喫茶店 イーハトーブ
夜をかける銀河鉄道と、オフィスひしめく街にある小さな喫茶店。
二つの間を行ったり来たりする「私」と、「私」を取り巻く人々の物語。
ビルがひしめくオフィス街の片隅に、その喫茶店はあった。
三階建てのこじんまりとした建物に看板が一つ。名前は「イーハトーブ/銀河鉄道購買部」
扉を開けると、そこにはカウンター席と右手の窓側に席が二つあるだけの、とても小さな喫茶店だ。
二階には小さなギャラリーがあって。そこは不定期ではあるが個展等をやっている。
「いらっしゃいませ」
私は、そんな小さな喫茶店の、しがないマスターだ。
このお店にくるお客様は多くはない。大体が常連の方か、サラリーマンかたまに学生。ごくごくたまにそれ以外の、例えば夫婦とか、お友達とか。がよく来る。
「マスター、今日のお勧めは?」
「本日はクロックムッシュです」
「いいね、それもらうよ。お前はどうする?」
「同じのでお願いします」
今日は会社の先輩後輩らしき二人組。先輩は「ここの珈琲は美味しいし穴場なんだぜ」と得意げに胸を張った。
後輩もきょろきょろとあちこちを見つめている。
「あれ?二階もお店なんですか」
「二階はギャラリーになっておりまして、今日はお休みなんです」
「たまに面白いもの売ってるんだよな」
「へー」
話している間にクロックムッシュは出来あがり、珈琲とサラダと共にお出しする。
二人は美味しそうにそれを平らげ、珈琲を飲みながら午後の打ち合わせを始めた。
どうやら営業先にあいさつ回りに行くらしい、後輩らしき青年は緊張してるようだ。
「大丈夫だって、俺を信じろ」
「先輩。それ昨日も言ってましたよね」
それを合図に二人はひとしきり笑っていた。
「はー、じゃあ行くか。マスターごちそうさま」
「ごちそうさまでした。凄く美味しかったです」
「ええ。またお越しください」
二人組はお店から出て行った。彼らはまたやってくるだろう、そんな予感がする。
食器をかたずけ、珈琲でも飲みながらのんびりと新聞でも読んでいるとカウンター席にふわりと何かが舞った。
「博士」
私が博士と呼んでいる猫はとても大きく(おそらく雑種だと思うのだが私は猫に詳しくない)黒いたっぷりした体毛のせいか更に一回りも大きく見える。
「マスター、お腹が減ったので食事を所望したいのですが」
その猫の口から、セロの音色のような低く落ち着いた声が流れた。
博士。ブルカニロ博士は先代からこの店にいる古株猫で、私はとても逆らえない。
「昨日のささみでいいですか?」
「ええ、お願いします」
冷蔵庫に入れてあるささみのフレークに軽くスープ(猫用のものだ)をかけ、お出しする。
博士は満足そうに鼻をひくひくさせて食べ始めた。私も珈琲を一口すする、うん自分が淹れたものではあるがとても美味しい。
「時にマスター、今日はあちらに?」
「ん?ええ、今日は確か牡牛座に停車する予定と聞いているので」
「成程。何をお出しするつもりで?」
博士は顔を上げて期待の眼で私を見る。どうやらあちらで出すおやつがご所望の様らしい。
私もそういえばそろそろそれを考える時間か、と思いつつ何にしようか。と宙を眺めて。そして思いついた。
「そうですね、ドーナツでも作ろうかと」
「ドーナツ!!素晴らしい、あの穴には神秘がたっぷりですからねえ」
ぴんと耳としっぽとひげを伸ばした博士は嬉しそうにつぶやく。よっぽどドーナツが好きらしい。
これはたくさん作るしかなさそうだ。私は頭の中で材料の算段を付けながら新聞読みを再開する。
喫茶店は結局、あの二人の若者以外お客が来ることがなかった。
店の立場上、それでも給料自体は変わらないのだが、なんというか、とほほな気分になる。