夏の章(8月編)その4
大阪軍の超常者選手が代走として一塁に立つ。その姿を見て、アグニスは不思議がっていた。
Baseball……つまり野球のルールを知らない彼女からすれば、サッカーで言うところの途中交代選手程度にしか認識していなかった。
頭の上に"?"マークが浮かんでいるアグニスに対し、今川姉妹の姉である美羽音が『解らないで内心困惑してるな? まあ、野球の決まり事を知らないなら不思議に思うか。まず代走という物から説明しないとならないな。代走とは、さっき安打で出た選手に代わり、走塁を担当する専門の選手だ。試合が進めば、そのまま出場選手として、どこかの守備位置に就くのが普通だけど、超常者選手となると勝手が違う。』と述べる。
その説明を聞き、アグニスは『走塁だけの担当で、守備位置に就く事もあるのが代走という物なのか。そういう点ではサッカーと同じだ。だが、超常者の選手は勝手違いとはどういう事だ?』と、当然の如く疑問に思った事を尋ねる。
それに対し、今度は妹の美紗音が『超常者選手は、存在しているだけで"強力"過ぎるんです。そのために普通に他の選手と試合に参加できなくて、出られる場面が限られているんです。』と述べた上で……
『まあ、見ていれば解りますよ。超常者が試合に出てるという事が何を意味するかを……です。』
そう語りつつ、代走の選手の動きを見るように勧める美紗音。
その言葉に従う形で、アグニスは大阪軍の代走を凝視する。そして、それは福岡軍の投手が打者に対して第一球を投じた時だった……
『Was!? 走ったぞ! しかも速い!あの捕手とか言う選手は……投げないのか? いや、違う。あれはもう諦めたという目だ。』
その瞬間、大阪軍の代走は、まるで疾風の如く二塁を陥れていた。福岡軍の捕手は投手からの球を捕った時点で、二塁に球を送る素振りすら見せなかった。
アグニスの指摘の通り、投げても無駄だと解っていたのである。
大阪軍の応援団側から大きい歓声が聞こえた。だが、その歓声は第2球目を投げた時、更に大きくなる。
そう、二塁にいた代走が今度は三塁を陥れたのである。そしてこの動きに対しても、福岡軍の捕手は反応しなかったのだ。
この二盗三盗劇に、アグニスは暫し呆然となった。そして程なく『おい、これは公平と言えるのか? 超常者とお前達が呼ぶ者。私達の側なら"光の枝"の力だが、それをスポーツの試合で用いると、普通の者では止められないのは明らかだろう。』と、述べた。
それに対して美紗音は『確かにそういう話はヤマト国の中でもあるって聞くね。だけど、それで超常者を排斥するなら、却って"職業選択の自由"を否定する事にならないかな?』と返されてしまう。
更に追撃とばかりに姉である美羽音も『聞いた話だが、海外では超常者は尽く軍事関係しか仕事が貰えないらしいな。アグニス、お前もそこのメリケン娘も、あと数年すれば軍事的な職業に就く事になると思う。』と述べた上で、さらなる爆弾発言を発してしまう。それは……
『こいつも聞いた話なんだが、密かにヤマト国に亡命している海外の超常者が居るとか何とか。そいつらはある程度の監視を経て、生活に関する訓練の後、好きな職業で働いているらしい。』
それを聞いて、アグニスもグラウンドを見ていたはずのクーリアも目を丸くしていた。彼女らが受けた教育の範囲では、ヤマト国から自分達の国への亡命者の話は聞き知っていた。特にクーリアはアメリカでの同級生に亡命ヤマト人の子供が居たくらいである。
しかし、、自分達の側からヤマト国への亡命という話は初耳だったのである。呆然とする二人に、美羽音は『例えば、今三塁に居る代走の超常者選手。あの人も海外からの亡命組だ。名前こそヤマト風に改名してるが、よく見れば解ると思うぞ?』と語ったため、二人はすぐに三塁上の代走選手をまじまじと見る。すると……
「Oh……確かにどことなく"中南米系"の顔つきをしていまス。アグーも解りますよネ?」
「アグー言うなAmerikaner。私も初めて聞いた話だ。父も母もお祖父様やアルトホルンのオッチャンも、誰も話してない。」
「私もダディやマミィ、リッサ小母様やヴァルター小父様から何も聞かされていませン。」
この会話のあと、二人は暫し沈黙をしていた。それは思考の海に沈んだという事を意味していた。
その間、大阪軍の打者がスクイズを決めて一点先制を果たしたのであるが、その周りの喧騒にも関わらず、二人は考えに集中しており、全く気づかなかったのである。
一方、福岡軍のベンチでは、先制を許した事に対して少し深刻な表情を見せるスタッフの姿があった。
大阪軍のこの日の先発は先発の中でも三本柱の一人に数えられる投手であり、福岡軍側の投手もそれに比する投手だった事もあり、当初から投手戦になる事は解っていた。
そして、この日に限って大阪軍の投手の調子は良く、未だに福岡軍は安打が出ていない状態だったのである。
そんな状況を角田は静かに見守っていた。彼の見立てでは大阪軍投手は今シーズンでも一·二位を争う程の出来であった。
つまり、このままだと"ノーヒットノーラン"を被る事もあり得たのである。
しかも、地方球場での公式戦の特殊ルールで、同点の場合9回打ち切り引き分けという物があったのである。福岡軍の監督はそれを知っていた事から、角田をすぐに使う事をしなかった。
その後も大阪軍投手はアウトの山を築いていく。そして、気がついたら、とうとう9回を迎えていた。
「姉様、福岡軍一人も出塁できないまま9回の攻撃を迎えてしまいましたね。」
「ああ、主催試合だから、後攻という利点はあった。それを生かせない程に相手投手が良すぎる。」
「Oh……、このままでは"No-hitter(ノーヒットノーランの事)"どころカ、"Perfect game(完全試合)"を達成してしまいますヨ!」
「Keine Treffer, keine Läufe? Ein perfektes Spiel?(ノーヒットノーラン? 完全試合?) サッカーだと、単に得点を取れずに負ける試合はあるが、それと何が違うのだ?」
美紗音、美羽音、クーリア、アグニスが各々言葉を発していたが、アグニスの発言にクーリアが『サッカーに例えるなラ、相手のゴールに一度もシュートを打てないまま負ける様なものですヨ!』と述べた事で、アグニスはだいたい理解する事となる……
『Ich verstehe、負けチームが勝ちチームに全ての主導権を握られたまま試合を終えるみたいなものか。それは確かに屈辱的だ。』
そう語るアグニスだったが、その脳裏には過日の襲撃の際に、自分が操縦するFWを敗北手前まで追い詰めた"兎人兵"の事が過ぎったのは言うまでもない。
もし、あの時、神々しい女性……春日綱子や、当代の水の鬼の王……水梨鈴鹿が介入しなければ、自分は完封負けを喫していたかも知れないと考えていた。
そして、このままなら福岡軍と呼ばれるチームが負ける。アグニスはその様に思っていた。
しかし、そんなアグニスの考えを読んだかのように、美羽音が『そう深刻な顔をする必要は無いと思うぞ? なぜなら、まだ福岡軍は超常者選手を出してない。もし使うとすれば、この回しか無い。そして、その選手……角田って人だが、いづる姐さんの知り合いのおっさんが出てきたら、状況を変えることが出来るかも知れないぜ?』と語ると、アグニスは福岡軍にも超常者選手が居る事を知ると同時に『いづる姐さん? 誰だ? どこかで聞いた名前の様な気が……』と思うのである。
9回の裏、福岡軍の監督は遂に角田に声を掛ける。それは代打としての出場であった。
監督は角田が出てくれば、相手は必ず四球を選択するしかない事を理解していた。この時点で完全試合を崩す事は出来る。
超常者選手が公式戦で使えるようになって以降、完全試合は達成されては無く、ノーヒットノーランすら、片手の指の数も出来ていない。旧来の野球の戦術や戦略の常識を、超常者選手は変えてしまったのである。
この日も、代打角田が告げられた時点で、大阪軍の応援団からため息と罵声が入り交じった声が聞こえてきた。完全試合が無くなった事を認識したからこその声であった。
そんなある意味怨嗟の声の中、角田は打席に立つ。それに先立ち、彼は内野席を軽く見て打席へと向かっている。
それは"東雲いづる"の存在の有無を確認するためであったが、どうやら今日は来ていないようであった。それに関して彼はちょっとだけ安心していた。
『今日は流石に来てないな。まあ、深夜に来てたくらいだし、どうせ今頃家で昼寝でもしている頃だろう。俺の知る東雲ならそうする。』
そう考えていた角田だったが、まさにその頃いづるは伊鈴邸の縁側で大の字で昼寝していた。角田が出てる試合をラジオで聞いている内に寝ていたのだった。
なお、彼女が起きたのは、夜になり、夕食が出来た事を美鶴から聞かされた時であった。
さて、角田が打席に立った事で、大阪軍の投手は苦々しい表情を見せながらも、渋々四球を選択すべく立ち上がっていた捕手へと球を投げていく。
この時点で、所謂"申告敬遠"というシステムがまだ成立してはなく、わざわざ球を投げなければならなかった。
申告敬遠システムがあれば、昨日の角田の本塁打も無かった訳である。
そして、四球が成立し、角田は一塁へと移動した。この時点で大阪軍首脳陣は三塁まで進まれる事を覚悟した。
自軍の超常者選手が行った連続盗塁が、相手もできないわけがない事を理解していたからである。この事を示すように、大阪軍投手が打者との勝負を選択した事から、彼が一球、また一球と投げるごとに角田は二盗三盗を決めてくる。
だが、大阪軍投手は相対している打者を打ち取る事に専念した。その結果、この打者を三振に打ち取る事が出来た。
彼が打者に専念したのは、先ほどの打者も、その次の打者も三塁側に立つ"右打席"の選手だったからである。
そう、この時点で大阪軍のバッテリー(投手と捕手のコンビの事)は、"本塁突入"を警戒していたのである。
しかし、右打席に立つ打者相手なら、本塁突入を物理的に防ぐ事ができる。相手打者が本塁に対する壁となるためであった。
超常者選手は確かに速い。しかし、速すぎるがために塁間に障害物的な物があれば、それと衝突し得る。
その事を理解していたから、三盗を許しても大阪軍バッテリーは本塁突入は警戒しつつ、打者相手に専念する事が出来た。
また、スクイズバント警戒で一塁手と三塁手が本塁方向に突進する準備もできていた。
打てる手は既に打ち尽くした。あとは福岡軍の打者を抑えるだけで良い。そう思いながら大阪軍投手は次の打者と相対したのだが、その時球場内の歓声が大きくなる事となる。
その時、観戦していたクーリアは驚いていた。無論、今川姉妹もそれに近い認識だっただろう。唯一、アグニスだけは何が起きているのか理解が追いついていなかった。
『Was? なぜ騒いでいる? 単にあの打者という者が"左側"に立っているだけで、なぜここまで騒ぐんだ?』
このアグニスの自然と出た言葉を聞き逃さなかったクーリアが『周りの皆が騒ぐのは当然なのでス。あの打者、前の打席まで右に入っていましタ。ところが今は左に入っタ。それが何を意味するカ、思い返して見ればアグーも解るですヨ。』と言われてしまう。
相変わらずのアグー呼びに不快感を見せつつ、アグニスはこの状況を俯瞰的に見ようと試みた。するとある事に気づいてしまう。
アグニスがそれに気付いた時、角田は『空気を読んでくれたか。アイツは両打じゃないのに、わざわざ左に立ってくれた。ここまでお膳立てをされて、何もしない訳にも行かないな。』と心の中で思うと、僅かに口元が上がるのであった。
そしてそれはこの直後に起こる。大阪軍の投手が普通に投げ、捕手が球を取る。そして、それを投手に返すのだが、この時全力で投手に投げ返している。
そう、この瞬間、角田が本塁突入を開始していた。捕手は投手に返球する動きの中で角田の突入に気付いたが、すぐにそれを止められなかった。そのため、全力で投手に返球したのである。
投手側も本塁突入に気付いたからこそ、全力で返球された球を捕球するとすかさず本塁の捕手目掛けて再返球した。この間、僅か数秒も無かった。
角田の突入により、本塁付近は土煙が立ち昇る。そんな中で、主審は正確にその瞬間を見ていた。捕手が球を捕球して、角田に触れるより早く、角田の足が本塁に触れていた事を。
この主審も実は超常者であり、しっかり瞬間瞬間を見抜く事に定評がある審判であった。そのためすぐに『セーフッ!!』と宣言したのである。
その宣言で大騒ぎする福岡軍ベンチと応援団などの観客達。がっくりと残念な声を発する大阪軍ベンチと応援団や観客。
このプレーにより、同点に追いついたため、大阪軍投手は被安打無し、一つの四球にも関わらず、勝ち投手の権利を失う事となる。
周りの喧騒の中で、クーリアとアグニス、今川姉妹は比較的冷静に見つめていた。
特にアグニスは『一つのプレーで試合の状況を変えてしまう。Baseball、底が知れない競技だ。』と、語りつつ唸っていた。
その言葉を聞いて、クーリアはまるで我が事の様に『アグー、これこそアメリカ生まれのBaseball。サッカーとは違った意味で素晴らしい競技なのでス。』と述べており、その様子に今川姉妹の妹、今川美紗音は呆れつつ苦笑いを浮かべるのであった……
ー つづく ー




