永遠に枯れることのない想い③
コン、コンと、控え目なノックと共に「お嬢様、失礼いたします」という声が廊下に響き渡る。
そして、その声から数秒の時間が流れ「入って……」と、部屋の中から入室の許可が下り、メイド姿の女が室内に入る。
「モニカ、おはよう……」
お嬢様と呼ばれた少女は、未だ眠気眼な表情で艶のある綺麗な桃色の髪に櫛を通している。
名をシエラ・アルパトス。
アルパトス伯爵家の次女で、ワタルの元婚約である。
既に二十歳を過ぎたシエラだが、その姿は十台半ばと言っても過言では無いほどに若々しく、触れたら壊れてしまいそうな儚さを持っている。
「おはようございます、お嬢様。そろそろご当主様と奥方様が朝食の席に着かれます。お急ぎを」
モニカの呼ばれたメイドが、スカートの裾を摘まみ頭を下げながら主に進言する。
「わかったわ……お父様達を待たせる訳にはいかないよね……準備は出来ています」
モニカは主の言葉に頷き、シエラを朝食の場へと誘導する。
朝食の場には、既にシエラの父であるグレン・アルパトス伯爵と、シエラの母であるクレア・アルパトス伯爵夫人が席に着いていた。
「お父様、お母様、おはようございます……遅くなって申し訳ありません……」
シエラは席につく前に、両親に朝の挨拶をする。
「うむ」
「おはようシエラ、私達も今先来たばかりだから気にしないで。さぁ、席にお座り」
寡黙なグレンとは真逆に、シエラの母であるクレアが物腰の柔らかい口調を最愛の娘へと向ける。
「はい……失礼いたします……」
シエラが席に着いてから一拍置いて、使用人達が次々と食事を運ぶ。
食事を口にしながら、グレンが思い詰めた表情で口を開く。
「シエラよ。お前の結婚式まで後一週間を切った。最後に問う……」
当主の言葉に、シエラやクレアだけだはなく、その場にいる使用人全員が固唾を飲む。
「本当に奴でいいのか?」
「あなた……」
クレアは何か察した様だがそれを口にする事はしなかった。
「はい……カルロスさんがいいんです……私は、彼を愛しているのです……」
シエラは曇りのない眼差しをグレンに向ける。
「そ、そうか……もう、ワタル殿の事はいいんだな?」
父の返しにシエラは首をかしげ言い放つ。
「……ワタル……? 誰…ですか?」
◇
シエラは、元々ワタルと同じように宮廷魔導士として国に仕えていたが、ワタルとの結婚が決まり、寿退役をしている。
ワタルは宮廷魔導士師団長としての初陣であるオルフェン王国との戦争から帰ってきたらシエラと式を挙げるつもりだった。
誰もがワタルが戦死するなんて想像だにしなかったのだ。
傷一つない姿で皆の前に現れると、ワタルを知っている者達であれば、誰もがそう思っていた。
そう思わせるほどの力をワタルは持っていたのだ。
だが、ワタルは帰って来なかった……。
その報せを聞いたシエラは、絶望し、悲しみに溺れ、何度も自分の命を絶とうとした。
彼女の両手両足を拘束せざるを得えないほど、シエラは……。
色々な手を使っても変わらないシエラ……そこで八方塞なグレンが頼ったのは、遺物であった。
遺物は様々な効果を持つ。きっとシエラのこの悲しみから救ってくれる遺物があるかもしれない! と国中を探した結果、グレンの元に現れたのがカルロス・マングースだった。半年ほど前になる。
マングース商会は、遺物で成り上がった歴史の浅い商会ではあるが、今やこの国で三本の指に入る程の大商会へと成長していた。
名のある商会の、更にその跡取りが娘を悲しみの渦から救い出せる遺物を持って現れたのなら、喜んで出迎えるのが普通だろう。
だが、カルロスと名乗った男は、顔には能面の様な仮面を付けており、また、全身を覆い被せるようなローブを纏った者を伴って現れた。
不信感が募るグレンであったが、背に腹は変えられない。
「カルロス殿、貴殿には我が愛しい娘を救える術があるのか?」
「お任せ下さい、シエラ様は勉学を共にした間柄……今回は、商会の代表としてではなく、一元学友として、友を救う為に私はこの場にいるのです」
もちろんグレンは、以前カルロスがシエラに対して行った愚行を知らない。もし、知っていたのならカルロスはこの年まで生きていなかっただろう。
グレンは、カルロスに対して不信感を抱いた自分を恥じ、友を救う為に来たという、この男に頭を下げ「頼むっ! 娘を救ってくれ!」と声を荒げた。
「頭を上げてくださいグレン様、シエラ様の事は任せてください。私が必ず救って差し上げましょう。それが、我が友ワタルの願いでもありましょう」
さらに、ワタルの名前が出た事に、カルロスに対する信用は確固たるものとなった。
「うむ。では、早速娘の元へと急ごう」
早く娘を悲しみから解放させて上げたいと言う気持ちに引っ張られているグレンはせかせかと執務室の入口に向かうが、「一つお願いがあります」というカルロスの言葉に、その足取りが止まる。
「申してみろ」
『はい、では。シエラ様には、私がカルロス・マングースという事は当分の間内緒にしていただきたく』
「なぜだ? 貴殿と娘は学友なのだろ?」
「だからこそです。今のシエラ様は他人なら未だしも、私の様に親しい間柄の者に今の姿を見せたくないでしょう。なので、彼女が落ち着くまでは私という存在を明かしたくないのです。全て友を思うがために」
この言葉にグレンは感銘をうける。カルロスとしては、その存在をシエラに知られれば100%拒否され、下手したら以前カルロスが行った愚行がバレるかもしれないという理由なのだが、そんな事はつゆもしらないグレンにとっては目頭が熱くなる言葉だった。
「貴殿の心遣い感謝する。貴殿の正体は言われた通り当分の間秘匿すると約束しよう」
その言葉に仮面の下のカルロスの口角がつり上がっていたの事にグレンは知る由もなかった。
◇◇
「本当にこれで良かったのか……」
グレンは、執務室の机で右手を額にあてながら複雑な表情をしていた。
「あなた……」とそんなグレンを心配そうに見つめるクレア。
「確かにシエラは以前とは比べ物にならないほど明るくなった。自ら命を絶とうとする事もなくなり、食事もちゃんと取るようになった」
そう、カルロスは遺物を用いてシエラを救う事ができた。
「だが……」と口にした後、一度ため息を交えカルロスは続ける。
「完全にワタル殿を忘れてしまった……本当に良かったのか? あれだけ好きあっていた相手の事を……父親である私が嫉妬してしまうほどに慕っていたワタル殿の事を……」
今の娘の記憶の中にワタルの存在がいない事は知っているのだが、聞かずにはいられず、聞いてしまった後は、それを聞いてしまった事を後悔してしまう。
「ワタルちゃんさえ生きていてくれれば……いいえ、今更こんな事を言っていても仕方ないわ……」
そう思ったのは一度や二度や二度ではない。それはグレンも同じ思いだ。
グレンの口から自然と深い溜め息が漏れる。
「今日でしたよね? ミラちゃんが来るの」
クレアは重い空気を変えるために、話題を変える。
「あぁ、昼頃には街に着くとの報せがきている」
「じゃあ、歓迎会の準備をしないとですね」
「そうだな……遥々ここまで足を運んでくれるんだ、こんな辛気臭い顔での出迎えは失礼だろう」
「娘の晴れ舞台だしな」とグレンは続けた。
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