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第24話 でも、寂しい気持ちが止まらない

「うっ、ううっ……!」

 純は暗闇の中で目を覚ました。頭にはまだ鋭い痛みが残っており、ここがどこなのかも全く分からない。

 起き上がろうとすると、自分が椅子に縛り付けられていることにようやく気付く。

「なっ!?」

 確か自分は、小野市連続殺人事件の実行犯である斉藤真澄の家にいたはずだ。記憶を取り戻したことで隠されていた全ての真実を知り、紫音や父の吾郎にも伝えずに家を飛び出し彼女に迫ったのだった。

「くそ、放せよ!」

だが睡眠薬を盛られて眠らされてしまい、今はこうしてわけの分からない場所に運ばれ、監禁されているようだ。

「あら、目が覚めたの?」

「お前っ……!」

 何とか縄から抜け出そうとしていると、背後から装いを変えた真澄が現れた。

 布切れのような黒いフードに、青白い光を持つ禍々しい鉈。それは以前パトカーに記録されていたドライブレコーダーの映像で目にした、犯人の姿そのものだった。

「そんな怖そうな顔しないでよ。今日は私と純にとって特別な……運命の日なんだから」

 彼女の動きを目で追うと、この場所の全容が徐々に分かってくる。恐らく粟生駅からそう離れてはいない、だが町を歩く人々の目からはどこか隔絶された空き家の中。

 人の声や物音は全く聞こえてこず、互いの呼吸音だけが辺りの世界を広げている。

「純が記憶を失ってから七年ちょっと、色んなことがあったよね。探偵の仕事も大変だっただろうし、今まで本当にお疲れ様」

 純は包まれるように優しく抱き締められた。頭をポン、ポンと叩かれ、撫でられる様はまだ幼い子供と母親のようだ。

「何を、する気だ?」

 だが、今自分に触れている存在は同じ人間の姿をとった悪魔。甘い声と美しい姿で相手を魅了し、気付かないうちに底無し沼に放り込む怪物のような存在。

「さっき言ったでしょ、ここは結婚式に相応しい場所だって」

 本当はもっと豪華で綺麗な場所だったら良かったんだけどね、と真澄は残念そうな表情で純から体を離し、両腕を広げて淡い空想に浸る。

「事件も探偵ももうおしまいよ。これからは、私と二人で愛がいっぱいの生活を送りましょう」

 悪意なんて微塵も感じられない、喜びと興奮が入り混じったような声が聞こえる。

 目を凝らすと辛うじて相手の姿が見えるような薄暗いリビングの中で、恐怖に晒され続ける時間が始まった。


「廊下で拾ったけど、これか? 落としたキーホルダーって」

 純と初めて出会ったのは高校一年の頃だった。失くしてしまったしまったマーガレットのキーホルダーを、優しいあの人が見つけてくれた。

「ありがとう! これ、とっても大切な物だったの」

 それまでは話したことすら無かったし、ただのクラスメイトだと思っていた。

 でもこちらに向かって微笑みかけるその表情から、不器用だけどちゃんと感じられる優しさに真澄は心を打たれた。

「あの……私の名前は真澄、斉藤真澄っていうの。貴方の名前は?」

「俺は赤石純。色んなあだ名で呼ばれてるけど、まあ適当に赤石か純って呼んでくれよ」

 今までずっと探していた、一生一緒にいてくれるような運命の人。彼の目をじっと見つめていると、心が徐々に熱くなって脳が溶けていくようだった。

「純君か、綺麗な名前だね」

 気付けば真澄は純と一緒に帰っていた。特別な理由は無いが、二人で何気無い話をしていたらいつの間にか共に歩いていた。

「私は色々迷ったけど、一応美術部に入ろうかなって思ってて。貴方は部活とか興味ある?」

「俺は特に無いかもな。テニスとかサッカーとか色々見学したけど……」

 歩幅を合わせて進んでいると徐々に家が近付いてきた。本当はもっと、いつまでも話していたかったのに。

「じゃあな。くれぐれも落し物には気を付けろよ、真澄さん!」

 その後彼と関わる機会は増えていった。危ない時に助けてもらったり、放課後や休みの時に一緒に出かけたり。

 他の人のように大胆ではないけれど、コツコツと、少しずつ。


徐々に二人でいる時間が増えていき、ついに真澄は想いを伝えようと前へ踏み出す決心をした。

「私、初めて会った時から純のことが本当に大好きだったの」

「真澄、さん……?」

 図書室の裏で真澄は告白した。緊張で震えてしまいそうになる声を必死に抑えて、言葉の一つ一つに心を込める。

彼の反応が怖くてつい顔を俯けたが、しばらくして視線を上げた先にあったのは変わりないいつもの笑顔だった。

「いやあ、知らんかったわ。真澄さんが俺のことをそんな風に想ってくれてたなんて……」

 こちらの手を優しく握る。確かに感じる力強さと、じんわりと伝わってくる暖かさが心地良かった。

「こんな俺で良ければ……これからもよろしくな」

 ようやく運命の人を見つけることができたと思った。彼とならどこまででも行けるし、もう何も怖くないだろうと。

「ありがとう純、本当に良かった……!」

 だが、そんな真澄の期待はすぐに打ち砕かれてしまった。


 それは当時体育の教諭であった白石を、トイレの個室に無理矢理連れ込んで殺害した時のことだった。

「ごめんね、これも先輩を追い出すためだから」

 慣れていなければ思わず鼻が曲がる程の血の匂い。だが真澄は全く表情を変えずに、苦しみ悶える瀕死の白石に鉈を振り下ろす。

「ああもう、こんなに汚れちゃったわ」

 人が来る前に早く片付けて撤収しよう。真澄は立ち上がったが、その瞬間は突然訪れた。

「嘘やろ……?」

 外から声が聞こえる。真澄はすぐに個室から出たが、周りには誰もいなかった。

 だが物陰に誰かが隠れているのかもしれない。まだうっすらと人の気配を感じる彼女は、一瞬気付かない素振りを見せた後に振り向いた。

「こそこそ隠れてないで、言いたいことがあるなら出てきたら?」

「ひいっ!」

 するとその存在は背を向けて一目散に逃げ出した。見覚えのある後ろ姿に、誰よりも聞いた大好きな声。

「あれ、純?」

 彼が逃げた理由が理解できなかった。私は別に、自分の目的のために邪魔な奴を殺そうとしただけなのに。

「どうして……どうして私から逃げるのよ。私を受け入れてくれたってことは私が何をしても私が何のために生きても私のことを一番に考えてくれるってことじゃないの? それなのにあんな化け物を見るかのような声と走り方。私がまるで酷いことをしてるみたいじゃない。せっかく純に想いを伝えたのに、純もそれをちゃんと受け入れてくれたのに。分からない、分からない、何にも分からないよ私は……」

 真澄は途方に暮れて呟く。空っぽになった表情で、ほんの少しだけ開いた唇には血が残っている。

「純、貴方はどうやったら私にもう一度振り向いてくれるの?」

 こんなはずじゃなかった。すぐに挽回しないと、誰よりも綺麗で愛に溢れた自分を純に見せつけないと。


 それから、純はぱったりと学校に来なくなった。

「あれ、どうしたんだろう?」

 彼の父は仕事で外出しており遅い時間になるまで帰ってこない。心配になった真澄は、昼夜を問わず純の家に通って様子を見に行った。

 だが、どういうわけか純はこちらのことを避けているようだった。

「ちょっと逃げないでよ、私の話をちゃんと聞いて!」

「もう許してくれ、俺が悪かったから!」

 家から逃げようとする純を無我夢中で追いかけたこともあった。だが彼は今にも泣きだしそうな表情で叫び始め、まるで話にならない。

「また一緒に学校に行ったり、デートに行ったりしようよ」

「うわあああっ!」

 真澄は手を伸ばしたが、以前のように向こうから握り返されることは無かった。

「待ってよ純、ほんのちょっとだけで良いから!」

 彼がいなくなればまた自分は一人になる。信頼できるような家族も友人もいない、ただ目標も拠り所も無い生きるだけの毎日に戻ってしまう。

「どうしてなのよ、私はただ純に愛されたいだけなのに」

 このままではもう二度と純に会えないかもしれない。真澄は焦り始めたが、そうしている間にも彼は自分の方から離れていく。

 あの人を救うために、もう迷っている暇は無い。

「だったらあの人の周りにあるものを全部壊してやるわ。一つ残らず、何もかも……!」

 覚悟を決めた真澄は再び純の家に向かい、合鍵を片手にインターホンを鳴らした。


「あーかーいーし、じゅーん……?」

さらに、真澄は扉をノックして純の名前を呼んだ。しかし彼が出ないと分かると、そのノックが徐々に速くなっていく。

「ねえ出てよ、いるんでしょ。下手に隠れたふりなんてしても足音聞こえてるよ。本当にここまで私のことを避けていじめて一人ぼっちにするなんて何を考えてるのかな? 私何も純に変なことなんてしてないのに、私はただ純のためを思って頑張ってたのにねえ聞いてるの純聞こえてるんでしょ聞こえてるなら早く返事してよさあ! こんなに可愛くて何でもできる私を見捨てるの、それとも私とずっと一緒にいるの!? すぐに出てきて答えを教えて私を安心させてえっ!」

それでも、純はドアを開けることは無かった。

どうしてこんな簡単なことができないのだろう。すぐに鍵を開けて、自分の手を握って優しい声をかけてくれたらそれで済む話なのに。

「他の人のせいなら殺してあげるし、私のせいなら嫌な所はすぐ直すからさ……ね?」

ドアノブを何度か回していると、息を荒くした純が突然声を張り上げてきた。

「もうやめてくれ、こんなことしても意味無いやろ!」

違う、私の求めている答えはそんなものじゃない。そんなの、私の理想だった純じゃない。凄まじい音を立てて、真澄はドアを蹴り飛ばした。

「意味無いなんて言わないでよ、私は純のことが本当に大好きで大好きで私のものにしたくてたまらないからこういうことをしてるのよ!? 純のことを全部調べて住所も覚えて家族のことも知って。何度言ったら分かるの、ああもうこんなドアなんか取っ払って私とちゃんと話してよ!」

純が背を向けようとすると、真澄は合鍵を取り出してドアを開けようとした。

「なっ、どうしてお前がそれを!?」

純は慌てた様子でチェーンをかけてドアを押さえた、だがそこでドアが半分開いて、中を覗こうとする真澄と目が合った。

「怖がらないで。私が貴方のこと、ちゃんと愛してあげるから」

必死にドアを閉めようとする純に無我夢中で抵抗する。この一枚さえ壊してしまえば、自分たち二人を阻むものは何も無い。

「そっちが開けてくれなくても良いわ、こっちが頑張って開けてあげるから」

「!?」

真澄は大型のニッパーを取り出し、チェーンを切断しようと試みた。純が一瞬怯んだ隙に、彼女はニッパーに力を込めた。

「うわっ!」

止めようとしても間に合わないと純は感じ、一階の部屋に隠れようと後ずさりしながら逃げた。

そして、チェーンは大きな音と共に壊れた。

「本当に待たせ過ぎよ。見つけたら、心も体もぐちゃぐちゃになるまで愛してあげないとね」

玄関に純の姿は無かったが、恐らく一階のどこかに逃げていることだろう。場所が分かっているのなら、少しずつ確実に探して見つけ出すだけ。

「ふふ、んふふ……!」

ゆっくり、ゆっくりと真澄は廊下を歩き始めた。


「くそっ……俺の前から消えろよぉ!」

 その後自室まで追い詰められてしまった純は驚きと恐怖が頂点に達し、ついに両膝を抱えて叫び出してしまった。

 窓を割らんとするような勢いでベランダへ出て、視界に入るものを全て振り払う。

「あああああっ!!」

 身を乗り出して体勢がぐらりと崩れる……と感じたのも束の間、彼は二階から庭に向かって真っ逆さまに落ちてしまった。

「あっ……!」

 そうか、きっと自分はここで死ぬのだろう。

 先立ってしまった母を悲しませないために、残された父を喜ばせるために今まで頑張ってきたのに、こんな所で。

 涙が一滴流れた後、凄まじい痛みと共に目の前に広がっていた世界が弾け飛んだ。


「うっ……」

 次に目が覚めた時、純は全く知らない部屋で眠っていた。飾り気の無い無機質な白い部屋と、自身の頭に巻かれた包帯のような物。

 ここは病室なのだと気付くまで、数十秒くらいはかかった。

「純、目が覚めたのか!?」

「おや、じ」

 父の吾郎が部屋に飛び込んできた。こちらも反射的に起き上がろうとするが、全身が痛んでどうも体を動かすことができない。

「心配したんだぞ。偶然通りかかった人が救急車を呼んでくれなかったら、今頃どうなっていたことか!」

 彼は純の方に近付き……そして遠慮がちに手を握った。純もそれ以上のことは求めず、力を抜いてベッドに寝転がる。

「一体何があったんだ。分かることだけで良いから、お父さんに教えてくれないか?」

「俺は……」

 何かを言おうとして、純の動きがふと止まった。確かに見たはずの風景が頭の中に出てこない。覚えているはずの友人や、先生の名前も。

 無理に引きずり出そうとすると、何だか背筋に強い悪寒が走る。

「あれ……俺、今まで何してたんだっけ?」

 まるで蓋がされたように思い出せなくなっていた、学校で経験したはずの出来事が。


「そんな、嘘よ……」

 二人の会話を後ろから聞いていた真澄は、唖然とした様子で壁にもたれかかった。それでも気持ちが抑えられず、全身を震わせて涙を流す。

「純はもう私のことを覚えてない。これからもっとお互いのことを知って、分かり合って、愛し合って、幸せな毎日が始まるはずだったのに……」

 今まで積み上げてきたものが一気に崩れ去るような感覚に襲われる。どうして、一体自分はどこで何を間違えたのだろう。

「きっと辛かったのね。ママがいなくなって、誰もあの人の気持ちを分かってくれなかったから」

 後悔しても遅かった。純の記憶は無くなり、この様子だと戻る見込みも無いかもしれない。

「私がもっと純のことを愛していれば、こんなことにはならなかったのにっ……!」

 自分は一体、何のためにここまで来たのだろう。何のために純に想いを伝えたのだろう。何も分からないまま、真澄は病室に背を向けて歩き始めた。

 ああ、本当に大好きだったのにな。


 そんな二人の過去を真澄は時に喜び、時に悲しみながら動きを止めた純に語りかけた。

「私は一度純から離れる判断をした。色んな人と出会って、関わっていけばいつか私の努力は報われるって信じてね……」

 だけど、と彼女は再び純に歩み寄る。凍り付いた彼に魔法をかけるように、耳にゆっくりと息を吹きかけて……

「誰も私の言うことを聞いてくれないし、思い通りにならない。分かる? みんな私のことを愛してくれないの、嫌ってるのよ。私にとっての王子様は、いくら探し回ってもやっぱり純だけだったわ」

 舌を絡ませて彼の耳を舐めた。全身の毛がぞわりと逆立ったが、純は思わず叫ぶのを必死に堪える。

「くうっ……!」

「隠さなくても良い。誰だって寂しい時はあるし、触れ合いたい時だってあるから。それが私たちの本能で、私たちだけの愛なのよ……」

 唾液が頬を伝って零れ落ちる。ずるずる、ずるずると舐め回した後、両耳にキスをして真澄はこちらの顔を覗き込んだ。

 目と目が合う。歯を食いしばるような表情と、赤く染まった光悦の表情。

「意味、分かんねえよ」

 深呼吸をして再び頭を働かせた後、純は低い声でそう答えた。

「俺や深山を散々騙して、日岡さんのことも殺して。そこまでの罪を重ねて、お前は一体何がしたいんだって聞いてんだよ」

「何がしたい……うーん、そうね」

 次第に目が慣れていくにつれ、辺りの光景がはっきりと見えるようになってきた。今は誰もいない空き家だが、クモの巣があるわけでもなければ埃の一つも存在しない。

 今が初めてではない。彼女は何度も下見を重ね、計算した上で自分をここに運んだ。

「私の夢は純と関わりのある人をみんな殺して、二人で一緒にお城に住むことかな」

 そして真澄が口にしたのは、夢と表現するにはまるで程遠い残酷な言葉だった。


「私は高校の時、貴方の部屋に入ったことがあるの。見つからないか不安だったし、あの時はすっごくドキドキしたなあ」

 そして彼女は二つの物を取り出した。一つは紙のように見え、もう一つは……

「その時にこれを見つけたの。周りからいじめられた左利きの女の子が優しい狩人さんと出会うお話、だったよね?」

「かりうどの、ひだりて……まさか!?」

 手に持った絵本を可愛がるように頬ずりをして、真澄はそれを優しく机に置いた。

「女の子と狩人がお互いのことを知って結ばれる、そういう意味では良い話だったと思うわ。だけど私は最初に読んだ時、どこか物足りなかったのよ」

「物足り、なかった?」

 話がどうも要領を得ない。例えば、と彼女は笑いながら純の方を指差す。

「女の子をいじめた奴らの右腕を切り落として殺していけば、二人の愛はもっと完成されたものになったんじゃないかって」

 純はしばらく疑問の表情を浮かべていたが、その瞬間雷に打たれたように目を剥いた。

 今まで何度も目にした、無残にも右腕を切られた血塗れの遺体。彼女がそのような行為に及んだ理由が、こんな、こんな……

「ずっと積み上げてきた私の計画ももうすぐ完成よ。最後のターゲットである、紫音ちゃんの死をもってしてね」

 怒りで言葉を失う純の姿を横目に、真澄は先程まで隠していた婚姻届を取り出した。教えたはずのない住所や母の名前もしっかりと書かれており、あとは印鑑だけ。

「私、斉藤真澄はぁぁぁ! 純と優しく健やかで愛に満ちた毎日を送りぃ、純と私の愛を傷付けるような輩を皆殺しにしてぇ、えっへっへっへ!!」

 記憶を失った純に真澄は優しく接してくれた。それはおよそ六年ぶりに再会した現在でも変わらず、今の今まで彼は真澄のことを善人だと信じていた。

 それがまさか、まさかこのような怪物だったなんて。

「二人きりのお城でいつまでもどこまでも幸せに暮らすことを、誓いまぁぁぁす!!」

 日が沈み切った夜の空き家に、異様な叫び声が響き渡ってこだました。


そしてもぬけの殻になった探偵事務所には、純の相棒である深山紫音が訪れていた。

「赤石さん!」

 突然の用事で出かけたのだろうか。一瞬そう思ったが、彼女は何か嫌な予感がした。

「あれ、赤石さんいますか?」

 もし探偵の仕事だったらこちらにも連絡が入るはず。向かいの家にいるはずの真澄も今は不在なようで、事務所の辺り全体が異様に静かだった。

「これは……?」

 辺りを探していると、テーブルの上に一枚の手紙が置いてあった。

 内容は伏せられており、表には深山へと書かれている。静かに息を吐きながら紫音は手紙を開いた。

「俺の大切な相棒、深山紫音へ」

 字がぎっしりと詰まっている、無機質で飾り気の無い手紙。

 だが彼が慌てながら書いたことがすぐに分かるような内容で、紫音は思わず目を見開いてそれを読み進めた。

「こんな形で伝えることになってすまない。俺はもう、探偵を辞めようと思う」

 もう依頼を受けることは無いし、相棒であるお前と関わることも無い。何度か書き直した跡のある、至る所が曲がった字で書かれていた。

「俺は高校の時の記憶を取り戻した。竹田さんや白石先生を殺して、小野市連続殺人事件を起こした実行犯は……斉藤真澄だった」

 読み上げる声が震えていた。もしかしたらそうかもしれないと思っていた推理と、それでもきっと違うはずだと信じていた良心が衝突を起こす。

「あいつはずっと俺たちのことを騙していた。何も知らないふりをして、息をするように人を殺す。もし俺がもっと早く記憶を取り戻していれば、おばちゃんや瀬名さん、佐渡さんだって助かったのかもしれない」

 紫音は雷に打たれたように顔を上げた。日も暮れかけた窓の外、もしかすると彼は……

「あの人たちを殺したのは俺なんだ。信じてはいけない人を信じて、余計なことばかりをしてみんなを危険に晒してしまった。だから俺はその責任を取ろうと思う。もし真澄の狙いが俺だったのなら、あいつの目の前で死んで最後の望みを壊す」

 そんなことなんて無い、紫音は声を張り上げて叫びたかった。だがそんな言葉や思いは届かず、手紙は次の言葉をゆっくりと紡ぐ。

「だからお前は、俺のことなんか早く忘れろ。お前は正直で優しいからきっとどこに行っても大丈夫だ。途中で探偵の仕事を捨てた俺なんかよりも、きっと良い奴がいるさ」

 そう、それは遺書だった。酷い字で書かれ、残された人のことも何も考えていない、世界一お粗末で独りよがりな遺書。

「何度も言うが、こんな形で終わりになって本当に申し訳ない。できることならお前ともっと多くの依頼を受けて、探偵として活躍したかったな……」

 今まで本当にありがとな、深山紫音。ほんの僅かな間だけ、お前の相棒だった探偵好きの男より。

「そんな……そんな、嘘だ」

 この手紙はいつ書かれた物なのだろう。そもそも、あの人は今もどこかで生きているのだろうか、手紙の通りに死んでしまったのか。

 いや、そんなことはもうどうでも良かった。

「行かないと、私が助けなくちゃ!」

 考えるよりも先に純のためにできることを。まだ行き先も分からないのに、紫音は急いで事務所を飛び出した。


「これで終わりなんて、絶対にさせない!」

 今までしてきたことよりも、これからしたいことを考えるべきだ。純はかつて、塞ぎ込んでいた自分にそう言って手を差し伸べてきたことがある。

 あの時は分からなかったその答え。それは純と共に、探偵としての仕事を続けること。

「私も一緒に、この探偵事務所で働かせてくれませんか? 貴方と一緒なら、私も……色んな依頼を解決して、みんなを幸せにできるかもしれないので」

「ああ、もちろんだ。よろしくな、深山」

 頭の中にはあの時のやり取りが鮮明に残っている。以前の自分だったら、こんなに必死で彼を助けることなんてしなかったかもしれない。

「すみません、ここにピンク色の車が通りませんでしたか!?」

 真澄の家から車が無くなっていることに気付いた紫音は、近所の人にその行方を聞いて回った。恐らく、まだそう遠くには行っていない。

「ああ、それならさっきここを通って駅の向こうに行ったよ」

「ありがとうございます……!」

 幸運にも目撃した人は数名見つかり、紫音は線路の踏切を渡って閑静な住宅街の方に向かった。

「はあっ、はあっ!」

 確かこの先には大きな空き家があったはず。もし真澄が彼を監禁しているのなら、誰の目にも留まらないそこをきっと選ぶ。

 もうすぐ辺りは暗くなり、日が落ちていく。それに逆らうように紫音はただ走る。

「貴方のことは永遠に忘れません……年上だと思えない程間抜けで推理もできなくて、それでも世界で一人だけの相棒なんですから!」

 冬なのに全身が熱い、息が切れてくる。だけどここで足を止めたら、自分は二度と立ち上がれないような気がする。

「あか、いしさん」

 もう一歩、もう一歩だけ進むんだ私。あの人はきっと今も生きてる、そして私を待っている。

「赤石さぁぁぁん!!」

 涙と汗で額をぐちゃぐちゃに崩しながら、紫音は純を助けるために走り続けた。


 続く

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