幸(下)
やや残酷な描写があります。
誤字脱字修正しました。(20.10.27)
父がこの世から去ってから、どんな風に時が過ぎたのか、正直おぼえていない。
お通夜や、お葬式などで忙しく動いている母のそばで、私はボーっとしていただけだった。
……いや、正直火葬という概念を知らなかったが、父の亡骸が血肉を失い、骨となった時は、あまりの衝撃で気絶した記憶がある。
四十九日を過ぎた辺りから、父の死を受け入れ、私は段々と冷静さを取り戻していった。何故なら、この時期に父の死因について母に問い掛けていたからだ。
父の死因は、ただの事故だった。
父の荷である鋼のコイルには、コイルがバラけない様に矯正している鉄製のバンドが巻かれているが、トレーラーからコイルを降ろす際に、そのバンドが切れ、運悪く父の首に当たったらしい。
本当に、運が悪かっただけだったと言うが、私はそうは思えなかった。
この仕事が長い父が、安全第一を謳っていた父が……だからか、事故前日のやり取りが胸に突っ掛かる……。
たぶん、私は一生この心の楔を背負って生きるのだと幼いなりに覚悟していた。
父が亡くなってから、母は変わってしまった。
父が、手厚い生命保険に入っていたのと、労災がおりたため我が家は生活に困る事はなかった。
それだけではなく、父が亡くなった事で家のローンや、私の学資保険は免除になった事も大きいだろう。
死してなお、父は我が家の大黒柱だとしみじみ思った。
だけど、私では母の心の寂しさは埋められなかった。
だから、母は父の遺産で心の隙間を埋めようとしたのかもしれない。
ことの発端は、意気消沈している母を見かねた母の友人が軽い気持ちで誘ったホストクラブだった。
今まで男と言えば父しか知らなかった母が、自分の聞きたい言葉しか言わないホストクラブにハマるのは時間の問題だった。
金でモノを言わせて、頻繁に男を家に連れ込んだりもした。
そんな母を私は怖いと思っていた……けど、母がそれで元気を出してくれるなら、これでいいと思っていた。
そんな生活が数年続き、私が高校生になった頃、私は家を失った。
あれだけあった、父の遺産を母は湯水に溶かす様にすべて使い切り、あまつさえも返しきれない程の借金を背負い込んだ結果だった。
お金が無くなった母は、ホストにあっさりと見捨てられた。
四畳半のボロいアパートで数年ぶりに見た、母のマトモな表情、そして、母が口にした言葉は「ごめんね」だった。
その晩、母は、ホストを包丁で刺し殺し、自分の首を切って死んだ。
奇しくも、父と同じ場所を切った事は、偶然であって欲しい。
私はその日から人殺しの娘として、日陰を歩んできた。
高校を辞め、生きるため歳を誤魔化して夜のお店で働いた。
正直、何度もこの生を終わらせようと考えたのだが、父がくれたこの名前を捨てる事が出来なかった。
幸せになるため、必死に働いた。
夜の仕事を初めて数年が経ち、生活に余裕が出た頃私は生まれて初めて好きな人が出来た。
たまたま、会社の先輩に連れられてお店に来たお客さんだった。
熊の様に大きな背中、話し掛けると顔を真っ赤にして目を反らす恥ずかしがり屋さん。だけど、声は大きい。
どこか、父の面影を感じたのだ。
運命の人だと思った。
そして、猛アタックの末、私は彼と結ばれた。
まだ成人したばかりの私は彼の要望もあり仕事を辞めた。
これからは、妻として彼を支え、幸せになろうと誓った……が、
「てめぇ、よくも俺を裏切ってくれたなあああッ!」
一人で夕食の買い出しに行った近所のスーパーから家に戻る道中、背後から怒鳴り散らす声がして振り返ると、金属バットを持った男が年期の入ったステーションワゴンから降りてきた。
お店で働いていた時のお客さんだった男だった。
この男、何かおかしい……。
いつもオドオドしていた男の目は血走っており、瞳孔が開いている。
何よりも一番際立っているのは、男の白いシャツが真っ赤に染まっていた事。
怖くなって後退りしていると、いつも背負っているボロボロの黒いリュックから、男はあるモノを取り出してきた。
サッカーボール大の何か………。
「……えっ? い、い、いやああああああああッ!!」
それは……私の夫となる大好きなあの人の頭部だった……。
「ぎゃははははは! 俺を裏切るからこうなるんだよおおおおお」
と、男は、あの人の頭部をまるでサッカーをするかの様に私に向けて蹴ってきた。私の胸に当たり、地面に落としてしまいそうになるが、私は落とさないように両手で掴み、胸に抱きしめ嗚咽を混じらせ、泣いた。
そして、頭部に強い衝撃を感じ私の意識はブラックアウトした。
それから、薄れゆく意識の中、私は何度も何度もその男に犯された。
あの人が見ている中、何度も。
拒絶する事もなく、ただ、廃人の様に男に犯される私の脳裏に、母の顔が横切る。あの母にして、この娘ありかと笑ってしまった。
私は、これから殺されるんだろうな……あの世に行ったら、あの人に逢えるのだろうか、そして、父に逢えるだろうか……。
そう思うと死に対する恐怖は薄れていった。
「こ、こっちです!」
あの男に拉致されてどれ位経ったのだろう。
その日は、初めて男の部屋にお客さんが訪ねてきた。三人の強面の男達だ。
黒いスウェットを上下に纏い、背中には大きなフォークとナイフを持っているピエロのマークを付いていた。
三人とも同じデザインのモノを着ているのを見ると、彼らは何らかの組織なのだろうかと、ふと思ったが、どうでもいいと思い目を瞑ると男達の会話が耳に入ってくる。
「おいおい、大分やっちゃってんなあ?」
「いえ、中身は問題ないと思うんで! 幾らくらいになりますかね? 俺としてはこの糞女に貢いだ金額位は欲しいんですが……」
「バカだな、一体いくら貢いだんだ?」
「ゆ、諭吉さんが二百人くらいです」
嘘だ……この男、貢いだと言うがドリンクさえケチる男だ。
使ったお金なんて、高々知れている。
それなのに……。
「ハン! 大して使ってねぇじゃねーか! 今はこんななりでも健康そうな若い女だ、それくらい余裕で取り戻せるぜ! だが、あの男の処分代もあるから多くは期待するなよ?」
「十分です! あ、ありがとうございますッ!」
「後で振り込んでやるから、口座教えろ。おい、運べ」
私は布製の袋に入れられ、男二人に運ばれて行った。
最初は、風俗か何かに売り飛ばされると思っていたが、それは甘い考えだった。
私は臓器密売組織に売られたのだ。
時間の経過と共に私は身体のパーツを失っていった。
それでも、最初は恐怖のあまり、涙と尿を垂れ流し助けてと叫んだが、今となっては虫の息で声も出ない。
両目をくりぬかれ自分がどんな姿をしているか確認は出来ないが、ある程度想像はつく。
私は後数時間も持たないだろう……不思議な事に自分がもう長くない解ってしまう。
何でこうなったのだろう。
――もし、あの日、私が父に「大嫌い」と言わなかったら……
――苦しんでいる母の心の隙間を埋めて上げれていたら……
――私があの人に出逢わなかったら……
走馬灯と一緒に複雑な思いが押し寄せてくる。
あぁ……もぅ、眠くなってきた……。
おとうさん……おかあさ……ん……あ……なた……い……ま……。
「はっ!」
いつの間にか愛用しているロッキンチェアに揺られ眠りについていた男は、ハァハァと激しく息切れをしていた。
息切れをするなんて、普段ならあり得ない事だ。
「ええい! いつになれば、この忌々しい呪縛から解き放たれる!」
男は、八つ当たりする様に、テーブルを蹴り飛ばす。
物に当たるなんて、普段ならあり得ない事だ。
この夢を見る様になってから、男は前世というアイデンティティに侵食されていた。迷惑極まりないこの記憶が、男を少しずつ狂わせていったのだ……。
男の名前は、アーノルド・ルートリンゲン。
魔大陸の覇者であり、全魔族を統べる者。
畏れと敬意を表し、男は【魔王】と呼ばれている。
いつも読んで頂き、ありがとうございます。
次話から、また本編に戻ります。
今週中に、もう一話書ければと思います。
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