなさい。」
「いよぅ……それよりその服、お前が通う学校の学生服か?」
「はい。美紗音さんが着ていた物と同じ代物です。」
「ほ~ん、確かにねーちゃんの娘が着てたヤツと同じ代物だな。……改めて見ると高天原の連中が着ている衣服の意匠って奴か? それを反映した代物になってんなぁ~。」
「そうですね。……それとちょっとだけ小蓮が纏ってる特製の巫女風衣装にも似た感じなのが良いですね。」
「その言葉、本人が聞いたら涙流して喜ぶと思うぜ?」
……と、その話をしたところで、話題になった小蓮の姿がない事に気づいたいづるは、彼女がどこにいるのか訊ねている。
すると美鶴は『小蓮なら那苗さんと一緒に動いているはずです。色々と那苗さんに仕込まれているみたいなので。』と答えている。
話を聞き、いづるは『小蓮も小蓮で大変だろうな。あの兎ねーさん、ガチの戦場を経験してるみたいだし。小蓮がその教導に耐えられるかどうか……』と一言語ったのであった。
一方その頃、市内に聳える烏帽子岳の山腹の路無き路を駆け抜ける二人の人影があった。
一人はいづると美鶴の従者である小蓮。もう一人は今川家の神社の居候にして、美鶴の護衛役を拝命している"山県那苗"であった。
二人は常人からしたら眼で追えない程の高速で山林(厳密には杉林)の間をすり抜けていた。
もっとも、ほぼ無傷である那苗に対し、小蓮は纏う巫女服自体は無事だったが、その上から纏う上衣の各所が傷だらけとなっていた。
どうやら那苗が意図的に木々の中で狭い場所を選んですり抜けるために、同じ場所を突破しようとして枯れ枝に衣が引っ掛かる事を繰り返した結果のようである。
暫く那苗を追走する小蓮という構図が続いていたが、先に小蓮が疲れてきたのを察して那苗は休憩を取らせる事とした。
山腹から湧き出る水が飲める場所で休憩を取りつつ、小蓮の方から話を切り出していた……
「あのっ、那苗様、今日は特にキツめの路を駆け抜けてましたが、流石にあの狭さは私には堪えますよ。」
「なんだ、あの位の狭さも抜けきれないのか?」
「いえっ、そういう訳ではありませんが……、強いて言うなら私の身体の大きさで無理矢理押し通ろうとすると衣服が傷付いて。」
「あ~、そういう事か。私の身体の小ささ基準で走り抜けてたからな。ちょっと気持ちよくなってたかな?」
「…………」
「うっ、何だよその沈黙とジト目は。そういうお前も稲荷人の端くれなら、いっその事"狐化術"(狐の姿に化ける術の事)を使ってすり抜ける事だってできるだろうに。」
「……生憎ですが那苗様、私はその術が使えないんです。なにぶん稲荷人としては半端者ですので。」
「半端者だぁ? ……言われてみれば"狐耳状髪"が無いな。尻尾はあるのに。そうなると稲荷神としての力の半分以上は行使できないってところか?」
「まぁ、そういう事になります。人間の血が濃いとも言えるのですが、これで昔は酷く苦労をしたモノですよ。」
「苦労? ……聞くべきかちょっと迷っていたが、お前の親はどっちが稲荷神だ?」
「父です。父が稲荷神……厳密には妖怪狐でもあったのですが。」
「妖怪狐!? そりゃまたとんだ父親だな。妖怪化した稲荷神となると、基本的に周りに迷惑を振り撒くのが御約束みたいなモノだが、お前の親もその口か?」
「はぁ、まあ、確かにそういう事になりますね。」
そう語る小蓮の微妙に気落ちしたようにも見える様子を見て、那苗は『どうやら踏み込むのは避けた方が良さそうな事情がありそうだな。この手の話は大抵ヘドが出る代物だろうし……』と思い、それ以上突っ込む事は避けることとした。
いずれ小蓮の口から話してくれるのを待つ事とした訳だが、それがいつの話になるかについては小蓮の意思に任せる事とした那苗であった。
暫く双方の間で沈黙の時が流れていたが、再び小蓮の口から那苗に向けて質問が飛んでくる。
それは那苗の過去に関してだった……
「そういえば那苗様は兎人兵だったとの事ですが、どのくらいお務めに?」
「あ? 私の兵役期間か? ……んと、確か先の戦役がほぼ終わった"碧蒼七年"までのだいたい十年間位かな?」
「十年位ですか? となると、碧蒼七年が今から二十年位昔のハズなので……え? 那苗様、失礼ですが今おいくつになられるのですか?」
「今度は年齢か? ずいぶんと食い付きが良いな。そうだねぇ、もう四十はゆうに過ぎてるね。」
「よ、四十!? いづる様より年長者じゃないですか……って、確かいづる様が前に年上だと言ってたような。まあ、それはともかく見た目は凄く若いのに。」
「それが兎人族の特徴だよ。兎人族は産まれてからの成長速度が人間の倍の早さなのさ。その分、人間と比べて寿命は半分程しかないけど、そういう謂わば"宿業"に対する神様の配慮みたいなモノで見た目の老化が凄く抑えられているらしい。」
「倍の早さで大人になって、倍の早さで寿命が尽きる……。随分と酷い話のように感じます。理不尽というか何というか。」
「まあ確かにそういう見方もできるね。だけど"短く太く"って言葉があるくらいだからね。私らはこれに不満は無いさ。お陰かどうかは解らないが、子宝に恵まれるのも兎人族の特徴だからね。」
「子宝に……ですか?」
「そう。兎人族同士でも人間相手でも基本的に子宝には恵まれる。もっとも最近は女性が産まれる割合が全体の七割だか八割だか越えてて、色々と不都合が……ね。」
「女の子が産まれる割合が圧倒的なんですか。……確かにそうなると社会の構成要素的に均衡が崩れてるとしか。」
「まあ、兎人族社会最大の問題になってるね。特に人間と結婚した子達の子供ほど女性として産まれる傾向が顕著なんだ。この為に昨今の兎人兵はほぼ女性で構成される訳でね……」
「女性ばかりの!? 何だか色々問題やら不都合やら……あ、それだけじゃない。」
「……気がついたみたいだね。兎人兵は女性が主体。そして兎人兵一人あたり地上の人間の平均的な一個歩兵中隊に匹敵する強さ、そして強いがゆえに不覚を取った時の……」
そこまで口走ったところで、那苗は何かを思ったかの様に少し俯きつつ口を閉じて黙り込んでしまう。
小蓮はそれを見て、頭の中で想像"凄く気持ち悪い事案"が現実に起きていたであろう事を察したのである。
そして心の中で『那苗様はたくさんの仲間を失った経験があるんだ。しかも那苗様の目の前や身近なところで。前の戦役の時に兎人兵がヤマト国の援軍として参加したという話は聞いた事があったけど、詳しくは知らなかった……』と独白するのであった。
小蓮がそんな事を思っているとはつゆ知らず、那苗は彼女に向けて『ハイハイ、暗い話はこの辺で終わり終わりっ!過ぎた事は戻らない訳だからね。今ある命を大事に、一日一日を大事に過ごすのも生き残った者の務めだからね。だから小蓮は昔の事は気にしなくていいんだよ。アンタは当事者じゃないんだからね。』と言って、話題を切り替えに掛かった。
その言葉を聞き、小蓮はとりあえずこの話題の事は一端忘れる事とした。ただ、明るく振る舞う那苗を見て『那苗様、本当はたくさん泣きたいのにこんなに明るく……。私は……いや、ヤマト国の人達はこんな方達の犠牲と献身のお陰で今を生きていると言えるのかも。』と思い、『私で出来る事があったら、何かしてあげたいな。』と考えるのであった。
翌日、いづるは鈴鹿と共に美鶴が通う予定の学校へとやって来ていた。
山の上、烏帽子岳開拓地の標高400メートルより上の土地を丸ごと敷地としたその学校。
年齢でいえば十三歳から十八歳までの生徒が通う特殊学校であり、生徒は送迎用大型車で通学する地元民と学生寮暮らしの者で構成されている。
特に学生寮暮らし組はヤマト国中から集まった面子だけでなく、高天原出身者……即ち長命種の者、兎人族の者、更には鬼族の者も幾人か含まれていたという。
そんな曲者だらけの学生寮に美鶴を入れる事にいづるは心配していたらしい。
いづるのそんな様子に鈴鹿は『東雲がこうも心配性を剥き出しにするとはな。まあ解らんではないが、早く子離れをして貰わんとな。でないと"怪物親"とか"猛毒親"とか本人が聞いたらブチ切れ必至な悪評を受ける事になるだろうし。』と内心思っていたとか。
さて、鈴鹿の案内で学校の代表(校長と理事長を兼任している為、一括りで代表と称している。)がいる部屋へと向かっていたいづるに対し、鈴鹿が唐突に立ち止まりつつ次の様な一言を発している。
『ああ、そうだ東雲。この学校の代表なんだが、実はお前もよく知る人物が務めている。』
それを聞いたいづるは『は? アタシが良く知る人物だぁ? そいつは一体誰だよ? アタシが知る奴なんてそんなにいないぞ?』と答えたのだが、鈴鹿は『ふっ、まあ顔を会わせれば一発で解るさ。』と答えるにとどめたのだった。
『アタシが知る人物ねぇ……学生時代も含めても両手の指で数えられる位の人数しかいねーからな。となると、学校の代表が出来る位に頭が良い奴で、なおかつ所謂"渉外能力"ってのがある奴って事になるな。……一体誰だよ?』
こんな事を考えつつ、いづると鈴鹿は代表の執務室前に到着する。
さて、執務室の主であるいづるが知る人物とは一体誰なのであろうか……
― つづく ―




