5戦
その日エルシャット家は、緊急の家族会議を開いた。
何故なら、昨日シャルルと相談した結果、ある程度の事情はお互いの両親に話した方がいいとの結論が出たのである。
両親は始め何を言っているんだこの馬鹿娘といった顔で聞いていた。だが、シャルルが真剣なことと、私の目がどんな状態でもうまく認識できないことで考えを改めたらしくきちんと聞いてくれた。
全て話し終わった後も、両親は困惑していた。お父様は、涙目になりながら洟を啜っている。その背をシャルルが擦っている。
「グーリン様、お気をたしかに」
「そんな……僕らの可愛いミーシアが大人になれずに死んじゃうなんて、夢でもあんまりだ……夢でもあんまりだ――!」
わっと泣き出したお父様は放置して、お母様は真剣な顔で私とシャルルを見た。
「アディリーン様は、どう思われますか?」
「そうね……普通なら信じられないのだけれど……ミーシアが言い出したことなら信憑性が高いわ」
「お母さまっ!」
お母様がそんなに私を評価してくれていたなんて。私は感激した。お母様は切なげな顔で私を見つめる。
「そんな複雑な作り話をできる頭脳は持ち合わせていないもの……」
「お母さまっ!?」
お母様からの信頼が厚い。分厚い。どんな成果を上げてもぶち破れそうにないほどだ。
お父様の隣でわっと嘆く私を無視して、シャルルとお母様が話を進めていく。一応当主と一応当事者が完全に置き去りである。
「シャルル、このお話は私達だけでは対処ができないわ。貴方のお父様にもお知らせすることになるけれど、構わないわね?」
「はい」
シャルルは素直に頷いた。
シャルル曰く、実のお父様は、忙しくていざというとき傍にいないから現場では戦力に全く数えていないけれど、まあ、頼りにならないわけじゃないし、まあ大事にはしてもらってると思う、とのことだ。
じゃあ連絡するわねと念を押して立ち上がろうとしたお母様の手を、お父様が握った。そのまま引かれ、お母様は椅子に座り直す。お父様はさっきまでぐすぐす泣いていた顔をぐいっと拭い、まっすぐに私とシャルルに向き合った。
「話は、分かった。僕は君達を信頼しているし、そんな誰かを傷つけるような嘘をつく子じゃないと胸を張って言える。だから、それは置いた上で、君達に聞きたいんだ。君達はまだ子どもだ。シャルルは、シャルル、はっ! しっかりした子だけれど」
「お父さま?」
大変気になる物言いだった気がする。私の半眼を受けて、お父様はこほんと咳払いした。私も半眼をすぐに引っ込めた。お父様はともかく、お父様の隣で黙っていなさいと私を見下ろすお母様の目が怖かったからである。
「どれだけしっかりしていても、二人ともまだ幼い。だから、結婚のことを本当によく分かっているのか、僕はそれが心配なんだ。結婚の約束はね、一生を共にする約束だ。一生だよ。一年でも二年でもない、一生。まだ想像ができないかもしれないけれど、これからの時間で大喧嘩するかもしれない。お互いのことが大嫌いになるかもしれない。そんなことないと思うかもしれないけれど、こればっかりは誰にも分からないし、絶対なんてないことなんだ。ここまでは分かるかい?」
「はい」
「いちおう」
シャルルと私はこくんと頷いた。
「仲良しのまま大きくなったとする。でも、仲良しのままでも駄目なこともある。友達としては大好きだけど、結婚相手としての好きにはなれないかもしれない。お互い他に好きな人ができるかもしれない。片方だけが好きな人を見つけるかもしれない」
だんだん難しくなってきた話に、シャルルと顔を見合わせる。仲良しのままでも駄目かも知れないとは、結婚とはなんて難しいものなのだ。
「結婚したら、もう嫌になったからやめた、なんて出来ないし、しちゃいけない。とにかく色んな決断を、相手と一緒にやっていかなければならないんだ。嫌いになった相手とさよならするにしても、嫌いになった相手と話し合ってからじゃなきゃ駄目なんだよ」
「私、ルルをきらいになんてならないわ」
「うん、そうだね。だけど、好きだけじゃやっていけないんだ。今はまだ難しいと思うけれど、いま僕が言ったことは忘れないで覚えていてほしい。そして、この先ずっと二人の気持ちが変わらず結婚するのなら、そのときまでちゃんと考えてほしいんだ。出来るかな?」
お父様は優しく問うた。シャルルはすぐに頷いたけれど、私は途中からよく分からなくなってしまった。
だから、もう一度お父様が言っていたことを最初から思い出して、たぶん大丈夫だとシャルルに遅れて頷く。
お父様は、私とシャルルの頭を撫でてくれた。
「よし、いい子だ。…………それともう一つ、シャルル、いいかい?」
「はい」
すぅっと声を低くしたお父様に、シャルルはぴしっと背筋を正した。それまでも決して崩していたわけではないのに、背中に物差しを入れたみたいだ。
そんなシャルルを、お父様は怖い顔で見つめている。まるで睨んでいるみたいで、私はびっくりした。慌ててシャルルを見る。泣いていないだろうか、脅えていないだろうかと心配したけれど、シャルルもまっすぐにお父様を見ている。
「結婚は君が十八にならないと出来ない。だからそれまで君達は、恐らく婚約者という形に収まる。正式に発表されるまで、それすらも仮という形になるけど、それはいいね?」
「はい」
「ミーシアは、僕達の宝物だ。分かるね?」
「はい」
「そんなミーシアの婚約者に、君がなる。だけど僕は、一つ条件を出す。それを君が実行できなければ、僕は君をミーシアの婚約者には認められない」
「――はい」
いつもぐすぐす泣いてしまうお父様は、今はとても怖い顔でシャルルを睨んでいる。私は、ぐっと唇を噛みしめたシャルルの前に両手を広げて立つ。
「お父さま! ルルをいじめてはだめよ!」
「座っていなさい、アルテミシア。お父様とシャルルは、男同士の大事な話を為さっているの。女が口を出すものではありません」
ぴしゃりと言ったお母様に抗議の目を向ける。
「女同士の大事な話では部屋からお父様を叩き出すのだから、いまはちゃんと座っていなさい」
「え? お父様達じゃなくて僕だけ叩き出されるの? シャルルは? 僕だけ? 一人で? それって僕淋しくない?」
お父様が慌てた顔でお母様を見る。しかしお母様からじろりと睨まれ、すぐにこほんと咳払いしてシャルルに視線を戻した。私もしぶしぶシャルルの隣に座り直す。けれど何もしないなんて出来ない。
私はそっとシャルルの手を握った。シャルルも、ぎゅっと私の手を握った。
「シャルル、僕の条件を飲めるかい」
「はい」
「まだ内容を聞いてないのに?」
「はい。それでグーリン様とアディリーン様からきょ可をいただけるなら、僕は何でもします」
「そうか……」
お父様はまっすぐに自分を見つめるシャルルに苦しそうな顔になった。切なげに目を細め、何かを振り払うように首を振る。
「僕からの条件は一つ」
勢いよく立ち上がり、すぅっと息を吸った。私とシャルルはぐっと息を止める。
「僕達のことお父様とお母様って呼んでくれないとやだー!」
わっと泣き出して椅子に戻ったお父様の横でお母様がうんうんと頷いている。
私とシャルルはぽかんと二人を見つめてることしか出来ない。そんな私達の前で、お父様はわんわん泣いている。
「僕達は君のこと本当の息子みたいに思っているのに、いつまで経っても他人行儀だし! そりゃ本当のお父さんはいるけど、別宅のお父さんとお母さんくらいに思ってくれたらいいなと、僕ずっと願ってるのに、いつまでも、いつまでもグーリン様ってっ! ぐりーんざばっでぇ!」
大泣きである。昨日私とシャルルがベッドの下で泣いたときより大泣きだ。
私は先日読んだ本で仕入れたばかりの言葉を頭の中に浮かべた。これは、大号泣だ。お父様、大号泣。新しい言葉を知って、私の脳みそはまた一つ特品に近づいてしまった。
わんわんどころかぎゃんぎゃん泣いているお父様は、しゃくり上げながらシャルルをなじる。
「みーじあとげっごんずるなら、ぼぐらばぼんどうにりょうじんになるんだがら! だがら、おどうさばとおがあざまっでよばないど、ゆるざないぞぉ!」
涙をだばだば流して訴えるお父様は、六歳となりお姉さんになった私が卒業したギャン泣きをしている。
実の娘である私はドン引きした。シャルルもさぞやドン引きしているだろうと思いきや、未だぽかんとしていた。気持ちは分かる。私も事実を受け入れがたい。
だが、父の気持ちも分からないでもない。私には甘えてくれるようになったけれど、お父様とお母様の前では姿勢を崩すこともないシャルルの態度がずっと淋しかったのだろう。
私もシャルルから他人行儀な態度を取られたら淋しくて堪らないだろう。
仲間はずれにしたつもりはなかったけれど、結果的にお父様とお母様は仲間はずれになってしまっていた。それは泣く。大号泣する。秘密基地結成隊に混ぜてあげるべきだったと私は反省した。
でも、屋根の上に登った私を叱る大人は仲間には入れないのだ。お父様とお母様は秘密基地結成隊を諦めてもらうよりない。
そう思ってうんうん頷いていた私の手に、ぎゅっと力が加わった。
「…………お、お父様」
ぎゃんぎゃん泣いていたお父様の泣き声がぴたりと止まる。
「お、母様」
耳まで真っ赤になったシャルルが握っている手が痛い。でも振りほどくわけにはいかず、私は頑張って我慢した。
今度はお父様とお母様がぽかんとする番だ。二人は目をまん丸にしてシャルルを見つめている。シャルルは真っ赤になったまま、ぎゅっと目を瞑った。ついでに私の手も握り潰した。痛かった。
「か、家族になって、いいですかっ」
珍しい大声で、震えながら紡がれた言葉に、お父様とお母様の目から涙がこぼれ落ちた。お父様はともかくお母様まで泣いている。二人は震える手を伸ばし、シャルルをぎゅっと握りしめた。
「当たり前だよ、シャルル。君は僕の可愛い息子なんだから……嬉しいぃ!」
「そうよ、シャルル。ミーシアと結婚しようがしまいが、貴方は私達の愛しい息子よ……ああ、嬉しい!」
両親からぎゅうっと抱きしめられたシャルルは、されるがまま二人に包まれている。赤くなった頬を隠すように二人に擦り寄った。
なんて美しい光景だ。ずっとすれ違っていた家族は、いま一つになったのだ。素晴らしい。なんてめでたいんだ。
そこに私を混ぜてくれていたらもっとよかった。
両親からも婚約者からも忘れ去られた私は、シャルルに握り潰された手をふんぬぅと力尽くで抜き取り、部屋の隅で一人いじけた。
三人が私の存在を思い出したときには、私達の間にはもう取り返しがつかないほどの深い溝が出来ていた。
夕食に大好きな焼き菓子が出た。食べ放題だった。地殻変動が起こり、溝は一瞬でなかったことになった。