戦士と戦場
地面を埋め尽くす、無数の小鬼どもの死骸。
生きている頃から醜悪な臭気をまとっていた小鬼は、死骸となったことでさらに耐えがたいほどの悪臭を放っている。
その中を、旅の戦士ドライオは一人歩き回っていた。
彼の人相の悪い顔も、自慢の戦斧も、巨体にまとった簡素な革鎧も、全てが小鬼の血や臓物に塗れていた。
「ギッパ」
ドライオは叫んだ。
「ギッパ、どこだ」
返事はなかった。
「くそ」
苛立ちに任せて蹴り上げた小鬼の死骸から、首が取れて転がった。
小鬼どもの大移動が始まった、という報せが王都まで届いた時には、もうすでに二つの村が呑み込まれた後だった。
一匹一匹は取るに足らない不潔な魔物でしかない小鬼だが、その旺盛な繁殖力で瞬く間に大集団を作り上げる習性があった。
暴力的なまでに数を増やした小鬼どもは厄介だ。
棲み処にしている山や森の食い物をたちまち食い尽くし、豊かな土地を求めて人里に溢れ出してくる。
奪うことしか知らない野蛮な大集団は、天災同様、人々にとって恐怖の的だった。
王国では直ちに正規の騎士団を派遣するとともに、追加で旅の戦士たちを集めた傭兵隊も編成した。
ドライオはもちろん、彼の旧友、隻眼のギッパもその戦列に加わった。
最前線となる街へ着いて数日、斥候の報告によって小鬼の大集団の動静が判明する。
小鬼どもは一団となって、平原を真っ直ぐに街に向かって南下してくる。
陣形もない。隊列もない。
数に任せて突進してくる。
それが小鬼どもにとって唯一の戦術だった。
同時にそれは、この集団を率いている首領にさしたる指導力がないことも示していた。
完全武装の騎士団は、街への道を塞ぐ形で布陣した。
柵を立て、壕を掘り、万全の態勢で小鬼どもを待ち構えた。
無策で真っ正面から突っ込んでくる小鬼どもを、一気に粉砕できるだけの戦力が整っていた。
ドライオたち傭兵隊は騎士団と同じ場所ではなく、念のために街を迂回して森へと続く側道に配置された。
「なんだよ、俺たちは見物だけかよ」
そうぼやくドライオに、ギッパは苦笑する。
「ドライオ。小鬼どもを斬りたくて仕方ないって顔をしてるな」
「当たり前だろ、こんなところまでわざわざ何のために来たと思ってんだ」
ドライオは天を仰いだ。
「せっかくまたお前と肩並べて戦えると思ったのによ」
「まあそう言うな」
ギッパは慰め顔で言う。
「こっちに小鬼が流れてくる可能性だってないわけじゃねえだろ」
「目の前に豊かな街があるのに、わざわざそこを迂回するような知恵が小鬼にあるわけねえだろうが」
ドライオは鼻を鳴らす。
「そんな知恵がありゃ、この世界はとっくにあいつらのものになってるぜ」
「まあ、そりゃそうだな」
頷いて、ギッパは腰に佩く剣の柄を叩いた。
「ま、はぐれ者が何匹かは流れてくるだろうさ。取りこぼしのないようにしようぜ」
「へいへい」
朝、そんな呑気な会話がされたところだった。
そして昼には、森へと続くこの側道は、人と小鬼との凄惨な戦場と化していた。
怒涛の如く押し寄せる小鬼の数は、およそ数千。それに対する戦士たちはわずかに三百足らず。
「どうなってんだ、小鬼どもが全部こっちに来てるじゃねえか」
目の前の視界全てを覆い尽くすほどの小鬼を前に、戦士の一人が叫んだ。
「これじゃ騎士団の方になんて、ほとんど行ってねえぞ」
村を呑み込み、人里を襲う味を占めたはずの小鬼の群れが、街ではなく森に駆け込んでくる。
それは、考えられないことだった。
「ぐだぐだ言ってる場合じゃねえ。やるしかねえだろ」
ドライオはギッパとともに得物を構える。
「そのうち騎士団だって来る。それまでの辛抱だ」
「よし。ドライオ、生きてたらまたな」
「おう」
二人は並んで小鬼の群れに突っ込んだ。
「ドライオ」
名前を呼ばれ、ドライオは小鬼どもの死骸から顔を上げた。
顔中に古傷のある年長の戦士が歩いてくるのが見えた。
「グリムか」
ドライオは顔馴染みの戦士の名を口にする。
「あんたはさすがにしぶといな」
「お前もな」
グリムは唇の古傷を歪めて笑うと、ドライオの横に並んだ。
「生き残ってる仲間は三十もいねえ」
「その代わり、小鬼どもだってあらかた斬ったはずだぜ」
ドライオは地面を埋め尽くす小鬼の死骸にまた目を落とす。
「森まで駆け込めた小鬼はほとんどいねえだろ」
「ああ。俺たちの勝ちだ」
ドライオと並んで歩きながら、グリムは、ところで、と言った。
「こいつら、おかしくなかったか」
「おかしいなんてもんじゃねえ」
ドライオは吐き捨てる。
「街が目の前にあるのに森に駆け込んでくる小鬼の集団なんて、聞いたこともねえ」
「そうじゃねえよ」
グリムは首を振る。
「俺が言ってるのは、こいつらの必死さのことだよ」
グリムは足元の小鬼を蹴った。埋もれるようにして、戦士の死体があった。
「ああ、エスデン。ここにいたのか」
しゃがみこんでその顔を確認しながら、グリムは言う。
「この小鬼ども、人里を襲いに来たっていうよりも、まるで何かから必死に逃げてるみたいだったじゃねえか」
「逃げてる?」
そう言われると、ドライオにもぴんと来るものがあった。
小鬼どもは、目の前にドライオたち傭兵隊が布陣しているのを認めても、立ち止まろうともしなかった。
まるで何かに急き立てられるように、そのままの勢いで突っ込んできた。
ドライオたちはそれを、小鬼特有の戦術と統率の欠如だと受け取っていたが。
こいつらは食い物を求めて人里に下りてきたわけじゃなく、北に現れた何かから必死に逃げてきたのだとしたら。
「恐怖に駆られて、だから街じゃなくて隠れるところの多い森へ逃げ込もうとしてたって、そう言いたいのか」
「勘だよ、勘。長いこと戦士稼業をやってる俺のただの勘だ」
グリムは戦士のちぎれかけた両手を胸の上でそっと合わせてやると立ち上がる。
「だが、そうだとしたらこいつらのおかしな動きにも説明がつくだろ」
グリムの言う通りだった。
むしろそれ以外に、小鬼どもが森への道を選ぶ理由がなかった。
しかし、それは面白い話ではない。
「北に何が出た」
「さあな」
グリムは肩をすくめる。
「こいつらが走っても走っても逃げ切れねえと思い込むような、何かだろ」
ここまで遥か離れてもなお、刻まれた恐怖の消えることのない何か。
それは小鬼にとっての恐怖だけで収まるわけはない。
人にとっても必ずや大いなる恐怖となるであろう、何かだ。
「だったらそれは、俺たちが討たなきゃいけねえもんだろ」
ドライオの言葉にグリムは一瞬意表を突かれた顔をして、それから低く笑った。
「お前のそういうところは、変わらねえな」
それから頷く。
「ああ。俺たちの誰かが討たなきゃならねえものだろうな」
「小鬼はもう飽きた」
ドライオは言った。
「次は、そいつを討ちに行く」
視線の先の灌木の下に、ひとりの戦士が寄りかかるようにして座っていた。
血塗れの隻眼の戦士は、口元に満足そうな笑みを浮かべて既に事切れていた。
ああ、ギッパ。お前の故郷にいつか行ってみたかったな。
ドライオは友の亡骸にゆっくりと歩み寄る。
もう重たい身体もないんだ。きっと、ひとっ飛びで帰れるぜ。
「やっとお出ましだぜ」
ドライオの背後で、グリムが言った。
煌びやかな鎧に日光を反射させながら、ようやく騎士団が近付いて来るのが見えた。