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4戦







 ベッドの下で一通り大喧嘩を済ませた後、私達は改めて情報を整理し始めた。

 私は思い出せる限りの情報をシャルルに語る。

 自分としては面白くないし悲しいけれど、友としては大変誇らしいことに、シャルルは大変頭がいいのだ。私の何百倍もだ。だから恐らく、私とは作りが違うのだと思う。私の脳みそは庶民の舌に馴染むお買い得品で、シャルルの脳みそは特がつく超高級脳みそなのだ。原材料からこだわり、時間をかけて丹念な製法で仕上げられた一品。成程、シャルルの頭がいいのは自然の摂理だ。仕方ない。



 ゲームに出てくる攻略者は、全部で七人。攻略者といっても、それはゲームをぷれいする側からのことで、今の私にとってはこれからとらうまを見せつけてしまう被害者予備軍である。


 被害者予備軍その一。

 幼馴染みの国一番の魔法使い。言わずもがな、シャルルのことだ。詳しい説明は今更説明するまでもなく知っているから省く。


 被害者予備軍の中で一番昔からアルテミシア・エルシャットとの付き合いがあるだけあってか、誰より攻略が難しい。未だに攻略さいとに攻略情報が載っていないことから、誰も攻略できていないのではとの噂がまことしやかに流れているくらいだそうだ。



「当たりまえだよ」


 何故か偉そうにシャルルが頷いた。




 被害者予備軍その二。

 弟。


「これから君に弟が生まれるの?」

「ううん。お父さまがとおえんから引きとるの。ぎりの弟になるのよ。私、お姉さまになるの」


 不慮の事故でご両親共々亡くなってしまったので、縁あって我が家で引き取ることになるらしい。まだ弟のおの字も出ていないけれど、私の中の情報が正しければそうなる。

 できるならご両親と一緒にいさせてあげたいけれど、引き取られる前の情報、特に姓などは物語に関係ないせいで一切語られておらず探しようがない。


「さい初はのんきな子しゃく一家にイライラしてばかにしてるんだけど、アルテミシア・エルシャットが初めてできた弟を猫かわいがりしてこおりついた彼の心をいやすらしいわ。そして猫かわいがりしたのにわんこになってなついたところで、アルテミシア・エルシャットは死ぬ。さようなら」


 粛々と語って頭を下げる。

 悲しい。弟もアルテミシア・エルシャットも悲しい。僕が一番悲しいよとぶすっと怒ったシャルルは措いておくとして、とにかくみんな悲しい。


「そんなの置いていかれても何の救いにもならないじゃないか。弟はいいから君が生きのこってよ」

「私に言われても」

「嫌だ。エルシャット家をばかにするやつなんて、僕は大きらいだ」

「そんなこと言わないで、私の弟になるのよ? それに、まだ会ってもいないじゃない。会ってみたら、いがいといい子かもしれないわ」




 被害者予備軍その三。

 王子様。


「なに? 君、王子となんて会う予定なんてあるの?」

「ないはずなんだけど、たしか、年上のお兄さんだったわ」


 その他、いろいろ不明。




 被害者予備軍その四。

 公爵の息子。


「なに君、そんなのにも会う予定あるの?」

「ないはずなんだけどその二」


 いろいろ不明、その二でもある。




 被害者予備軍その五。

 騎士団長。


「なんで君、そんなのにばっか会うの」

「しらないわよ! きん肉のあるおじさんの絵だけしかしらないもん!」


 腹筋が割れていたことだけは知っている。被害者予備軍が並んだイラストで見たからだ。


 いろいろ不明、その三。




 被害者予備軍その六。

 王都の花屋の男の子。


「なんで君、そんなのに関わるの」

「王都でお花買う予定でもあったんじゃないの? 心やさしい男の子だそうよ。私、やさしい人すき!」

「……へぇー」


 どうしたことだろう。話せば話すほどシャルルが不機嫌になっていく。確かに、身分が高い人ばかりで対策を立てるのが厄介そうな人ばかりだけど、じとっと私を睨まれても困る。だって出会う人は私が決めたわけではないし、そもそも私はまだシャルル以外の誰とも出会っていない。



 どうしよう。いろいろ不明が大半を占める。

 シャルルは自分が抱きしめていた枕を、邪魔だと言わんばかりにぎゅうぎゅう押しやった。何て冷たい奴だ。あれだけお世話になった枕先輩になんて所業を! そして、枕を抱きしめないなら枕として使ってほしい。そして私の枕の領土を返してほしい。だけどシャルルは私の枕領土を半分占領したままだ。



 ぶすっとした顔のまま私の寝間着を握っているシャルルに、私はたじろいだ。いきなり協力者の機嫌を損ねてしまった。説明しただけなのに何故だ。彼の協力がなくなれば、私はお買い得脳みそで一人この事態に立ち向かわなければならない。心細いにも程がある。

 情けない顔になった私に、シャルルは一つ溜息を吐いた。



「で、君は、だれとの話を進めたいの」

「え? ルルよ」

「……ふーん」


 あ、機嫌直った。


「王子さまとルルがいちばん前でいちばん大きく、まんなかに描かれてたから、きっと主ような人だもの!」

「……へぇー」


 あ、機嫌悪くなった。


「でも、そんなふうに描かれてるのに、すっごくむずかしいって書かれてた。……あんな、主ような人ですよーな描かれ方しているくせに、なん易度一ばん高いってどうなってるの。さぎよ、さぎ!」

「へぇー」


 あ、機嫌よくなった。


「王子さまはわりと簡単だったみたい。まさしく王道。一ばんはじめに選ぶにふさわしいなん易度! ……それでも立ちはだかるアルテミシア・エルシャットのかべ…………」

「……ふーん」


 あ、機嫌悪くなった。……何で!? 振り子!? シャルルの機嫌って振り子なの!? 長い付き合いなのにシャルルの機嫌の振り子がよく分からない。




「でも、とにかく何度もやるたびにるーとがいろいろ変わっていらすといっぱい手に入るのはいいんだけど、そのつどアルテミシア・エルシャットのとらうまいらすともふえるんだって……」

「ちょっと待って。僕のまえで君が死んじゃうできごと、さっきので終わりじゃなかったの?」

「ばか言っちゃだめよ、ルル。死に方がひとつなわけないじゃない」


 私はお姉さんぶって人差し指を立てた。実際私はシャルルよりお姉さんなのだ。一時間だけど。


「いいこと、ルル。アルテミシア・エルシャットをなめちゃいけないわ。アルテミシア・エルシャットは、とにかくなにがなんでも死ぬの。なんでそこで!? ってところでも、すきを見つけて死ぬのよ。こんじょうで」


 全身全霊根性懸けて死ぬアルテミシア・エルシャット。制作陣は彼女をどうしたかったのか。恨んでいたのかそれとも愛していたのか。あれは歪んだ愛だったのか。

 そうだそうに違いない。何せ、被害者予備軍の中で唯一お前は加害者じゃないかと思える、加害者予備軍がいたくらいなのだ。きっと歪んだ愛はお手の物だったのだろう。



「そうだ、だいじな存ざいをわすれていたわ。アルテミシア・エルシャットはいろいろな理由でぽこぽこ死んじゃうけれど、ころされちゃうこともあるの」

「…………なんだって?」

「ぼうかんだったり、通りまだったり、いろいろあるけど、共つうの人にころされることがあるの」


 それが隠しきゃら。アルテミシア・エルシャットのすとーかー。

 どうして? どうして過去の死亡きゃらにすとーかーをつけてしまうの? そこは現在を生きるぷれいやー操る主人公につけてほしかった。どうしてアルテミシア・エルシャットを殺した犯人を攻略対象にしてしまった……? 誰得なの……?



 子どもの私にはよく分からない。奴の人気があったのも許せない。

 姿絵は影としてしか出てきていないし、ねたばれ厳禁という厳粛なるーるの下、知っている人は口を噤んでいたようなので誰かは分からない。未だにシャルルるーとが攻略されていないかもしれないことを考えると、もしかすると誰も知らない可能性も残っている。


 また何か貴重な情報を新たに思い出せるかもしれないけれど、今の私にはここまでの情報で精一杯だ。


 この隠しきゃら、人気はすっぱり二分されていた。好きか嫌いか、である。



 好き派の意見。

 顔どころか姿形も全く分からないけれど、陰があって素敵。闇から救ってあげたい。自分が救いになりたい。幸せになってほしい。アルテミシア・エルシャットを殺してくれてありがとう、である。

 最後、ちょっと最後。どういうことなの。それと、陰があって素敵も何も、影でしか描かれてないよ!?


 嫌い派の意見。

 顔どころか姿形も全く分からない。影でもいけめんならおーけー。自分の欲望しか考えていない。自分の欲のために平気で人を傷つける。想いが一方的。ある程度大きくなってからなら話の流れ上まあ許せるけど子どもを殺すのは許せない。アルテミシア・エルシャットを殺したせいで他のきゃら攻略の難易度が跳ね上がったじゃねぇかこの野郎、どうせなら口説き落として他のきゃらを全員フラせた後で駆け落ちしてほしかった、殺すのはその後で、である。

 最後、ちょっと最後! どういうことなの!? それと、いけめんでも影だよ!? いいの!? 影だよ!?


 そして、その影に殺されまくるアルテミシア・エルシャット。

 刺される、突き落とされる、上から物を落とされるならまだいい。とりあえず原形を保った死に方をしていれば、まだマシだという扱いだ。






 説明すればするほど悲しくなってきた。シャルルが私の寝間着を握っているように、私もシャルルの寝間着を握る。

 さっきまでお姉さんぶっていた自分の手は、カタカタ震えていた。


「ルル……ねえ、ルル……こわい、こわいよぉ……」


 気づいてしまったら、もう駄目だった。


「やだ、死んじゃうの、やだ。こわい。やだよ、ルル、たすけて、ルル。私、アルテミシア・エルシャットじゃないのに、なんで、私アルテミシア・エルシャットだけど、アルテミシア・エルシャットじゃない。なのになんで死ななきゃいけないの。やだよ、しらない、私、ルルしか知らない。なのになんでぇ」


 怖いよ。死んじゃうなんてやだよ。殺されるのなんてもっとやだよ。怖いのは全部やだよ。痛いのも怖いのもやだよ。お父様とお母様に会えなくなるのはやだよ。


「ルルに会えなくなっちゃうの、やだよぉ」


 堪えきれず、うえええんと泣き出した私を前にしたシャルルの目元も滲んでくる。それでも一所懸命私の涙を拭ってくれた。

 何故かよく分からなくなる私の目元を上手に捉えきれず、目元全部をゴシゴシ擦っているシャルルの口もわななき、なみなみになった。やがてシャルルの涙も決壊した。シャルルは泣き虫だ。私の前ではいっぱい泣く。だって私は、シャルルの一時間だけお姉さんなんだ。だから私は泣いちゃ駄目なのに、私もいっぱい泣く。だってシャルルは、私のお友達だし、兄弟みたいなものだから。

 私達は、おんなじ日に生まれ、四歳からなんと二年も一緒に育った、家族なんだ。二年だ。人生の三分の一も一緒にいるのだ。もう一生一緒にいると言っても過言ではないと思うのだ。




 私はいっぱい泣いた。ベッドの下に潜り、布団をかぶり、シャルルにしがみついて、シャルルを水浸しにした。シャルルはいっぱい泣いた。私と同じ場所で、同じように私にしがみついて私を水浸しにした。私達はお互いをびしょびしょにして、いっぱいいっぱい泣いた。


 私達は子どもだから、お互いを抱きしめてあげるなんてできない。お互いにしがみつくしかできないのだ。でも、縋りついてお互いぎゅうぎゅうしがみつくから、一人でいるより頑丈でいられる。一人だとぽきんと折れてしまいそうだけど、二人で一本みたいにぎゅうぎゅうくっついているから、二倍も頑丈なのだ。

 私達の手は、二つ合わせてもお父さんより小さい。でも、二つあれば何だってできると思うくらい安心する。




 ぎゅうぎゅう抱きついて、わんわん泣いた。声は枯れ、目元は真っ赤に腫れ、鼻はぐずつく。胸はしゃくり上げで跳ね続けているし、寝間着はびしょびしょだ。それでも、私達はぎゅうぎゅうにくっついたまま離れなかった。

 すんっとシャルルが洟をすする。


「……大丈夫だよ。僕が守ってあげる。ぜったい、僕が守る。やくそく、するから。だから、ミーシアもやくそくして」

「……なにを?」


 シャルルは、真っ赤になった目からまた涙を溢れさせ、私と額を合わせた。

 シャルルの瞳から零れた涙が私のほっぺたに落ちる。自分の涙はとっても熱いのに、シャルルから零れた滴は中途半端な温度を保ち、ほっぺたを伝い落ちていった。


「アルテミシア・エルシャットにならないって、やくそくして」


 ぐすぐす泣きながら、ぼろぼろ泣いているシャルルを見る。


「僕はミーシアが大すきだよ。エルシャット家も大すき。だけど、君が言う、アルテミシア・エルシャットは大きらい。おねがい、おねがいミーシア。アルテミシア・エルシャットにならないで。君は僕らのアルテミシア・エルシャットだけど、君の言う『アルテミシア・エルシャット』には、ぜったい、ならないで」

「そんなこと言われても、どうしたらいいか、分かんないよ。だって私、アルテミシア・エルシャットだもん。エルシャット家の、お父さまとお母さまの、むすめだもん」


 また湧き上がってきた涙でしゃくり上げた私の唇に、ふんわりとした温もりが重なった。柔らかなシャルルのほっぺたより柔らかいそれに驚いて、涙が止まった。


「ミーシア、すき。僕、ミーシアがすき。一等すき。大すき。だから、おねがいミーシア。僕と結こんして」

「え?」


 びっくりして首を傾げてしまう。だけどシャルルは、真剣な顔で私を見ている。シャルルの涙は、いつの間にか止まっていた。


「僕と結こんして、ミーシア」

「ル、ルル?」

「……いや?」

「い、いやとかそういうんじゃないけど……そういうおはなしは、お父さまたちにご相だんしてからじゃないと、いけないのよ」


 子爵といえど私は貴族だ。シャルルだってご実家はとても偉い家だそうだ。だから、結婚は当人同士で決めることはできないと、六つの私だって分かっている。私だって分かっているのだから、私より賢いシャルルが分からないはずがない。

 それなのに、シャルルはまっすぐに私を見ている。私はそれを見ていられなくて、目を逸らしてしまった。

 だって、私だってシャルルが大好きだ。一等好きだ。

 他の男の子みたいに意地悪しないし、乱暴しないし、乱暴なことも言わない。シャルルが一等好き。でも、子ども同士で決めちゃ駄目なことに、うんなんて言えない。私、嘘つきになっちゃう。

 べそをかいたら、深い溜息を吐かれた。もっともっと泣きたくなってしまう。じわりと滲んできた目元を、シャルルが自分の裾で拭った。


「ミーシア、僕と結こんしたらお得だよ」

「え? おとく?」


 その言葉大好き。すんっと洟を鳴らし、じっとシャルルを見る、

 さっきまでぐずぐず洟を啜っていたとは思えないほど、明るい声でシャルルは続けた。


「なんと、僕と結こんしたらアルテミシア・エルシャットじゃなくなる」

「え!?」

「だって、姓が変わるじゃないか」

「あ!」


 その通りだ。シャルルと結婚したら、彼が養子にならない限り私はアルテミシア・エルシャットじゃなくなる。シャルルに兄弟はいないと聞いているから、養子に入ることはないだろう。それなら、私の姓が変わる。もし婿に入る形になっても、マルスタートの姓も引き受けることになるかもしれないから、どちらにしても私の姓は変わるだろう。

 思ってもみなかったことに目を丸くしている間にも、シャルルは続けていく。


「それに、今すぐは結こんできないとしても、僕のこんやく者になっていれば、君が知っている話とは少し変わるんじゃない? だって、君の知っている話では、アルテミシア・エルシャットはだれともやくそくしていないんだろ? だから、だれと会っても死んでしまう理由がたくさん増えてしまうかもしれないけど、僕とこんやくしたら、とりあえず僕にかかわることだけ気をつけていればいいと思うんだ。そうしたら、少しは対さくを立てようがあると思うんだけど…………どうかな」


 一気に喋り続けていたのに、何故か最後だけそぉっと聞かれた。その様子は喧嘩してしまったお母様の様子を窺うお父様によく似ていた。でも、私とシャルルは喧嘩なんてしていない。それどころか、私が死なないよういっぱい考えてくれることにありがとうの気持ちしかない。

 だけどシャルルは、私の答えを真剣な顔で待っている。怒られる覚悟を決めた私みたいな顔だ。今日のおやつを待っている私みたいな顔だ。許可が出るかどうかそわそわ待っている私みたいな顔だ。


 初めて会ったときは、真っ白で顔色の悪い、無表情な子どもだった。酷く痩せていて、髪もぼさぼさだった。なのにいつのまにか、私とおんなじ表情をするようになった。笑って、泣いて、怒って、拗ねる。それがとても嬉しくて、誇らしかった。



 夜、ふらふら歩いて、無表情のまま隅に潜ってしまう彼の後を、布団と枕を持って追いかけた日々を思い出す。

 最初にそれを知った日の朝、どうしてそんなことをするのと何の気なしに彼に問えば、彼はそこで初めて表情を見せた。シャルルは、今にも死んでしまいそうな顔をしたのだ。

 そんな顔をさせてしまったことに慌てて、とにかく隠せばなくなるかと思って自分のスカートの中にしまい込んだ。


 あのときの私は幼かった。何せ四歳だったのだ。

 でも、彼はあれを誰にも知られたくなかったのだということだけは分かったので、誰にも言わず図書室で一所懸命調べた。色んな本を読みあさる私に仰天した両親は、私の熱を計りまくった。傷ついた。


 でも、結果的によく分からなかった。だから、一緒について行くようになった。どんなに寒い夜でもそのまま出て行ってしまうので、枕と布団を持って追いかけるようになった。どこででも丸まって眠ってしまう彼をおぶって帰れないから、そのまま寝てしまえばいいと思ったのだ。

 丸まる彼と枕を半分こして、布団を掛けた。がたがた震えている身体を抱きしめて、両親から習った歌をいっぱい歌った。子守歌も、そうでない歌も、私が知っている歌を山ほど。

 そうしていたら、小さなやせっぽっちの身体の震えは徐々に収まり、固く強張っていた力も解れ、穏やかな寝息が聞こえてきた。



 やがて彼は外に出て行くことは少なくなり、部屋の中を歩くようになった。その頃にはぼんやりながらも意識は残るようになったらしく、ちゃんと枕を持っていくようになった。

 そして、六歳になった頃にはきちんとベッドで眠るようになったのだ。




 そんな彼が、いろんな表情を浮かべた顔で、私に結婚しようと言ってくれる。大好きな彼が、一所懸命、私に好きだと言ってくれるのだ。これが喜び以外の何だというのだろう。


 愛おしさ、というものはよく分からない。だって私はまだ六つなのだ。

 だけど、胸がぎゅうっとなって、きゅうっとなって、お腹が空いたみたいなのにもう何にも食べれないほどいっぱいになるこの気持ちが愛おしいということなら、私はきっと、シャルルのことを愛していると思うのだ。

 そして結婚とは互いを一等好きで、愛し合っている二人がするものだと、六つの私でも知っているのである。


「……ルルが私のこと、ずっと、一等、すきでいてくれるなら、いいよ」

「すきだよ」


 私が一所懸命詰まりながら言ったのに、シャルルは間髪容れずに返してきた。もうちょっと考えてほしいと思うのは私がわがままなせいだろうか。

 思わずむくれそうになったけれど、シャルルを見てすぐにそんなのどうでもよくなった。


「君がすき。一等すき。大すき。ずっと、一生、君だけが僕のすきな人だ…………だからミーシア、死んだら、いやだ……おねがい、僕と結こんして」


 何も考えていないから間髪容れなかったんじゃない。反射のように返してきたその答えが、ずっと彼の中にあったから迷う必要がなかったのだ。そしてそれは、私も同じだった。


 世界で一番大切な男の子。世界で唯一の男の子。その相手を彼と定めることを躊躇う理由は、どこにもなかった。








 翌朝、空っぽのシャルルの部屋から一直線に私の部屋に現れた両親にベッドの下で発見された私は、こっぴどく怒られた。

 泣きすぎてまだ頭が重く、ぐらぐら揺れている私の横でシャルルが目を擦っている。ベッドの下から引きずり出された私の頭ががくんと揺れたのを支えたシャルルは、目を擦りながら頭を下げた。


「ミーシアと結こんしたいです。きょ可をください」


 ぺこりと頭を下げたシャルルに、私もがくんと頭を下げた。


「ルルとけっこんしますぅ……すぅ……ぐぅー……」


 そのまま夢の国へ旅立った私の頭をとりあえずひっぱたいた母と、ぱこんと顎を外した父の顔を、目をしょぼしょぼさせたシャルルだけが見ていた。

 私はお母様にひっぱたかれても夢を見ていた。眠たかった。もう六歳のお姉さんになったとはいえ、夜更かしできるほど大人ではなかったのである。


 








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