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第20話 私は可愛いお姫様

 神戸の中心街に避難指示が出され、戦闘の末に川田製作所の会長である川田燗信が確保されてから一日が経った。

「赤石さん、おはようございます」

 粟生に住む少女、深山紫音はいつものように赤石探偵事務所を訪れた。すると奥の方から男性の声が聞こえてくる。

「ああ、おはようさん」

 彼の名は赤石純。この事務所を経営している探偵で、助手である紫音と共に様々な依頼を解決してきた。

 そしてこの探偵事務所には現在……クリスマスツリーが飾られている。

「って、どうしてこんな物が!?」

 紫音は遅れてその存在に気付いた。小ぶりながらもスイッチをつけると点灯する立派なツリーで、少し暗い雰囲気になりがちな事務所を明るく照らしている。

「依頼人に圧迫感を与えないように、少しでもカジュアルな雰囲気を出したくてな」

「そういう言い方をされるとまともに聞こえますね……」

 もちろんこれは言い訳で、今日がクリスマスイブだったからというのが最大の理由である。

「川田製作所の一件は片付き、連続殺人事件も終わったからな。これからは心機一転頑張ってみせるさ」

 その時、純の言葉で紫音の表情が一瞬だけ固まった。そういえば、彼にはまだ言っていなかったことがある。

「そ、そうですよね……」

 連続殺人事件はまだ終わっていない可能性がある。当然この事実は真っ先に純にも伝えるべきだったが、機会を失った紫音はまだ彼に伝えられていなかった。

 どうすれば良い、どうやって切り出せば。

「どうした、体調でも悪いのか?」

 そこで紫音は我に返った、今の自分はきっと浮かない顔をしていたことだろう。

「その、少し言いにくいんですけど……」

 それでも覚悟を決めて真実を伝えようとした紫音だったが、その時事務所にかかってきた電話によって阻まれてしまった。

 純が素早く電話の方に向かい、受話器を手に取る。

「はい、こちら赤石探偵事務所です」

 すると、彼は意外な人物が電話をしていることに気付いた。


「もしもし、佐渡です」

 佐渡満。以前結婚指輪を落としてしまい、事務所を訪れたことのある妊婦の女性だった。その後に同じマンションで殺人事件があり、紫音が推理でそれを解決に導いた……なんてこともあっただろうか。

「えっ、佐渡さん!?」

 純の驚く声で紫音も振り向いた。新しい依頼かと思ったら、まさか彼女だったとは。

「どうされましたか、もしかしてまた事件でも……?」

 そういえば満と話すのは半年ぶりかもしれない。純は心配そうな声でそう言ったが、すぐに向こうから否定された。

「そうではないんですけど、赤石さんに伝えたいことがありまして」

 今から事務所に行っても大丈夫ですか、と満は純に聞いてきた。

「大丈夫ですよ、どうせ暇なので!」

「それ、探偵事務所としてどうなんですかね……」

 純は最後まで笑顔のまま電話を切った、どうやら満は正午に来るらしいく、少し散らかった事務所の掃除をし始める。

「さて、今日も頑張るぞ!」

 こうして、紫音はまた事件の真相について伝えるチャンスを見失うこととなった。


 それから数時間後、事務所のドアが何者かによってノックされた。

「おっ、来たな……!」

 純はすぐに椅子から立ち上がりドアを開けた。するとベビーカーを引いた満が二人の前に現れた。

「お久しぶりです!」

「こんにちは。その子はもしかして……」

 純や紫音は初対面だった。ベビーカーを覗き込むと、赤ん坊が不思議そうな顔でこちらを見つめている。

「はい、息子の勝が産まれました」

 しばらく辺りに沈黙が走った。産まれたばかりの赤ん坊の動きに二人が息を呑む。

「うわっ、可愛いー!」

「無事に産まれたんですね、良かったです……」

 何時間でも見ていられる程の愛おしさだった。しばらく眺めた後純たちはベビーカーから離れ、満に向き直る。

「そういえば今日はクリスマスイブでしたね、あっという間というか……」

 暖かかった日々はどこかに通り過ぎ、今では雪が降り注ぐ肌寒い日々が続いている。このまま大晦日になり、一年、また一年と時が流れていくことだろう。

「ところで、私たちに伝えたいことって?」

 紫音はようやく本題に入った。すると満は何度か頷いた後、ゆっくりと椅子に座る。

「大したことではないんですよ。ただお二人に、依頼を解決して下さったお礼を言いたくて」

「お礼だなんて……そんな」

 満はベビーカーの方に手を伸ばして赤ん坊の頭を撫でた。息子の勝が産まれ、幸せな家庭を築けたことが、彼女にとっては最も嬉しかった。

「マンションで遺体を見つけてしまった時、私は怖くて動けなかった。それを助けて下さったのは探偵のお二人です」

 あの時は紫音も純も無我夢中だった。だが二人の勇気ある行動が、事件を解決に導いたことは言うまでもない。

「ありがとうございます。私たちの背中を押してくれて……」

「そんなことはないですよ、俺も深山もまだまだ探偵として修行中ですし」

 純は少し照れて顔を赤くしながら、首を左右に振って優しい笑みを浮かべた。

「私たちの背中、か……」

 紫音は窓の外を見つめた。努力が報われて依頼人たちに幸せが広がっていく。自分がこれから探偵としてどう生きるべきかが、少しだけ見えてきたような気がする。

「そうですよ。私たちはもっともっと成長して、町のみんなを助けられるように頑張らないと」

純もそうだなといった様子で頷いた。それから満は、新しく産まれた勝のことについて話し始めた。


「今日は本当にありがとうございました。それではお元気で!」

「こちらこそ、わざわざ来て下さりありがとうございました!」

 数時間後、満は純たちに別れを告げて探偵事務所を去った。彼らと会うのは久々だったが、話していてとても楽しかったと彼女は感じた。

ふと携帯を確認すると、夫からメッセージが来ている。

「用事があって母さんの家にいる。帰りが遅くなるかもしれない……」

 彼女は立ち止まって目を丸くした。ということは、今自宅に帰っても夫はいない。

「買い物にでも行こうかな」

 彼の帰りは夜になってしまうらしいが、メールの最後にはこう書いてあった。

クリスマスプレゼントもちゃんと用意してあるから、楽しみに待っててね。

「プレゼントか、楽しみだなぁ……!」

 満はありがとうと入力して送信した後、携帯を鞄に入れた。

 こちらも何か特別な食べ物を買っていこう。彼女は期待を膨らませながら、ベビーカーを引いて軽やかに歩き出した。

「……」

 探偵事務所の向かいにある家から、とある人物が満に視線を向けている。しかし彼女はそれに気付くはずも無く、ベビーカーを走らせた。


 満が去った後、純たちは事務所に戻って腰を下ろした。

「勝君か、意外に大人しそうな感じだったな」

 彼はベビーカーの中にいた赤ん坊のことを思い出した。てっきり知らない人を目にすると泣いてしまう子なのかと思ったがそんなことは無く、こちらに向けて笑いかけてくれた。

「赤石さんのこと、優しいおじさんだと思ったのでは?」

「おじさんは余計だろ、この小娘……」

 純は暖かいお茶を入れて啜り始めた。湯気カップの方から上がってくる、寒い季節では、この暖かさが体によく沁みる。

「おじさんになりたくないなら、身だしなみを整えてオシャレにも気を遣ったらどうですか?」

 答えは返ってこなかった。軽く流されたか、図星をつかれたか。

「純君がおじさんだったら、私ももうおばさんなのかな?」

「ぶっ……!」

 代わりにドアから聞き覚えのある声が響いてきたので、純は驚きと笑いからお茶を吹き出してしまった。

「いえ別にそんなこと……こんにちは」

 紫音も慌てて、ドアから事務所に入ってくる真澄に対してそう言った。

今日の彼女は少し落ち着いた赤のセーターに、チェック柄のスカートを穿いている。右手には黒いバッグを、そして左手には茶色のマフラーを持っている。

「今日は色んな人が来るなぁ、本当に……」

 少しお茶を零してしまった純は、近くにあったタオルを手に取ってテーブルや自身のズボンを拭き始めた。火傷をしていなかったのが不幸中の幸いか。

「さっき来た人は依頼人さん?」

「ああ、今じゃないけど半年くらい前に色々あってな」

 マンションで殺人事件があった話は出さなかった。一度話したような気もするが、瀬名の一件があるので今の彼女にその類の話はダメなような気がした。

「で、真澄さんはどうしてここに?」

 純は取り敢えず話を逸らし、入口に立っていた彼女を紫音の隣に座らせた。

「今日は純君に……じゃなくて、紫音ちゃんにお話があってね」

「えっ?」

 突然名前を呼ばれた紫音は驚きで一瞬固まってしまい、その後ゆっくりと真澄の方を見つめてきた。

「良いですけど、どうして私に?」

 彼女は天井を見上げて色々考えながら、笑顔でこう言った。

「詳しいことは後でちゃんと話すから、今から私の家に来てくれないかな?」

 とはいえ断る理由も無かった。紫音は頷き、先程座ったばかりの椅子から立ち上がった。

「分かりました」

「純君、ちょっと紫音ちゃんを借りるね!」

 真澄は紫音と共に事務所を出て、去り際に目を丸くしたまま座っている純に手を振った。

「ああ、元々俺のもんでもないけど……」

 事務所に一人置いていかれてしまった。彼は若干ぬるくなったお茶を啜りながら、これからどうしようかと考え始めた。


「さあ、遠慮せずにどうぞ」

 紫音は事務所の隣にある真澄の家に案内された。この家に来たのも半年ぶりくらいで、どこか中は懐かしい空気に包まれていた。

 だが何かが抜け落ちているような気がする。紫音はいけないと分かっていても、それを口にせずにはいられなかった。

「何か、寂しいですね……」

 案の定真澄は乾いた笑みを浮かべ、しばらくすると暗い表情になった。

「そうだよね、やっぱり瀬名がいないから」

 それはこちらに話しているようにも、自分自身に言い聞かせているようにも聞こえた。悲しみを振り払うように、部屋のドアノブを持ちながら彼女は首を小さく左右に振った。

「ううん……ここで私が泣いてちゃダメだよね」

 紫音は何か言葉をかけたかったが、重苦しい雰囲気に負けてしまった。次に彼女が口を開いたのは、二人でソファーに座った後のことだった。

「ところで……話とは」

「そうだったわね。まず紫音ちゃんに一つ質問しても良い?」

 真澄はそう言ってリビングのカーテンを開けた。薄暗かった部屋に日光が差し込み、一転して眩しいくらいの明るい部屋に変わる。

「連続殺人事件に真犯人がいる。純君にそのことは話したの?」

 単刀直入に聞いてきたので紫音は驚いた。やはり、彼女には見抜かれていたのか。

「よく分かりましたね、まだ話せてないんですよ……」

「やっぱり、そうだよね」

 真澄は何度も頷いた。紫音を責めるようなこともせず、彼女の瞳をただ真っ直ぐに見つめている。

「この事件の全容はまだ分かっていないし、もしかすると解決に導いていく中で私たちにも危険が及ぶかもしれない。瀬名の時みたいにね……」

 紫音は一人で事件を解決したかった。探偵として働きたいと純に頼んだ時から、危険なことは百の承知だった。

「そうです、だから私が証拠を見つけて犯人を捕まえてみせます」

「本当にできるの、貴方一人で?」

 真澄はほんの少し、わざと紫音をからかうように笑みを浮かべた。

「純君は、きっとそんなことを望んでないよ」

 そんなことは分かっている。でも今まで自分を助けてくれた、大切な相棒である純を紫音はここで失いたくなかった。

「赤石探偵事務所は純君だけの物じゃないし、紫音ちゃんだけの物でもない。二人が力を合わせたからこそ、貴方たちはここまで来れた」

 考え込んで何も言わなくなった紫音の手を握り、真澄は顔を近付けて語りかける。

「お願い、二人で瀬名の仇を打って」

「……」

 それは瀬名に寄り添う事ができなかった彼女の、心からの願いだった。

「少しだけ、ほんの少しだけ考えさせて頂けませんか?」

 真澄の言葉の重みに負けてしまった紫音はすぐに結論を出せなかった。だがその直後にこう付け加えた。

「あの人は最後まで、私や赤石さんの身を案じてくれていた……日岡さんのためにも、次の犠牲者が出るのは何としてでも止めます」

 彼女の勇気ある言葉に、真澄の表情もぱっと明るくなった。

「ありがとう。瀬名もきっと、遠くから見守ってくれてるはずよ」

 棚の上に飾ってあった写真を撫でた。そこには真澄と一緒に楽しそうにピースをする、瀬名の姿が映っている。

「困った時はいつでも呼んで。私にできることは少ないかもしれないけど」

 それから真澄はキッチンの方に入り、何かを探り始めた。

「……そういえば紫音ちゃん、お菓子とか食べるかな?」

「子供っぽい物でなければ」

 瀬名の死を受け止めた真澄に背中を押されたことで、紫音は少しだけこれからの自分を見つめ直してみることにした。

 しかし、証拠の見つからない真犯人を捜すことは簡単ではなかった。


 自宅に帰った後、紫音は部屋の壁にもたれかかった。

「犯人が日岡さんじゃないとしたら、一体誰なんだろう……?」

 事件は再び迷宮入りしてしまった。瀬名と深い関わりのあった人物を調べていけばどうにかなりそうな気もするが、そこで確たる証拠を掴めるかは分からない。

 しかし誰なのだろう、彼に罪を押し付けた犯人は。

「まさか……」

 紫音は真澄の顔を一瞬だけ思い浮かべた。いや有り得ないだろう。瀬名の仇を打って欲しいと頼んできた彼女の表情からは、嘘を全く感じなかった。

「うーん、分かんなくなってきたなあ」

 外は日が暮れてきた。考えることを止めてしまうと、時計の音だけが無情に鳴り響く。

 紫音は顔を上げて目線を天井に向けた。そうして思い悩んでいると、部屋のドアがゆっくりと明けられた。

「紫音、お菓子でも食べる?」

 祖母の凛子が饅頭を部屋まで持ってきてくれた。正直、真澄の家でもお菓子を食べたのであまりお腹は空いていなかった。

「美味しそう……じゃあ、いただきます」

「どうぞ、ゆっくりお食べ」

 だが今日はクリスマスイブだ、少しお菓子を食べ過ぎるくらいは許されるだろう。この後に晩御飯があることもすっかり忘れて、紫音は饅頭を頬張り始めた。


「さぁて、今日はこれでも食べるか」

 完全に日が暮れて夜になり、少ない街灯と家の明かりだけが辺りを照らしている。純はお腹も空いていたので、このタイミングで夕食を摂ることにした。

 一人で使うには少々大きいテーブルに、予め購入して置いたオードブルを並べる。

「いただきます……!」

 今事務所にいるのは純一人だった。本当は紫音たちでも誘ってパーティーでもしようか……と少しだけ思っていたが、彼らは家族と過ごしたいらしい。

 吾郎は今も上でぐっすり眠っているので、もう少ししたら起こそうかと思っている。

「しかしこれ、ちょっと買い過ぎたかもな」

 オードブルは吾郎と分けても少し多かった。途中で飽きてきたが、残すのが嫌いな純は頑張って自分の分を完食した。

「今日はクリスマスイブだもんな、ちょっと食べ過ぎるくらいは良いだろ……」

 ツリーの光は薄暗い事務所に、ほんの少しだけ華を添えてくれている。ついでに純はスピーカーのスイッチを押して、クリスマスらしい曲を流していく。

「ジングルベル、ジングルベル、鈴が鳴る……!」

 これでちょうど良い。一人で部屋の雰囲気を楽しみながら、こうやってクリスマスの歌を口ずさむくらいが。

 純は笑みを浮かべながら、オードブルの皿を片付け始めた。


 一方、満は買い物袋を何個も持って家への道を歩いていた。

「もうすぐだからね、勝」

 すぐ終わらせるつもりが色々と買い込んでしまったので、結局この時間になってしまった。ショッピングモールではクリスマスセールが行われており、それを狙った客でいっぱいだった。

「もう、あの人も帰ってるかな……?」

 夫は夜に帰ってくると言っていた。あれ以降連絡はしていなかったが、予定通りなら彼はプレゼントを用意して、家で待っていることだろう。

 人もあまり通らない暗い夜道だったが、満の足は軽く弾んでいた。

「よーし、この道を曲がれば……」

 あと数分で家に辿り着く所まで来ていた、その時だった。

 金属のような、何かを引きずる音が彼女の耳に響いてきた。それと同時に、誰かの足音も少し聞こえる。

「うふふふ」

 ベビーカーにいる勝は奇怪な音に笑っていた。しかし満は、何かがおかしいことに気付く。

「えっ、何?」

 足音と引きずる音は徐々に近付いてくる、これは明らかに普通の音じゃない。

「うふふふ、ふふっ……」

 今度は勝の声……ではない、怪物のような恐ろしい笑い声が後ろから迫ってくる。恐怖に押し潰されそうになったが、満は耐え切れずゆっくりと振り返った。

 手が震えている。携帯で助けを呼ぼうにも、体が思うように動かない。

「あ、貴方は……!?」

 その姿を見た時、満は驚きで喉が干上がるような感覚を覚えた。


 それは影だった。連続殺人事件を起こし、純たちを恐怖に陥れた本物の怪物。

「どこに行こうとしているのかな、満ちゃん……?」

ただ、それは女性の姿をしていた。フードからはウェーブのかかった黒髪が伸び、細くて綺麗な腕で鉈を引きずっている。

 満はその人物をよく知っていた。震える声で、彼女の名前を口にする。

「斉藤、真澄……!」

 その正体は真澄だった。彼女は影のようなコートを纏った姿で、ゆっくりと満に歩み寄っていく。

「久しぶりね。知らない間に子供なんて作っちゃって、羨ましいな」

 真澄は赤ん坊の方を見つめた。そして満の方を見上げ、凍り付くような視線で睨みつける。

「貴方が、まさか貴方が連続殺人事件の犯人だったの!?」

「嫌な言い方だなあ、私はただ私の愛を守りたいだけ。私の愛が分からない人はみんな殺して、みんなを私の愛でいっぱいにする……」

 彼女は引きずっていた鉈を振り上げた。その刃は、袋を取り落とした満の方に向いていた。

「ねえ、とっても可愛いと思わない?」


 満は必死に逃げようとしたが、真澄に追いつかれて肩を掴まれてしまった。

「やめて、せめて勝だけは……!」

 せっかく大切な人と結ばれて子供も産まれたのに。私の、私の輝かしい人生がこんな所で終わるはずがない。

 これは何かの夢なのだ。いつかは覚める、こんなことは信じない。

「何よ優しい母親みたいに、あんたのせいで私の心が、私の愛がどれだけ傷付けられたと思ってるの!?」

 しかしそんな淡い妄想を一瞬でかき消すように、真澄の金切り声が飛んできた。

「好きな人と結ばれて、こんな可愛い子供まで作った。クズのくせに! 私はたくさん頑張ったのに運命の人ともまだ結ばれてないのに、あんたは人の心を傷付けておいて幸せな家庭を作ろうとした。私をバカにしてるのあんたは? そうか、そうなんだね。私はもう一人じゃないけどあんたは一生一人でいろと、そういうことなんだよね? 許せない、許せない憎たらしい図々しい腹が立つ、ああ腹が立つっ! すぐに殺してやるわあんたのことなんか。一分でも早く、一秒でも早く、すぐにあんたを殺してやるこの裏切り者ぉ!」

 そして次の瞬間、鉈が凄まじい勢いで満の首に突き刺さった。彼女は何が起こったか分からない表情を浮かべていたが、遅れて強烈な痛みが襲ってくる。

「うっ、あああっ!」

 首から血がこんなにも流れている。これって全部、私から出た血なんだ。

「いや、いやだよ。こんな……」

 視界が揺らぐ満を嘲笑うように、真澄は彼女の耳元でこう囁いた。

「愛なのね。ええそれもまた、愛なのよ」

 その言葉が最後に聞こえ、満は意識を失った。

 真澄は彼女が痙攣を起こして倒れたのを見届け、彼女の腕に鉈を振り下ろした。肉が引き裂かれるような生々しい音が辺りに響き渡る。

「早く切れなさいよ、もっと早く……!」

一度では切り落とせないから何度も、何度も大きな鉈を振り下ろしていく。

「ああ本当にしぶといわね、しつこいわねぇ。何もできないクズのくせに!」

 やがて、真澄は彼女の右腕を完全に切り落とした。


「さあ、次は君だよ。勝君……だったっけ?」

 満を完全に殺害した後、真澄は鉈を掴んでベビーカーの方に向き直った。当然だが、赤ん坊は隠れようとも逃げようともしない。

 それどころか、刃物を向けられても状況を理解せずに笑っている。

「はは、あはは……」

「嬉しいの、私に殺されることが? そうか、そういうことなのね」

 真澄は顔を俯けて笑った。きっとこの赤ん坊は、目の前で自身の母親が殺されたことにも気付いていないのだろう。

「君は特別に優しく殺してあげるわ。一撃で、痛む暇も無いくらいにね!」

 可哀想、不憫……いや、赤ん坊の姿は非常に滑稽に見えた。表情が変わる前に、真澄は彼の首に向けて鉈を突き刺した。

「あぅっ……」

 満と同じ場所に、満と同じ死に方で。だが、赤ん坊は最後まで何が起きたか分からないといった表情で死んでいた。


 真澄は全てが終わった後、満と赤ん坊の遺体を見比べた。気付けばベビーカーも自分も、血塗れになっている。

「親子で仲良く死ねて良かったわ。これで満ちゃんも寂しくないよね……」

 満の死んでいる姿はとても可愛らしく見えた。先程までの明るい表情は崩れて、涙を流しながら恐怖に怯えた顔で転がっている。

 これでまた一つ、真澄は自身の目標に近付くことができた。

「さあ紫音ちゃん、また殺人事件が起きちゃったわよ。もう二度と誰も死なせないなんて言っちゃったのに可哀想にねぇ……?」

 真相に近付いた紫音を、そして父の吾郎も純の目の前で殺害する。そうすれば彼の心は真っ二つに割れるだろう。

 真澄は手慣れた様子で手袋を付け、二人の遺体を脇に運んだ。

「純と二人きりのお城で暮らすためよ。あんたには犠牲になってもらうわ」

 彼女の次の目標は深山紫音。死を目前にした紫音は、一体どんな顔をして泣いてくれるのだろうか。

「そうだ、あそこに寄ってみようかな」

 真澄は行くべき所があったのを思い出した。人目を避けながら、ひとまず彼女は自身の家まで早足で向かった。


 続く

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