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9戦










「おい、アルテミシア!」


 後ろから大声で呼ばれ、振り向く。彼のお父さんに似てずいぶん身体が大きくなったペッパだ。最近はお店の手伝いをしているので、肉屋の若旦那が板についてきた。


 振り向いた拍子に私の髪が大仰になびき、目元を隠したのが分かる。見返り美人なら誇りも出来るけれど、見返り令嬢なんてただの事実の羅列で何ら嬉しいことはない。いや、見返り美人もある意味事実の羅列だ。

 それに今は、どんな不思議な力が働いて隠されても全く問題ない。何故なら、長く伸ばした前髪で、最初から目元を隠しているからだ。


「何?」

「あ、いや……なんか、久しぶりだな」

「そうね。貴方はお店の手伝いで忙しくて、私はあまり外で遊ばなくなったもの」


 あの晩から、エルシャット家に大きな変化は訪れていない。

 『アルテミシア・エルシャット』が得るはずだった血の繋がらない弟を迎え入れることもなければ、それ以外の被害者予備軍と出会うこともなかった。何故なら、いや、弟が迎え入れられなかった理由は分からないが、その他の人々との出会いがないのは、私が王都に一度も行っていないからだ。


 九年もあれば、一応曲がりなりにも子爵の家なので、数度は王都へ出向く用事もある。けれど、基本的にはお父様が一人で向かい、私はお母様とお留守番だった。どうしても二人で出かけなければならないときは、私に絶対外出しないことを約束させ、心配そうに出かけていった。王都へ出向かなければ、王都にいる人々と縁が繋がるはずがない。


 そうして、すとーりーから徐々に外れるようにしてきた。それは、シャルルと別れた晩、イシュー様を交えたエルシャット家家族会議で話し合った結果だ。本当の緊急事態でなければ連絡を取らないと決めている両親達は、あの晩に出来る限りの対策を立ててくれたのだ。


 すとーりーなるものから外れる。そうすれば私は死ななくていいかもしれない。そうすれば、シャルルと一緒にいられるかもしれない。

 いま得ている情報だけでは、どの手を打っても確実となる保証はない。それでも、何もしないよりはマシだ。少しでも理不尽さに怒るよりも先にぽかんとしてしまうほど簡単に訪れる死を遠ざけられたらいい。被害者予備軍とはシャルル以外誰とも会っていない。王都にすら行っていない。



 だけど、私の腕輪はふと思い出したかのように割れていく。どうやら、すとーりーなるものから外れても、逃れきれないようだ。それが少し嬉しいだなんてひどくわがままなこと、両親には言えなかった。他のどの被害者予備軍とも会っていない以上、割れ続ける石はシャルルが私を忘れていない証明の一つだからだ。

 シャルルがいなくなっても、日常は恙なく回っていく。その違和感を認めたくなくて、私は私の日常を封じてしまった。


 屋根に登らない。庭を走り回らない。川に飛び込まない。穴を掘って埋まらない。秘密基地を作らない。違和感を違和感のまま置いておきたくて、当たり前だった日々を置き去りにした。

 けれど、そんなのは無意味な行為だと気づいたのはいつだっただろうか。だって、どれだけ日々を置き去りにしたって、今度は新たな日々が『日常』とすり替わるだけだったのだ。



 シャルルは一度も帰ってこない。手紙も存在しない。私からも送れない。まるでシャルルなんて男の子はいなかったかのようだ。事実、シャルルの存在を知らない子も増えた。知っていたはずの子達も、どんどん忘れていった。けれど。


 私は石同士がぶつかり合って鳴らしたかちりとした音を追い、視線を下ろした。



 定期的に届けられる腕飾りと首飾り、そして不意に割れる音。

 そんな身代わり石だけが、シャルルが確かにここにいたことと、私と繋がっている証だった。



 綺麗な球体だった石が、あるときから歪で少し大きな球になった。けれどすぐに綺麗な球になった。徐々に小さくなっていき、イシュー様から貰った石と同じ大きさになる頃には、二年が経っていた。


 今ではどれがイシュー様からの物で、どれがシャルルからの物か分からない。けれど、どれも大切にしている。最後には割れて砕けてしまう物であったとしても、これだけがシャルルを感じられる物だ。





 久しぶりの町はあの頃と何も変わらず、それなりに生活の活気があって、それなりに寂れている。何ら変わりのない、田舎の風景。子爵の娘程度、田舎では少々金持ちの娘、程度の扱いだ。

 昔はシャルルの手を引いて走り回った道を一人で歩くことにも、もう慣れた。


「ペッパは配達の帰り?」


 お店に立つときはいつもしている前掛けをしていないし、荷も持っていないのでそう予想した。


「ああ、親父が腰やっちまったからな」

「あら、大変……お大事にね?」


 重い荷物だったのか、熱くなった身体を冷ますために捲っていたらしい袖を下ろしながら、ペッパは私の隣に並んだ。お父さんによく似て、太い腕をしている。この人を昔ぶん殴り、蹴り飛ばし、投げ飛ばし、大泣きさせたなんて言っても、誰も信じてくれないかもしれない。今ではもう無理だろうなと、大きくなった身体を見上げた。

 シャルルはどんな男の子になったのかな、なんて思いながら。


 ペッパみたいになっていたらどうしよう。私、会えたとき分からないかもしれない。会えていたのに、お互い知らずすれ違っていたらどうしよう。最近、そんなことばかり考えてしまうのだ。



 六歳のお姉さんを苦笑できるほどには大人になった十五歳の私は、どうしてだろう。あの頃よりうんと怖がりになった気がする。



「おう、親父に言っとく。お前は何してんだ?」

「鑑定。今日までだから」


 要件を言えば、ペッパは目を丸くした。


「お前、まだ行ってなかったのかよ!」

「そうねぇ……気が、乗らなくって」


 ティブルーとレカリフの国交は、九年経っても正常とは言いがたかった。それどころか、元々市井にはあまり広がっていなかった『不仲』説が、あちこちで聞こえるようになるくらいには、悪化の一路を辿っている。

 そして今年、触れが出た。ティブルーの国中にだ。


 全ての国民は、魔力鑑定を行うべし。


 これである。




 要は少しでも戦力を増やしたいのだ。魔力の量は、魔石三つ分。これを光らせることが出来れば、魔力持ちとして集められる。といっても、私達のようにまだ成人していない子どもは、学園に集められるのだ。

 今までは貴族しかいなかった、魔術師の学園へ。

 元々貴族しか入学出来ないと決められていたわけではないけれど、そもそも魔力鑑定にはお金がかかる。一度使った鑑定の石は、光ろうが光るまいがもう二度と使えない。魔石も安いものではない。そんな物を使い捨てに出来るのは、たかが田舎子爵でも無理だ。


 けれど、このたび触れが出たことにより、国から一斉に魔石が配られた。国民の数×3個分だ。とんでもない数だ。王立魔術師協会の人々は、魔力が干からびたんじゃないかと心配される噂が立つも、莫大な魔力を持つ魔術師がまかなってしまったそうだ。魔術師、恐るべし。



 しかし、王立魔術学園かと、暗い気持ちになる。アイあいの舞台がそこなのだ。正確には、第一部の舞台がそこだ。そこにはアルテミシア・エルシャットは存在しないはずだった。なぜならアルテミシア・エルシャット。既に死んでいる。


 これはもしや、完全にすとーりーなるものから外れたのではないか。そう期待したのも束の間、腕飾りの石がぴしりと割れた。今日はやけに割れる。

 何気ない瞬間に死が齎されている現実には、いつの間にか慣れてしまった。


「バっカだなぁ。そういうのこそさっさとやっちまうに限るだろ。どうせ俺らみたいな田舎もんに魔力持ちなんてそうそういるもんじゃねぇんだから」

「……そうだね」


 ははっと軽い笑い声を上げる。両親も屋敷の者も、とっくの昔に済ませてしまった。その時に一緒に行こうと誘われてもいた。けれど、期日ぎりぎりまで後回しにしてしったのだ。


「だって、変な魔力があったら、嫌じゃない」


 ペッパには聞こえない声で、ぽつりと呟く。




 あの時、イシュー様が言った黙示録の意味も、今なら分かる。過去にあったことを思いだしているのではなく、未来にあることを垣間見ているのでもなく、ありとあらゆる可能性を第三者の視線で知っているなんて、そんなものは人の領分ではない。神か悪魔か、どちらかだ。

 こんな田舎だ。ペッパの言うとおり魔力に精通した人どころか魔力持ちすらいない。だから、自分が異端かどうかも分からない。いや、異端かどうかなんて、盤上ゲームとは全く違うゲームなるもののすとーりーを垣間見てしまった事を考えると異端まっしぐらなのだが。


 鑑定の場で「こいつは悪魔だ!」なんて叫ばれたらどうしよう。二度とシャルルに会えなくなってしまう。それどころか私の身分では一個だって手に入れられるはずのない身代わり石を大量に所持しているなんてばれてしまえば、調べがシャルルやイシュー様にまで及んでしまうかもしれない。それだけは、絶対に嫌だ。

 そんなこんなでうじうじしていたら、


 拝啓アルテミシア・エルシャット様

 要約:もうこの周辺で鑑定していないのはお前一人ださっさと来い


 と呼び出されてしまった。





 そして、いい加減観念して重い腰を上げたのである。せめてもの抵抗として、横髪を前に持ってきて、長めに切って目元を隠した。これなら、ただでさえ謎の、摩訶不思議な目隠れ現象も知られることはないだろう。


「ああ、でも」


 気分が滅入りそうな思考ばかりが回っている中、ペッパがぽつりと言った。


「あいつなら、魔力持ちでもおかしくなかったもな。そんな変な雰囲気だった」

「あいつ?」

「………………シャルル」

「――そうね」


 久しぶりに家族以外の他者の口から聞こえた名前に、思わず微笑んでしまう。するとペッパはむっとした顔をした。


「あいつも随分恩知らずだよな。お前らには散々世話になったくせによ」

「シャルルは恩知らずなんかじゃないわ」

「だってよ、手紙の一つもないんだろ? 王都に行っちまったら、こんなど田舎のことなんか知らんぷりってのは、どう考えても恩知らずだろ」

「そんなことないわ。シャルルにも……色々事情があるし、きっと忙しいのよ」


 音沙汰はなくても身代わり石が途絶えることはない。負担を掛けてごめんねという気持ちと、喜びをない交ぜにして受け取っているのだ。

 そんな事情はペッパに話せない。だからいつもシャルルのことを怒っているペッパをそっと宥めるくらいしか出来なかった。ペッパはもう昔のように乱暴はしないのに、シャルルに関してはいつまでだって口調がきつく意地悪だ。


「ペッパ、その好きな子いじめるくせまだ治ってないの? 次にシャルルに会えたとき、またいじめたりしたら、私が黙っておかないわよ」


 しばらく使っていないので錆び付いているが、昔は暴風のアルテミシア、嵐のアルテミシア、山賊のお頭ミシアと呼ばれたものだ…………得意になってはいけない呼び名だと今更気づいた。

 だが、今更拳は引っ込められない。ぐっと拳を握りしめれば、ペッパは何故か慌てた。


「はぁー!? 誰がシャルルなんざ好きになるか! あんな、男のくせにお前の妹みたいな奴、俺はただ気に入らねぇから殴ってやっただけだ! そしたらお前に殴られただけだ!」

「殴る理由しかないわね」


 今でもびっくりするほど殴る理由しかない。

 錆び付いた拳の具合を確かめていると、ペッパはわたわたと大きな手を振った。その腕の太さに、流石に今も勝てるとは思っていないが、一矢報いるくらいなら昔取った杵柄でいけると信じている。



「だーもー! お前は! 少しは貴族の令嬢っぽくなったと思えば、嵐の暴風お頭ミシアのまんまかよ!」

「待って! そんなに纏めて呼ばれていたなんて初耳よ! どれか一つにしてちょうだい! 私、そんなに欲張りじゃないから一つで充分よ!」

「どれか一つでもすげぇ不名誉じゃね!? いいからとっとと行ってこい! んでもって、帰りにうち寄れ! 端切れ肉の寄せ集めで作った揚げ肉芋食わしてやるから!」

「それ一番美味しいわよね」

「………………余りもんを一番って言われるの複雑なんだかんな」


 下手に厳選素材で作るより、その日出た端切れ肉を挽いて、ジャガイモと混ぜ、パン粉をつけて作られた揚げ肉芋は、ペッパの店の一番人気商品だ。元々は端切れ肉の処理で始めたはずなのに、人気すぎてそのために端切れ肉を作らなければならない逆転現象が起きるほどである。

 シャルルも、好物だった。夕飯が入らなくなったら怒られるからと、揚げたてを二人で半分こして食べた。タレ焼きも串焼きも衣をつけてあげた芋天もよく食べたけれど、揚げ肉芋が一番好きだった。


 味は何も変わらないはずなのに、一人で食べる味気なさに、手を出さなくなって久しい。


「……そうね、久しぶりに食べようかしら」

「お、おう。じゃあ、帰り、寄れよ。そ、それと、こ、今度隣町に来る、公演の、券が、だな、二枚、だな………………帰り寄れよ!?」

「何!? びっくりしたっ! よ、寄るわ。じゃあね、ペッパ」


 何故か突然どもり、細切れになった会話に首を傾げつつペッパと別れた。






 向かった先は町の集会所だ。顔見知りの受付のお婆さんに挨拶して、案内された部屋へと入る。そこは普段、第一会議室として使われている部屋だ。だが、基本的には老人達の集会所と化している。ちなみに第二会議室も第三会議室も、集会所である。


 それでも最低限の椅子と机が設置されていたが、中に入れば椅子と机の配置が変わっていた。奥に横一直線に並べられた机があり、そこに向かって四列にわたり椅子が並べられている。鑑定が始まった当初は、この椅子を埋め尽くす数の人がいたのだろう。

 今は、私と鑑定の男だけだけれど。




 部屋の中には、水色髪の男の人が一人いた。青年は綺麗な顔つきをしていたけれど、切れ長の目がどこか冷たい印象を与える。


「貴女がアルテミシア・エルシャットか。……手間を掛けさせてくれましたね。貴女が最後ですよ」

「申し訳ありませんでした……その、何だかちょっと、初めてのことって怖くて」


 濁して伝えている間、青年はこっちを見てもいなかった。大きな木箱から、小さな紙の箱を取り出す。


「どうでもいいので、早くこれを持って、光れと念じてください。どうせこのような辺境に逸材がいるなどと誰も思っておりません。俺は早く通常業務に戻りたいので、さっさとしてください」


 早く終わらせたい。そう、視線も声も発言も行動も、全てが言っている。なんて正直な人なんだ。いっそ感動する。

 確かに期限ぎりぎりになってしまったのは悪かったと思っているが、期限を超過したわけでもないのに、大変不機嫌だ。まあ、自他共に認める田舎の地。皆物珍しさも相まって、ぶわっと集まってさっさと済ませてしまったらしい。

 だからこそ、特に用事もないのにいつまで経っても現れない私が目立ってしまったのだ。




 片手で三つ纏めて突き出された石を、両手でそぉっと受け取る。白っぽい石は、不思議と冷たくはなかった。まるで身代わり石のような温度だ。冷たすぎず、かといって温かいわけでもない。不思議な温度だ。


「念じればいいんですか?」

「持ち主の魔力に反応するように作られています二個光っても駄目です二個程度では魔術の成功率は低くまたどれだけ努力しても蝋燭を灯せればいいほうだ。最低限瞬発的な力でも三個以上を光らせる程度の魔力とそれを扱う器用さがないと無理です」


 つらつらとどこで息継ぎしているんだと目を丸くする勢いで説明された。その手慣れた様子に、同じ質問を何百回、否、ここで鑑定した人の人数分繰り返した青年の頑張りを見た。

 如何せん田舎なもので、皆物珍しいことに興味津々なのに、馴染みがなさ過ぎて、王都では当たり前に通じる常識でもさっぱりなのである。そして老人達は耳が遠い。……彼がこの説明を繰り返したのは、ここで鑑定を行った人数分では済まないかもしれない。


 何だか非常に申し訳なくなってきた。彼の言うとおりさっさと済ませ、彼を解放してあげたい。そんな使命感にも似た決意と共に、石を三つとも握りしめる。青年は片手で三つ纏めて持っていたけれど、私は両手でなければ全部を包むことは出来なかった。

 念じればいい、とは聞いたけれど、そもそも念じ方が分からないと気づいたのは握ってからだった。


 握ったまま無言で考える。念じる。念じるって何だ。念じるってどうするんだ? 

 祈ればいいのか、願えばいいのか、とりあえず思っとけばいいのか。まあどちらにしても光ることはあるまい。念じられていようがいまいが、どっちにしても変な結果にならないのであればどうでもいいか。


 大雑把な結論に達した私は、念じもどきもそこそこに、そろりとを指を開いた。青年の目がかっと見開かれる。悪魔? 悪魔発見!? 撤退! 戦略的撤退!


 頭の中の私が警報を叫ぶ。まずい。すとーりーなる呪縛から逃れられない私は、やっぱり悪魔の類いだったのかもしれない。




「お疲れ様でございましたこちらお返ししますわ貴重な体験をありがとうございますおほほほほほ失礼致します!」


 用事は全て纏めて突っ返し、部屋から飛び出そうとした私の腕ががしりと掴まれた。つんのめり、のけぞる。決して貴族の令嬢に許される体勢ではなかった。貴族も令嬢も関係なく、人としての矜持がちょっと崩れる程度には酷い体勢である。興行で回ってくる座の芸人ならば絵にもなっただろうが、私の場合は転ぶ三秒前を切り取ったような状態だ。無様。この一言に尽きる。


 しかも、袖口から腕飾りが見えかけていた。後ろに引っ張られる勢いと共に、慌てて掴まれている腕を軸に身体を回転させ、腕を回収する。青年は一応すんなりと手を離してくれた。だが、私を引いた動きを利用し、入口側の私と場所を交代している。


「どこに行かれます」

「よ、用事が終わりましたので、帰ろうかと……わたくし、この後別件の用事がございまして」


 揚げ肉芋が待っているのだ。神妙な顔で答えた私に、青年はにこやかな笑顔で一歩踏み出した。


「そうでしたか。それでは手短に済ませてしまいましょう手を開け」

「お、ほほほほほ」

「瀕死の梟みたいな声を出していないで手を開け、子爵令嬢」


 瀕死の梟の声を聞いたことがあるのかこの青年は。どうでもいいことが気にかかったが、思考は逃避できても現実は逃避できない。三度繰り返される前に、しぶしぶ手を開く。真っ黒に染まっていたらどうしよう。悪魔ですと書かれていたらどうしよう。自己紹介か、律儀な悪魔だ。

 色んな想像がぐるぐる頭を回る中、意を決して掌の中を薄目で見る。

 石は、三個とも光っていた。青年が凄まじい早さで私の手首を掴んだ。


「三個……いや、ぎりぎり三個弱? いやだがこれは三個……いや二個と十分の九……十二分の十一……ほぼ三」

「二個半ですわね!」

「ほぼ三」

「二個強ですわね!」

「ほぼ三」

「ぎりぎり三個弱ですわね!」

「大体三。エルシャット子爵家アルテミシア・エルシャット嬢、王立魔術学園入学式は二週間後です。大急ぎで手続きしましょう――しろ」

「三個弱――!」


 ぴしぴしぴしりと、腕飾りの石が景気よく三つ割れた。誰が数を揃えろと言ったのだ。




 現実を認められない。認めてなるものか。認めたら負けだ。

 そんな使命感に燃えた私は、全力で青年の手を振り払い、石を青年のポケットに突っ込む。用事は済んだ。後は撤退あるのみ。私はスカートを持ち上げ、嵐の暴風お頭ミシアを発動させた。

 要は、突風のごとくなりふり構わず逃げ出したのだ。

 背後から怒声が聞こえてきたが知るものか。人違いです勘違いです何かの間違いですアルテミシア・エルシャットです。



 そう唱えながら、揚げ肉芋も忘れ全速力で辿り着いた屋敷に、何をどうやったのか、王立魔術学園入学願書が先回りしていた事実を、私はしばらく受け入れることは出来なかった。









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