イドラ ③
「困っているのです。長い間、この世界に復讐するためアレコレ準備をしてきて、やっとそれが叶うと思っていたのに……」
イドラさんが思い描いていた復讐がどれ程の物かは分からないが、魔王様を洗脳するくらいだ、それ相応の準備をしてきたのだろう。
「困りましたわぁ、はぁ~本当に困りました」
だけど、気のせいだろうか……“困りました”を連呼しているイドラさんの口調がやけにワザとらしい。棒読みと言ってもよいだろう。そして、その表情は全然困ったようには見えない。何故なら、表情の変化が乏しいイドラさんの口元が若干笑っている様に思えるからだ。
「困ったわ~~どうしましょう~~」
「イドラさん、全然困ってないでしょ?」
「何の事です? 私は困っておりますのよ?」
「いや、全然困ってない。むしろ、俺がこの場にいる事に対して嬉しそうに思えるんですが」
「あらまぁ、咲太様ったら意外と自意識が過剰でありますわね」
「ちょ、俺そんなんじゃないし! 真面目な話をしてるんですけど!」
「ふふふ、そんなに怒鳴らないでくださいなぁ。冗談ですわ」
あぁ~~何かムカつく。この人、俺で遊んでないか? まぁ、いい。早く終わらせよう。
真紀達もいつまでやってんだよみたいな視線を向けてるし。
「当初はこの国に復讐する気満々だった。だから、貴方は【憑依者】、貴方達の言うところの【選ばれし者】を無造作にこの国に解き放った」
「まぁ、彼らも殆どやられてしまいました。もしかして、貴方様の仕業なのかしら?」
「えぇ。放っておいたらやばい事になっていたので」
俺らが対処していなかったらこの国は甚大な被害を被ったに違いない。数もゴキブリの様に増えていただろう。
「そのために連れてきたのですから当然です。まぁ、アーノルド様に施した催眠が切れた事によって後続の魂も途絶えてしまいましたので、私に残されたのは、こちらのオニール様のみ」
「うむ!」
「だから、配下を現地調達したんですね? 力を与えて」
「その通りです。能力を付与する【遺物】があり、それと私の力を使い配下を増やそうとしました」
「【遺物】ですか?」
「えぇ、カケル様の国の商会が【遺物】を沢山所有しておりましたので、お手伝いをする条件で色々と融通してもらいました。私は戦える力を備えておりませんので」
カケルさんの国。つまり、ユーヘミア王国だ。
ユーヘミア王国で【遺物】を沢山所有している商会……。
「マングース商会」
「まぁ!? なぜそれを?」
色々繋がってきた。イドラさんの能力は【洗脳】、つまり……。
「カルロスがシエラさんの元に連れてきた催眠術師というのは、イドラさん、貴方ですね?」
「そこまでご存じだなんて! 驚きです」
「あっちの世界で、カルロスとひと悶着ありまして」
俺は、簡単にシエラさんを取り巻いたカルロスの愚行について、そしてカルロスの最期について、イドラさんに説明した。
「まぁ、何と愚かな……」
イドラさんも呆れてそれ以上言葉が出ないようだ。
それはそうと、イドラさんは【遺物】で配下を増やそうとした。
つまり、増やしてはいないという事だろう。
「貴方は、この世界に戻ってきてから、すぐにこの世界が貴方が過ごしていた世界、時代だと悟った。だけど、それに気づかないフリをし、さっきも言った通り復讐を果たそうとした」
「新聞の日付を見て、すぐに気づきました。ここは、私がいた時代だと。それでも、私の心の中に灯されていた復讐の炎は揺らぎませんでした。――あの日までは……」
「あの日とは?」
「行ってしまったんです。自分の暮らしていた家に……不思議なものです。この世界とは別の世界で、この世界で過ごした何倍もの時間を過ごしたのに、私の目に映る故郷の情景、私の鼻孔をくすぐる故郷の香りは懐かしさを感じず、さも当たり前のように感じました。家路へと歩みを進める私の両足は、意識とは別の、まるで別の生き物の様に自然と地を踏みしめていました。そして、我が家に辿りついた私は、流石に家の中に入る訳にもいかないので少し離れた場所で待っていました。その家の住人が全く知らない人である事を願いました。私が心おきなくこの世界に復讐するために」
イドラさんは、一度言葉を切る。
口元が震えていた。
イドラさんの翡翠色の無機質な両目に涙が溜まり、一筋の線を描き落ちた雫はテーブルにポトリと音をたてる。静寂だからなのかその音はやけに響く。
イドラさんは、再度口を開く。
「私は、見てしまったのです。私が放った大嫌いという言葉が最後の会話となった父とごめんを最期に命を絶った母……そして、二人に挟まれて幸せそうにはにかむ遠い日の私、を! 私は逃げる様にその場から離れました! アーノルド様をはじめ沢山の人を騙し、この世界に戻ってきてからは罪のない人達を……復讐という明確な目標があったから割り切っていたのに……」
ポロポロと大粒の涙を流すイドラさんを俺達はただ見ているしかなかった。恐らくイドラさんは家族を目の当たりにした事で、彼女の中で燃えていた復讐の炎が鎮火しようとしているのだろう。だから、自分のしでかした事に対する罪悪感が彼女に押し寄せているのだと思う。
話を聞いてみてイドラさんが根っからの悪人ではない事が分かった。本当は心根の優しい人なのだろう。こっちの世界で理不尽な目に遭い命を落とし、それでも新たな人生を一生懸命に生きようとした。まぁ、復讐のために関係のない人達を巻き込む事は決して褒められた事ではないが、罪悪感によって今にも潰れそうな彼女を見ていると、それを責める気にはならない。
イドラさんは、困っている。
今から復讐を止めるには彼女はやり過ぎた。
色んな人を巻き込み過ぎた。
だから意地でも復讐を遂行しないといけないと思う反面、愛する家族が生きているこの世界を壊したくない。という二つの思いに挟まれているのだ。
だから、俺はイドラさんに問う。
「俺に止めて欲しいんですね?」
「――ッ!?」
この復讐を自ら止める事が出来ないイドラさんには理由が必要だ
。
「イドラさん、困ってるんですよね? 俺にどうして欲しいんですか?」
「うぅ……ッ、おねがい、わ、わたしを、こ、殺して」
イドラさんは、嗚咽交じりに俺にそう願った。
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