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第2話 みぎてとひだりて

 むかし、むかし。

 とあるもりに、ひとりのかりうどがすんでいました。おおくのいきものをかり、ひとりしずかにいきていました。

 しかし、かれはあるひ、こうかんがえました。

(ぼくはなんのために、いきているんだろう。ごねん、じゅうねん。いきのびても、そのさきになにがあるんだろう。)

 とぼとぼと、もりをさまよいました。そのときでした。

「だれだ?」

 しげみになにかのけはいをかんじたのです。

 くまか、おおかみか。しげみはなんどかふるえたあと……


 ひとりのおんなのこが、でてきました。

「すみません……ちょっと、みちにまよってしまって」

 かなしいかおで、かりうどにいいました。ですが、

「ちがう。ここはきけんなばしょだから、ふつうのひとはちかづかないはず。なにをしにきたんだ?」

 そのことばがうそだと、かりうどはすぐにきづきました。

「ごめんなさい! じつは、わたし……」

 おんなのこはなきながら、かりうどにほんとうのことをはなしました。


「いじめられた?」

「はい」

 おんなのこはひたりききでした。だけど、ともだちはみんなみぎきき。

 まわりからへんなこだとばかにされ、いじめられていたのです。そんなことが、ありえるのか。おなじひとどうし、どうしてなかよくなれないのか。

 かりうどは、とてもおこりました。

「かりうどさん。わたしが、わるいんですか?」

 でも、おんなのこのなみだをみて。かりうどはいかりがおさまり、かわりにかなしいきもちになりました。

「わたしが、みんなとちがったから。みんなといっしょになれなかった、わたしがわるいんですよね?こんなわたし……こんなわたし!!」

「ううん、そんなことない」

 おんなのこのことばをさえぎり、かりうどはたちあがりました。


「きみは、きみのいきかたをまもればいい。ひだりききだろうと、みぎききだろうと。ぼくは、きみのことがすきだ」

 かりうどは、ききうでのみぎではなく。ひだりのてを、おんなのこにさしのべました。

「ぼくのみぎては、おおくのいきものをきずつけてきた。たくさんのものにふれて、ひどくよごれちゃったんだ。だから、ぼくのひだりてで。きみのひだりてを、にぎってあげるよ」

 とてもきれいで、とてもやさしい。かれのひだりては、まほうのおてて。

「かりうどさん……」

 おんなのこはなみだをふいて、かりうどのひだりてをにぎりました。

「わたしも、だいすき」

 おんなのこはそのとき、じぶんはひだりききでよかったとおもいました。かれのきれいなおててを、にぎることができたから。

 かりうどとむきあって、あくしゅをすることができたから。

 そのあと、かりうどとおんなのこは。もりのおくふかくで、いつまでも。おだやかにくらしましたとさ。


「人、来ませんね……」

 あの出会いから、翌日。紫音は軽い身支度を済ませた後、純の探偵事務所を訪れていた。

「いつものことだ」

 眠い目で机に座っているのは、面倒くさがりなこの事務所の主。自称探偵の、赤石純だ。

「赤字で経営難。それにご近所にも絡まれて、いつ解体されるか分からねぇ……まだ二十四なのに、この先どうすんだよ」

 キョロキョロと辺りを見回し、あの時のようにまた机に突っ伏した。

「寝るわ。依頼来たら起こしてくれ……」

 色々な問題が積み重なり、純は考えるのを放棄したようだった。

「はぁ? 何でわざわざ貴方を起こさないといけないんですか? 大体、まだ朝の十時ですよ!」

 紫音は時計を指さして叫んだが、彼からの返答はなかった。

「すぅ……」

「はぁ。もう私は知りませんから」

 そうは言ったものの。寝ている彼の姿を見ると、何だか複雑な気持ちになってしまった。

(あの時も……)

 最初に寝ている純と出会った時も、不思議な気持ちが溢れてきたことがある。あれは、何だったのだろうか。

(ちょっとだけ、ちょっとだけなら……!)

 この気持ちが何なのか、確かめたい。寝ている彼に、ゆっくりと手を伸ばした。


 すると、事務所の電話が鳴った。

「へぇっ!?」

「うん……? おっ、でんわかぁ?」

 純はまだ寝ぼけた様子で、受話器を掴んだ。

「はい、こちら赤石探偵事務所です」

 だが純はその後怪訝な顔をして、すぐにこう言った。

「電話番号を間違えてますよ。あ、はい。大丈夫ですよ、へへっ!」

 そして、受話器を下ろした。

「……間違い電話、だった」

「ビックリさせないでください。ほんと、もう少しだったのに……」

 紫音の言葉は、最後だけ小さな声になった。

「どうしたよ?」

「いえ、なんでもないです」

 純は怪訝な顔をしたので、紫音は慌てて首を振った。

「以前から思ってたんですけど、赤石さんって左利きなんですね」

「ああ、そうだよ。それが何か?」

「いや、ちょっと変わってるなぁって」

 紫音は暖かい緑茶をカップに入れ、ゆっくりと啜った。流石に、コーヒーを飲む気は起きなかった。

「私は右利きなんですけど。やっぱり、左利きの人を見ると違和感がありますね」

「俺は昔からずっとこれだから、違和感は持ったことねぇけどな」

 純も緑茶を入れて飲み始めた。

「でも……そうだな。子供の頃、左利きだったから変人扱いされたことはあったよ」

「変人扱い?」

 カップを一旦下げ、紫音が不思議そうな顔をした。

「そう。何せ、純粋な左利きって一割しかいないんだって? それでお袋に、何で俺は左利きなんだよって言ったことはある」

 純は本棚を探り、一冊の絵本を取り出した。それは「かりうどのひだりて」というものだ。使い込まれたのか色は少し禿げているが、それも思い入れを感じる絵本だ。

「たとえ左利きでも……周りと違ってても良いんだよって。お袋はこの絵本を読み聞かせてくれた」

 紫音は絵本を手に取り、中を少しだけ読んだ。左利きの女の子は周りから孤立していたが、優しいかりうどと出会って助けられ、二人は森で仲良く暮らしていった、という物語。

 最後には絵本らしく、「めでたし、めでたし」と書かれていた。

「お袋はまだ若かったのに、病気でな。でも、その絵本はどうも思い入れ深くて……すまん、馬鹿みたいな話だろ?」

「いえ、そんなことは……」

 紫音は改めて、絵本をまじまじと見つめた。

(私が、みんなと違ったから。みんなと一緒になれなかった、私が……)

 その言葉が、棘のように突き刺さる。脳裏に浮かぶのは、あの時の……

「すみません、元の位置に戻しておきますね」

 紫音はそこで自分の思考を振り切り、絵本を元あった本棚に戻した。

「ん……? 何だこの音、パトカーか?」

「そうみたいですね」

 サイレンの音が鳴り、事務所を通り過ぎる気配がした。そして、少し遠くの場所で止まったようだ。

「こんな所で珍しいな。行ってみるか?」

 椅子から立ち上がり、純は鏡で身だしなみを軽く整えた。

「じゃあ、私も行きます」

 何だか底知れない、嫌な予感がしたが…二人は事務所を出て、パトカーが止まった場所まで向かった。


 そして、嫌な予感は的中し始める。黄色いテープが貼られ、そこに何人かの警察官が入っていく。

 テープの外側には、人が集まっていた。

「何だこれ……!?」

 遠いのでよく見えないのだが、警察官が作業している所には、明らかに血のようなものが飛び散っている。

「まさか、何かの事件ですか……ひっ!?」

 紫音はそこで、何かを見つけてしまった。

「おい深山、どうした?」

 純は、未だに気付いていない。

「あ、ぁ、ぇ……うそ、うそぉ……!!」

 紫音は足がすくみ、もう逃げる力もなくなっていた。人形のように、その場から動けない。


 昨日、純の事務所に押しかけていた北条健太が、そこで死んでいた。腹は複数箇所斬られ、右腕は肘から先がない。

「なっ……!?おいおい、嘘だろ?」

 純も遠目だが、その惨状に気付いた。

「み、右腕が……」

 純は紫音の目線を追いかけ……そこで後悔した。切断された右腕は、隣の側溝に投げ捨てられていた。


「まさか……」

 現場に集まっていた警察官が少し離れると、飛び散っていた血がはっきりと見えた。

「はぁ、はぁ……!」

 紫音は胸に手をあて、気持ちを落ち着けた。

 そして、純もようやく実感が湧いた。つい昨日まで自分を怒鳴り、事務所を解体しろと叫んでいたあの男が、何者かに殺されたということに。

「これで、三回目か」

「……えっ?」

 純の言葉を、紫音はよく理解できなかった。不審に思って聞き返そうとしたが、何者かの声によって阻まれた。

「赤石君じゃないか。こんなとこで何しとるんや?」

 テープをくぐり、一人の警察官が出てきた。歳は四十代ほどで、見た目は少々怖めの男。

「三木さん。どうも、お久しぶりです」

 純も警察官に挨拶をして、次に紫音の方を向いた。

「この人はリンさんの孫で、深山紫音っていう子です。先日ね、依頼を手伝ってもらったことがあったもので」

 三木という男に、紫音のことを紹介した。

「そうか……私は三木遼磨(みきりょうま)、小野の警察署に務めてる巡査部長だ、よろしくな」

 遼磨は紫音に笑って挨拶をしたが、紫音はどうも気難しい顔をした。

 凄惨な殺人の現場を見てしまったショックも大きいが……それとはまた別に、初めて会う人にはやはり気が引けてしまう。

「はい、よろしくお願いします……」

 細々とした声で、そう答えた。

「三木さんは以前、俺の事務所に来たことがあるんだ。その、仲介役というか……」

 純が言葉に詰まったので、遼磨が付け加えた。

「殺害された北条健太さんは、赤石君とご近所トラブルで度々口論になっていてね」

「それは知ってます……田んぼに日が当たらなくなったとか」

「そう。それで私が双方の話を聞き、仲介に務めたんだがね……北条さんが途中で怒り始めて、どうしようもなくなったんだよ」

 そこで、純は申し訳なさそうに頭を下げた。

「あの時は、どうもすみませんでした」

「いや、君が謝ることじゃない」

 遼磨は再び、北条の遺体に目を向けた。

「しかし、ご近所トラブルがもつれて殺害事件にまでなったか。ここまで来ると、驚きで声も出ないよ」

「そうですね。よくある話ですけど、酷いことだなって……ん?」

 純はそこまで言いかけ、慌てて首を振った。

「俺じゃないですよ!?」

「冗談だよ。君はそういうことをする人間には、とても見えない」

 遼磨はテープをくぐり、現場に戻ろうとした。

「三木さん。今回の事件も、連続通り魔ですかね?」

 純がふとそう聞き、遼磨は振り向いた。

「そうなんじゃないか?殺害方法も酷似しているし。とにかく、後は我々警察に任せなさい」

 遼磨は最後に手を振り、現場に戻った。

「ちょっと待ってください。連続通り魔ってどういうことですか?それに、三回目とか……」

「ああ。ちょっと、帰ってから説明する」

 純は逃げるように現場から離れ、紫音を連れて事務所に戻った。


「小野市連続通り魔事件、三人目の犠牲者と思われます」

 遼磨は現場の捜査が終わり、警察署に戻った。

 図書館やショッピングモールの近くに建てられているこの警察署は、主に小野市で起きた事件を担当している。五年前に建てられたため、建物自体はまだ新しい。

「被害者は北条健太さん、六十四歳。腹部を大型の刃物で複数回斬られ、右腕が切断された状態で路上に放置されている所を地元住民が通報。死亡推定時刻は今日の早朝、四時頃です」

「すいません、質問があります」

「どうぞ」

 事件の概要が説明された後、一人の警察官から質問が入った。

「小野市の連続通り魔事件とは何でしょうか?」

 最近新たにこの警察署に配属された、恵比寿伸也(えびすしんや)(ひろ)()大和(やまと)という警察官がいた。今質問をしたのは、伸也の方だった。

「皆さんにも、改めて説明をします。小野市では最近数ヶ月で、通り魔と思われる事件が三件起きています。被害者同士に接点はなく、深夜や早朝に路上で殺害されていることから、通り魔事件と推測されます。さらに、遺体は大型の刃物で腹部を斬られ、さらに死亡後に右腕を切断されています」

 被害者の写真。そして、遺体の写真がボードに貼られた。

「……」

 言葉には出さないが、ここにいる誰もが、その凄惨さに息を呑んでいるように見える。

(とても人間の仕業には思えない……いや、こんなことが有り得るのか?)

 大和も、驚きで言葉を失った。

「住民の方々には、不要不急の外出は控えるように勧告を。巡回も徹底し、不審者を発見したら即座に連絡して下さい」

 遼磨は眉間に皺を寄せ、体を震わせた。

(こんな時に上は、「あっち」の監視に目を光らせている。防犯カメラも少なく、犯人の目撃情報も存在しなければ犯人の姿も分からない……できることは、何かないのか……!?)


「おお、純。さっき起きたぞ!」

 事務所に帰ると、一人の男が椅子に腰かけていた。白髪が少し目立つが、まだ六十にもなっていない程だろう。

「ただいま、親父。」

「おかえり! 後ろにいるお嬢ちゃんは、純が昨日言ってた子か?」

 純の父親は椅子から立ち上がり、軽くお辞儀をした。

「純の父、赤石吾郎(あかいしごろう)だ。純は世間も分からぬ小僧だが、どうか仲良くしてやってくれ」

 その声には妙な凄みがあり、紫音も少し脅えながら頷いた。

「怖がらなくていいさ、ガッハッハ!! この街の人たちは、みんな違ってみんないいのさ!」

「みんな違って……はい。とっても、個性的な街だと思いますっ……」

 表情からは悪意が感じられないため、恐らく良い人なのだと紫音は思った。

(でも、何かちょっと、圧が怖い……)

「そうだ親父。ケンのおっちゃんが右腕切られて殺されたんだってよ。」

 純が思い出したかのように言うと、吾郎は目を丸くした。

「ほぉ!? でもあいつは難癖をつけるのが趣味みたいなモンだし、別段悲しいとは思わねぇな。他のご近所とも争ってたって聞いたぞ」

「えっ……? あの人、他の家にもあんなことして回ってたんですか!?」

「ああ。でも通り魔は最近で三回目だな。嬢ちゃんも家に鍵かけて、リンさんとステイホームだぞ!」

「す、ステイホームですね……はい、心がけます」

 一通り語り終えた後、吾郎は事務所の扉を開けた。

「ついでだ、ウチの畑を見てくる!」

「気を付けろよ~!」

 純はその姿を、楽しげに出迎えた。

「俺はまだまだ元気だよ……ガッハッハ!!」


「アツい親父だろ。キレる時もアツアツなんだよ、へへっ」

 純は扉を閉めた後、紫音に笑いかけた。何かを言い終わった後に笑う癖があるのは、父親譲りなのだろうか。

「で、通り魔事件って何ですか? 今月で三件目って聞きましたよ?」

「それか。まったく、物騒な話なんだけどな……」

 純も椅子に腰掛け、紫音と向かい合った。

「この小野市で起こってる、連続通り魔事件だよ。三木さんの話によると遺体は大型の刃物で腹部を何回も斬られて、右腕をちょんぎって路上に放置さ。数ヶ月……二、三ヶ月くらいの間に、三件起きてる」

 純はカレンダーを見て、指を三本立てた。

「多いですね……ここって田舎だから防犯カメラも少ないし、犯人の姿とかも分からないんじゃないですか?」

「三木さんもそう言ってたよ。とにかく不要不急の外出はせず、鍵をかけて家にいろってな」

 そこで純は、少し渋い顔をした。

「一人は俺の以前の家にいた、ご近所さん。こっちはまともな人で、たまに果物とかくれたこともあったな。もう一人が中学時代の同級生で、小野駅近くの、花兎園という老人ホームの裏に住んでた」

「待ってください。解体……じゃなくてケンのおじさんは、赤石さんとご近所トラブルがありましたよね? 被害に遭った人たちって、赤石さんと関わりが深い人たちじゃないですか?」

 純は一瞬天井を見上げて考えるような素振りを見せて、首を振った。

「マグレだろ。ケンのおっちゃんは関わりが深いってわけでもないし、中学時代の同級生なんて割といるしな。一人でいるところを襲われてるわけなんだから、間違いなく通り魔事件だ」

「どうするんですか?犯人を捕まえないと、ここの人たちが危ないですよ」

 小野市で起きていることなら、ここも他人事ではない。実際、昨日まで元気に生きていた男が一人、命を奪われているのだ。

「だとしても……俺たちが下手に関わって、襲われて殺されたらどうする?」

「それは……」

 紫音は、そこで言うべき言葉が無くなった。相手の素性が全く分からない以上、犯人を見つけようがない。

 それで、自分たちが襲われてしまったら……

「この件は関わらない方が良い。自分の身を守ることを最優先するべきだ」

「そうですね……」

 紫音は、ただ頷くしかなかった。


「はぁ……」

 ようやく解放された遼磨は、椅子に一人座り込んでいた。

(どうしようもない。どうしようもないけど……)

 指を絡ませながら、必死に事件のことを考えていた。その時、若い男の声が聞こえてきた。

「大丈夫ですか、三木巡査部長?」

「ああ……君は確か、新人の恵比寿君だったか」

 声の主はこの警察署に新しく配属された、恵比寿伸也のものだった。


「君はどう思う? 小野市の、連続通り魔事件について」

「そうですね……確かに、恐ろしい事件だと思いました」

 日の光が、僅かに窓から入ってきている。周りには人がいない中、警察官が二人で椅子に座っている姿は、どこか寂しさを感じる。

「私は、どうしようもできない自分に、腹が立って仕方ないんだ。犯人は必ず確保しないといけない。だが、証拠が無い上に得体の知れない犯人と戦うなんて、到底無理なことなのかもしれない……こういう時に、警察官は役に立てないのか。そういう考えが、延々と頭の中を巡っていくんだよ」

 遼磨の体は、またしても震えていた。それは歯痒さでもあり、恐怖心でもあるかもしれない。

「でも、もし警察官が諦めたら……街の人たちは、どうなりますか?」

 だが、伸也が返したのは、そんな言葉だった。

「どれだけ犯人が恐ろしくても、得体が知れない悪魔だったとしても。警察官なら、その体で立ち向かっていかなければいけないと思います。大村だって、そう言いますよ」

 そして、伸也は遼磨の方を向いた。

「平和な世界を作るのは難しいです。でも、街のみんなが笑顔になれるように。幸せになれるように努力するなら、私たちでもできると思うんです」

 最後に、お辞儀をして去っていった。

「では、失礼します」

 彼の後ろ姿は、日の光に照らされてより立派に見えた。

「赤石君もそうだったが。夢に向かって一途な若者は、あれだけ綺麗に見えるのか?不思議なものだなぁ」

 うわ言のように呟いて、遼磨も席を立った。

「だったら、私も負けていられるものか」


「……」

 事務所には再び、静寂が訪れた。

「……やっぱり」

 通り魔事件について深く調べれば、きっと何かが分かるはずだ。犯人に辿り着ければ、あとは警察の仕事だ。

 でも、紫音の言葉は寸前で飲み込まれた。右腕を斬られ、血が大量に出ているあの光景が……今度は私たちが、そうなるかもしれない。

 純もそんな様子の紫音を理解した上で、沈黙している。

 その時、インターホンが鳴った。

「誰だ……?」

 純が玄関まで向かい、扉を開けた。


「はい、赤石探偵事務所です」

 そこで出てきたのは、妊婦の女性だった。髪は長めだが、整然と切り揃えられている。くっきりとした瞳と穏やかな顔が、印象に残る。

「私はこの近辺に住んでいる、佐渡(さど)(みちる)という者です。依頼をしたいのですが、大丈夫ですか?」

 それは、純が求めていた新しい依頼人だった。


 続く

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