婚約者が変態すぎて困っています!私!悪役令嬢になんてなりません!
◇◇◇
「ああ、その凶器的に細く尖ったヒールで思いっきり踏みつけられたい……」
恐ろしいほど整った顔のルーイ王子がポツリと呟いたセリフに、アナスタシアは言葉を失った。
アナスタシアは気丈で気高いと評判の公爵令嬢である。社交界で鍛えられたスルースキルは並大抵のものではない。しかし、やんわりと微笑みを浮かべたものの、ティーカップを持った手はさっきから小刻みに震えている。
(気のせい。気のせいですわ。私のルーイ殿下が変態……そんなはずありませんわ。これはきっと幻聴っ!そうに決まっています……)
しかし、アナスタシアの努力もむなしく、ルーイ王子のひとり言はヒートアップしていく。
「ああ、なんてしなやかな手首なんだ。思いっきり頬を打ち据えられたい……いや、それでは彼女が手首を痛めてしまう。ここはあの扇が壊れるほど打たれたら良しとしようか……ああ、でもやはり思いっきり体重をかけて踏みつけられたらどんなに素敵だろう。きっと彼女は甲高い声で高笑いを上げながらののしってくれるだろう。そこを……」
「で、殿下!」
アナスタシアがたまらず声を上げると、ルーイ王子は驚いたように目を丸くした。
「ん?どうかしたの、アナスタシア」
まるでアナスタシアが急に大声を出したことが信じられないと言った様子に若干イラっとする。
「ど、どうかしたのかではございません!さっきからどうしてそのようなことをおっしゃるのですか!その、わ、わたくしに思いっきり踏みつけて欲しいなどと……わたくし、そのようなこといたしませんっ!」
「へっ……」
ルーイ王子は一瞬言葉を失った後、みるみる顔を青ざめさせた。
「え、嘘……僕、そんなこと口走ってた?」
アナスタシアが深く頷くととたんに真っ赤になる。
「わ、忘れて!忘れてくれっ!なんでもない、なんでもないんだっ!」
「わたくしだって知りたくございませんでした。殿下が……そ、その、変態だなんてっ!でも、聞いてしまった以上うやむやにはできませんわ!」
「へ、変態……」
アナスタシアの言葉にショックを受けた様子の王子を見てアナスタシアはふんっと鼻を鳴らす。全く、先ほどから自分のおかしな性癖を垂れ流しているくせに、なぜ今更ショックを受けるのか。ショックを受けたのはこっちである。
婚約者であるルーイ王子が変態だったなんて。これからどうすればいいのか。絶望しかない。
「殿下のお相手はわたくしには荷が重いようですわ。私達の婚約のお話はなかったことに……」
さっと席を立ち上がろうとしたアナスタシアの足に、ルーイ王子が必死にしがみつく。
「ま、待ってくれアナスタシア!い、行かないでっ!」
「離して!この変態っ!」
「え。いい……もっと罵って!」
「変態!変態!変態!!!」
ガシガシとヒールを履いた足でルーイ王子を踏みつけるアナスタシア。普通なら王族にこのようなことをすればただではすまないだろう。しかし、当の本人が目を潤ませ、うっとりとした顔で見上げているのだから王族の威厳もかたなしである。
「ああ、アナスタシア、アナスタシア!君は、最っ高だぁぁぁ」
「いやぁぁぁぁ!離してぇぇぇぇ」
アナスタシアの悲鳴を聞いて部屋に駆け込んでくる護衛達。
「ど、どうされましたかっ!……こ、これは一体……」
護衛達も戸惑いを隠せない。何せ一国の王子が婚約者の公爵令嬢の足首にみっともなく縋りついているのだ。
「お、お願い、助けてっ」
アナスタシアが懇願するが、主たる王子の意思に背くわけにもいかない。護衛達もただ茫然として見つめるしかなかった。
その間もルーイ王子はアナスタシアの足をしっかり掴んで離さない。
「だ、誰かぁぁぁぁ」
アナスタシアの悲痛な叫びが王宮中にこだまする。
────三十分後
「わかりましたわっ!とりあえず婚約破棄は保留にしますからとりあえず離してくださいっ!」
マジ切れぎみに言われたことでようやく足首から離れたルーイ王子の弁明を聞くことになった。ちなみにアナスタシアは先ほどより王子から距離を取り、いつでもダッシュで逃げられるように体勢を整えている。
「実は……アナスタシアが、他の令嬢にひどい嫌がらせをしていると報告を受けたんだ」
ルーイ王子の話によると、自分に最近付きまとっている平民上りの男爵令嬢が、自分の存在に嫉妬したアナスタシアからひどい嫌がらせを受けていると言うのだ。
「なんですのそれ。わたくしそんなのちっとも存じ上げませんわ。大体その男爵令嬢とやらと直接お会いしたことはございませんけど」
確かに最近、その男爵令嬢は学園で評判になっている。珍しい聖属性魔法が使えることで、平民から貴族の養子になったとか。ただ、平民上りのためか淑女としての振る舞いがなっておらず、婚約者のいる男性にも平気で馴れ馴れしく接するらしい。そのため、たびたび苦言を呈するご令嬢が跡を絶たないと聞く。
だが、アナスタシアはいちいちそのようなことに時間を割くほど暇ではない。多少無礼な振る舞いが目立つとて、国にとって大いに有益な存在なら多少の目こぼしは必要だ。有能は人材はときとして厄介な人物であることも多い。そこをうまく使うのも上に立つものの度量というもの。
「男爵令嬢が何をなさろうと、この私がそのくらいのことで目くじらを立てるとでも?」
ツンと横を向くアナスタシアをうっとりと眺めるルーイ王子。
「うん。君ならきっとそういうと思っていた。だけど、つい想像してしまって」
「何をですの?」
「君が、僕のために嫉妬に駆られてそんな行いをしたなら、どんなにいいかって」
「殿下……?」
「もちろん、僕は君がか弱い令嬢に暴力をふるうような人でないことは知っている。だから、そんなことは万にひとつもありえない。だが、嫉妬して、その嫉妬を激しく僕にぶつけてくれたらと思うと……」
ルーイ王子の言葉にアナスタシアはみるみる顔を赤くする。
「僕は、君に、一度でいいから嫉妬されてみたかったんだ。君が令嬢としての気位も何もかも捨て去って、僕にその気持ちを向けてくれたらどんなに嬉しいだろうって。ごめん。やっぱり僕はおかしいよね。君にとって僕は政略結婚の相手に過ぎないっていうのに……幼いころ、初めて会ったあのときから、ずっとずっと綺麗で気位の高い君が好きだったんだ」
しょんぼりとうなだれるルーイ王子の姿にアナスタシアの胸は最高潮にときめいていた。
「殿下こそいつもクールでわたくしのことなんてちっとも相手にしていないと思っていましたのに!」
今度はルーイ王子が目を丸くする。
「そんな風に思っていたのかい?君を前にすると、緊張して会話も上手くできなくて……なんとも思っていない令嬢相手ならいくらでも適当な会話ができるんだが……」
「そうだったんですね」
アナスタシアは胸が熱くなるのを感じていた。アナスタシアにとっても、ルーイ王子はただ一人の最愛の人だった。夢にまで見た憧れの王子様。だが、所詮は政略結婚。愛されることはないと思っていた。だからこそ、アナスタシアは国の役に立つ王妃になるために、ありとあらゆる学問を学び、社交界で人脈を構築し、淑女教育に邁進してきたのだ。すべては、ルーイ王子の隣に立つために。
「その、やっぱりこんな情けない男は嫌だろうか?」
眉を下げるルーイ王子にアナスタシアはそっと近づく。
「いいえ。私もお慕いしております。殿下」
恥ずかしそうに想いを告げるアナスタシア。これからはルーイ王子と二人、もっと婚約者らしい甘い時間を持ちたい。だって二人は両想いなのだから!素敵な未来にアナスタシアの胸は躍った。
「ありがとう、アナスタシア……それでその……できれば僕のことは殿下ではなくルーイと呼んでくれるかい?」
「ええ、いいわ、ルーイ」
「アナスタシア!」
(変態だなんて言って、悪いことしましたわ……あ!さっき思いっきりヒールで踏んだところ大丈夫かしら)
「ねえルーイ、さっきはごめんなさい……その、痛かったでしょう?」
「いや、がっつり防御魔法をかけているから全然大丈夫だよ。アナスタシアこそ、足首を痛めていないかい?」
「ええ、大丈夫。私もがっちり強化魔法を掛けてたから。ふふ、あのときは夢中で……変態だなんていってごめんなさい」
───その後
「ちょっとそこのあなた!わたくしの婚約者に馴れ馴れしいですわっ!離れて下さる!?」
学園の中庭。大勢の生徒たちがくつろぐ休み時間。性懲りもなくルーイ王子の腕にしなだれかかる男爵令嬢にアナスタシアはつかつかと歩み寄り、びしっと扇を突き出した。
その場にいた生徒たちの注目が一斉に三人に集まる。
「ひ、ひどい!ほらっ!見て下さいルーイ様!いつもああやって私のこといじめるんですぅ」
我が意を得たりとばかりに意地悪そうな笑みを浮かべ、ますますしなだれかかろうとする男爵令嬢の手をさっとかわすと、よろける令嬢には目もくれず、アナスタシアの前にひざまずくルーイ王子。
「ありがとうアナスタシア!やっぱり嫉妬に燃える君の姿は最高だっ!」
「もうっ!ルーイったらわざとね?趣味が悪いわっ!」
ぷんっと頬を膨らませるアナスタシアをとろけるような笑顔で見つめる王子に、周囲の生徒たちは目を見張った。
「お、おい、あれってルーイ王子だよな?冷酷王子って評判の……」
「あ、ああ。俺、ルーイ王子があんな風に笑ってるの初めて見たぞ?」
「ね、ねえ、あれってアナスタシア様よね?傲慢令嬢って評判の……」
「え、えーっと、あの方あんなキャラだったかしら……」
驚きを隠せない周囲の声をよそにいちゃいちゃし始める二人。
「いくら嫉妬して欲しいからってわたくしの前で他の女といちゃつくなんて!今度やったら婚約破棄ですわっ!」
「いやいや、わざとじゃないよ。ほんと、勝手に付いてきて絡まれてただけなんだ。でも、やっぱりやきもちを焼いてくれるアナスタシア、最高に可愛かったよ……」
(((なんか、すごく、お似合いだ……)))
次第に二人を見守る周囲の目線も生暖かいものに変わっていく。冷え切った婚約関係と評判の二人だったが、噂とは当てにならないもの。未来の王と王妃が仲睦まじいことは歓迎すべきことである。そもそもいつまでもバカップルを観察し続けるのもむなしいので、ひとりまたひとりとその場を後にしていった。
こうなると哀れなのは男爵令嬢だ。二人の姿を呆然と眺めていたが、だんだん腹が立ってきた。
「なんなのよあんたたち!人前でいちゃつくのもいい加減にしなさいよっ!」
フーフーと肩で息をする男爵令嬢に、
「あなた、無礼だわ。お下がりなさい」
ツンっと顎を上げて傲慢に命令するアナスタシアは悪役令嬢そのもの。が、しかし、それすらも頬を染めて喜んでいるルーイ王子を見て男爵令嬢はすべてを悟った。
「あんたたち、とんだ変態カップルだったのね。もういいわ。末永くお幸せに」
そういい捨てると今度は振り返りもせずさっさと立ち去ってしまう。
「なっ!ぼ、僕たちは変態じゃないぞ!」
またしても変態認定されたルーイにちょっぴり同情するアナスタシアだが、アナスタシアがヒールで踏んだとき、確かに喜んでいたなあと思うと否定もできない。でもまあ変態ぐらいがちょうどいいのかもしれない。何しろ嫉妬を知ってしまったアナスタシアは、この先ルーイ王子に近づく女を決して許しはしないだろうから。愛されている自信がアナスタシアを欲張りにしてしまったのだ。
「いいじゃありませんの。ルーイが変態でも、私は愛してますわ」
「アナスタシア!?」
「その変わり、私が嫉妬のあまり悪役令嬢になっても、愛して下さる?」
アナスタシアの言葉にルーイは破顔する。
「嫉妬する暇もないくらい、君だけを見つめているよ」
「まあ」
こうしてなんだかんだお似合いの二人は、周囲の生暖かい目に見守られ、いつまでもいつまでも幸せに暮らしたのでした。そしてそうそうに変態王子に見切りをつけた男爵令嬢は、持てる聖属性を駆使して聖女となり、戦場でたまたま助けた真面目でイケメンで優しい騎士と恋に落ち、なんだかんだ幸せになるのでした。
おしまい
四月咲香月様から素敵なFAをいただきました!
婚約者が変態すぎて困っています!1
婚約者が変態すぎて困っています!2
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読んでいただきありがとうございます♪