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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

祖母の戦後体験

作者: 泰子の孫

戦中戦後のことですので、具体的な描写はほとんどありませんが人が死ぬ場面があります。

苦手な方はご注意ください。

父方の祖母が亡くなった。


祖母自身は延命治療を望んでいなかったが、突然脳梗塞で倒れ、助かる可能性が少しでもあると説明されては、父も管をつけてくださいとしか言えなかったのだろう。

結局、半年以上意識のない状態で生きるとも死んでるとも言えない状態が続いたが、年明け後すぐ亡くなった。


享年86歳だった。


私は孫で既に家も出ている身だが、同居していた時はよく戦時体験、いや正確には戦後体験の話を聞いた。

現在、その語り手が少なくなる中で、少しでもその体験談を、私が覚えている限り残しておきたいと思う。


祖母は昭和6年、今の朝鮮と中国の国境の朝鮮側(新義州市?)で生まれた。

父は大分の出身で、開拓者なのかは聞かなかったが、満州で牧場を営んでいたと聞いた。

畑があり、家畜もいたので食べ物には困らなかったようだ。

しかし、14歳のころには家事を全て祖母が担っていたと聞いている。

祖母の話には母親が全く出てこなかったので、おそらく、幼い頃に亡くしたのではないかと思う。


祖母は戦争中のことは一切話さなかった。

ただ、ソビエトの侵攻で牧場が取り上げられたそうだ。

牧場では朝鮮人を多く雇い、牧場の役職にも就かせていたが、その人が裏切ったらしい。

財産を全て取り上げられてしまった。

祖母はそのことから酷く朝鮮人を恨んでいた。恩を仇で返したと。

その代わりに中国人には仁義に厚いと感謝していた。

というのも、仲の良かった中国人のおばさんが祖母を助けてくれたらしい。

この辺りから父親の話も出なくなったので、亡くなったか殺されてしまったかしてしまったのだろう。

ある日フラフラ宛もなく歩いているとそのおばさんが「タイ!タイ!」と祖母を呼んだ。(祖母の名前が泰子なので音読みでタイと呼ばれていた。)



「日本人が帰る船が出るってさ」



「もしおばさんが教えてくれなかったら、私はもしかしたら中国残留孤児になっていたかもしれないね」

後にしみじみと祖母は振り返った



祖母は貨物船の一角に押し込められたという。

他にもたくさんの日本人がいて、船室の半分は海苔の佃煮が大きな袋に入って山積みになっていた。

祖母が日本に着いた時、ひと騒動あった。

同じ船室にいた班長さんが亡くなったのだ。

海苔が荷崩れを起こし、下敷きになってしまったという。


その席は祖母が譲った席だった。


書類を書くのにライトが近くにあるから交換して欲しいと言われて交換した席だった。

頭が良くて立派な人だったのに、私が生きてあの人が死んでしまって、本当に申し訳ないと涙ながらに祖母は語った。


日本に帰ってきて祖母は下北沢の親戚の家に身を寄せた。

そのおじさん、おばさんも満州で商売をしていたらしい。海鮮問屋を営んでいた。

以前、私が戦後の国内デフォルトについて話を聞いた時、祖母はそのことを覚えていた。

親戚のおじさん達は既に満州で稼いだお金を円に変えていたので、紙くずになったと嘆いていたとか。円に変えていなければ財産が減らなかったのにと。


私が聞いた祖母の戦後体験はここまで。

この後、別の海鮮問屋の息子だった祖父と一緒になり、詐欺にあったり家計を使い込まれたり、2人の子供を抱えながら渋谷の公会堂で清掃員をしたり、と波乱万丈の人生を送った。

私にとっては囲碁が趣味のいいおじいちゃんだったが、祖母にとっては一緒の墓には入りたくないと言うくらいいい夫とは言えない人だったようだ。


このことに関して質問をされても答えてくれる祖母がいない今、私には答えようもない。

朝鮮生まれの満州育ち、学校も中学までしか通えなかった祖母。

そんな時代があったことを今の日本の姿からは想像もつかない。

しかし、北朝鮮の問題や、中国残留孤児の話が決してテレビの中の他人事では無いことに私は驚いた。

教科書に描かれていた地図でしか知らなかった満州に祖母がいたというのもなんとも不思議な気分だ。

祖母が中国で船に乗れなければ、班長さんと席の交換をしなければ、私はもちろんこの世には居ないわけで…。

運命とはこういうことをいうのかもしれない。



みなさんももし戦時体験された方がまだ身近にご存命なら、お話を聞いてみてはいかがでしょう?



祖母が亡くなってから随分経ってしまいました。


祖母の名前などフェイクもありますが、ほぼ聞いたまま書いています。

私や祖母の記憶違いや勘違いがあるかもしれませんし、質問には答えられないと思いますが、祖母の生きた証を残したくて投稿しました。。

最後まで読んでくださり、ありがとうございます。

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