イドラ ④
誤字脱字修正しました。(21.4.8)
「こ、殺してくれって……」
子供の様に泣きじゃくるイドラさん。
彼女の願いは、自分を殺して欲しいという事。
自分の命を持って、この事態に蓋をしようと思っているのだろうけど……。
「イドラさん、それは出来ない」
「なんで、ですか? 貴方様なら私如き簡単に殺せるではありませんか!」
そう。俺が彼女の命を奪う事なんて実に容易い、が……。
「人を何だと思っているんですか? 俺は殺人鬼ではない。誰がすき好んで人の命を奪うか……あなたのような人だったらなおさらだ!」
「でも!」
「もし、俺が貴方の為に何かするなら、それは貴方の事を殺すのではなく、貴方を生かす事です」
「咲太さ、ま……?」
「生きましょう、イドラさん。幸いこの世界には幼い貴方がいる、この世界の事は幼い貴方に任せて、あっちの世界で今度こそ何にも縛られる事無く幸せに生きましょう! それが、貴方に“幸”という名前を授けた両親の願いだと思います。 そして、何よりも俺が貴方に生きて欲しい!」
俺の言葉にイドラさんの両目から更に涙が流れる。
その様子を静かに見守っていると、俺の腹部に何かが絡みつき、ぎゅうっと締め付ける。
紗奈だ。紗奈に抱きしめられている。
俺に向けている、今にも閉じてしまいそうな彼女の大粒な瞳は、弱々しくも何か満足そうで、微笑が口角に浮かぶ。
「サクのそういうところ、大好きです」
「紗奈!」「紗奈ちゃん!」
真紀と早紀がガバっと立ち上がる。
「真紀さん、早紀さん、心配かけてすみません……」
「心配なんかしてねーし! 無事だってわかってたし!」
真紀は通常運転だ。
「うふふ。兄さん、こんな事言ってるけど、すっごく心配してたんだよ。美也子さんの次くらい」
美也子さんの次くらい、それはうちの課で二番目ということだ。まぁ、心配する人にランキングをつけるなんてどうかと思うが、早紀のそれは悪気があるわけではない。それくらいの心配していたと言うことを言いたいのだろう。
「ちょ、早紀! 余計な事いうんじゃねー!」
つい先ほど見た様な光景が目の前で繰り広げられる。
「大丈夫か? 紗奈」
「はい、まだ少し眠いです」
一週間も寝ずにイドラさんの洗脳に抗って、たった三十分くらいしか寝てないJKのセリフとは思えないが、まぁ俺達はこんなもんだ。
てか、急に大好きなんて言われて正直狼狽えていたが、真紀達が正気に戻れる時間を作ってくれて助かった……。
「どうする? 起き上がるか?」
俺的に紗奈の色々と柔らかい温もりを感じる事が出来るからこのままでいいのだが、体勢的に紗奈が辛そうなので、そう聞くと「いや」と短く返される。どうやら同じ思いらしい。
そして、「もう絶対離れないもん」と、幼児の様な事を言い出す紗奈が愛くるしくてたまらず「お、おう」と言葉が詰まってしまう。
俺達の、端から見たら胸やけがしそうなやり取りに、真紀達は呆れ、師匠は「うむ、うむ」と頷いている。好々爺か!
いかん……。こんな事やってる場合じゃない。
自分を殺してくれと懇願し、大粒の涙を流している女性を前に何をいちゃついているんだ、俺は!
「ごほん、すみません。こんな時に」
「い、いえ、謝っていただかなくても……ふふ、何かお二人をみていると昔を思い出します」
殺された旦那さんとの事を言っているのだろう。
「私もよく彼に甘えていました。私が彼に甘えると、今の咲太様の様に照れてるのに無理に隠そうとしてやせ我慢している顔を見るのが好きだった……この世界にはあの人も生きているんですよね……」
懐かしそうに、愛おしそうに思い出を振り返るイドラさんの翡翠色の両目からはいつの間にか涙が止まっていた。
「イドラさん、貴方にこの世界は滅ぼせない。それは貴方を見れば一目瞭然だ。だからと言って、残ったもう一つの道は貴方が死ぬことではなく、生きる事だと思います」
くどい様だが何度でも言わせてもらおう。
「……生きる……私はどうしたら……?」
「簡単な事です。迷惑をかけた人にごめんなさいすればいいんです。それでダメだったらどうしたら許して貰えるか一緒に考えましょう。俺がついています。俺はイドラさん……いえ、幸さんの味方です」
ここは、あえて“幸”さんと呼ばせてもらおう。
何か変わるわけではないと思うが、気分的にそっちの方がいいと思った。
「咲太様……感謝いたします……」
何とか説得できたみたいだ。と胸を撫で下ろす。
こうして、日本と異世界を巻き込んだ一つの騒動に終止符が打たれた。
◇
――幸さんを説得してから数週間後
「オーライ、オーライ」
新潟県燕市にあるコイルセンターの工場の一角。男の野太い声が響き渡る。
早朝にも関わらず、数名の作業員達が設備を動かして鉄のコイルを延ばし一定の長さに切断している。そのせいか工場内ではガッチャンガッチャンと鉄を切断している騒音が響きわたっているのだが、それにも関わらず、男の声はそれを覆い被すくらいの大きさだ。
その声のイメージ通り、見た目クマの様な男は、この工場で使用されるであろう鉄のコイルをトレーラーで運んできた運転手だ。本来であれば、運転手が荷下ろしの手伝いをするのは違法なのだが、このコイルセンターと長い付き合いの男は、ちょくちょく人手が足りない時はこうして率先して手伝いをしていたのだ。
トレーラーの荷台には、トイレットペーパーの様な鉄の塊が二つ。くるくるに巻かれたこれ一本で十トンはある。一般的な乗用車の重量が約二トン。このトレーラーの上にある二本のコイルで十台の乗用車と考えれば結構な重量だと分かるだろう。
なので、この荷下ろしには細心の注意を払う必要がある。普段であれば男にとって容易い業務の一環であったのだが、この日だけは違っていた。それは、昨晩最愛の娘に言われた「大っ嫌い」という言葉が原因で、男は仕事に集中する事が出来なかったのだ。
鉄のコイルの内径にクレーンのアームが入り、コイルを荷台から持ち上げた瞬間、プッチン! という何かが小気味よく切れる音がした。コイルは解けてばらけない様に鉄のバンドで固定されているのだが、それが切れてしまったのだ。いつもなら、すぐに反応し避けるのだが、この日の男は考え事をしていたせいで、反応が遅れたのだ。鉄のバンドが男の首元に迫る。それは、刃物が首元に迫ってくるのと同意義だ。
そして、男の首に鉄のバンドが振れるか否かの所で男は目を瞑る。
すぐに痛みがくると思い、歯を食いしばって大きな怪我にだけならないよう願う。
――――だが、いつになっても痛みがこない。
男が恐る恐る目を開け、そして、驚愕する。
そこには二十歳そこらの男が立っており、男の首元に迫ってきていた鉄のバンドを素手で掴んでいるではないか!
「おい、あんた! 大丈夫か!? 素手で掴むなんて……」
「いや~危なかったですね、俺は大丈夫です。ほら」
男は、鉄のバンドを掴んだ手を見せる。
傷一つない掌がそこにあった。
「嘘だろ……普通スパって切れるもんなんだぞ?」
「色々と鍛えているので、それより、いいですか? 少し、貴方と話をしたいという人がいて」
「鍛えているって……まぁ、構わないが、とりあえず仕事を先に済ませていいか?」
「はい、どうぞ。あっちで待ってますので終わったら声をかけてください」
若い男は工場外にあるベンチに向かって歩き出した。
それから十分少々、運転手の男もベンチに向かう。
「待たせてすまなかったな!」
「いえいえ」
「それにしても、さっきは礼も言わずすまなかった。本当に助かった、あんたがいなかったらと思うとゾッとするぜ。それで、俺に用があるのはそこの人か?」
運転手の男は、若い男の隣に座っている若い女性に気付く。
「はい、さぁ」
若い男が、女性に何かを伝えると、女性は立ち上がり運転手の男の前に近づく。
「あれ? あんたどこかで……てか、何で泣いているんだ!」
女性が泣いていることに大慌てになる運転手の男は、慌てふためく。
「そういう所は本当に変わらないんだから……」
女性は、涙を拭きながら笑みを浮かべる。
「何を言って……」
明らかに混乱している運転手の男には構わず、女性は続けた。
「だ、大っ嫌いって言って、ごめんなさい……本当はそんなこと、思った事もなかったの……ただ、恥ずかしくて……本当は大好きなのに……ごめんなさい……」
「…………」
涙を流しながら、自分に謝ってくる女性の言葉を運転手の男は黙って聞いていた。
「生きていてくれて本当に、よかった、よかったよぉ」
男は黙って泣きじゃくる女性を抱擁する。
女性は、男の胸の中で大声で泣いた。
まるで、小さな子供が父親の胸の中で泣きじゃくるように。
そんな子供の頭を男は優しく撫でる。
自分の娘の頭を撫でる様に、優しく、優しく……撫でる。
いつも読んでいただき、ありがとうございます。
久しぶりに、日間ローファンタジー部門でランクインしていました。
嬉しい限りです。
ありがとうございます。