3戦
急遽呼ばれた医者に身体中を確認され、うんざりするほど質疑応答が繰り返され、時間をおいてまた身体中を確認され、質疑応答を繰り返され。
あっという間に日は落ちた。正直質疑応答部分は適当にしてしまいたかったが、そこが抜かっていると意識に問題ありとの判断が下されてしまい、今よりもっと厄介になってしまうことは幼心に分かっていたので頑張った。
医師からなんとか今日の所は大丈夫との言葉が出たのは、いつもならとっくに夕食を食べている時間だった。医師は、経過見必須なのは変わらないので絶対に無理はさせず、運動もしばらくは禁止、何か異変が起こったらすぐに呼ぶようにと念を押して帰っていった。お世話になりました。
ほぉーっと深い安堵の息を吐いた両親には、不可抗力であったとは言え大変申し訳なかったと思う。両親は、軽い食事をベッドに運ぶよう指示を出している。そして、それを食べた後は早々に眠らされそうになった。私は慌てて母のドレスの裾を握った。
「お、お母さま、ルルは? ルルは大じょうぶなのですか?」
診察が終わった後も、食事中も、今だって、何度もシャルルの無事を確認しているのに、みんな曖昧に言葉を濁すだけだ。たしか怪我はなかったはずなのにと思い出すも、もしかしたら私には分からない場所で怪我をしていたのだろうか。それとも、全く関係ない病気でも見つかったのだろうか。
一気に青ざめた私に、両親は慌てた。
「だ、大丈夫よ。ただ、ちょっと動揺しているみたいで……そうよね、びっくりしたのよね。大人びていると言っても、あの子も六歳だもの……でも、どうしましょう。あの子、私達には礼儀正しくしてくれるけれど甘えてはくれないだろうし」
「そうだねぇ……もっと甘えてくれていいのに……僕が、僕が頼りないからっ……」
お母様は少し淋しげに微笑み、お父様は己の無力にはらはら涙をこぼした。
シャルルはお父様の親友から我が家に預けられている子どもだ。お父様の親友はとてもお偉い方らしく私はお会いしたことがない。そんなお偉い方がどうしてこの泣き虫な父と親友なのかさっぱり分からなかった。
そして、何故シャルルが我が家に預けられているかというと、ちょっと魔力が強すぎるのだそうだ。
どんな物でもそうだけど、子どもが身の丈以上の力を持つといろいろ大変だ。本人も、本人を取り巻く環境もだ。だから、王都で権力争いどろどろに巻き込まれて育つより、ど田舎でのびのび過ごしておいでなさいということらしい。
シャルルの腕には、シャルルのお父様がつけた魔力封じの腕輪が巻かれている。今はまだ自分でもうまく制御できないからだそうだ。大きくなれば自然と自分の身体の使い方を覚えるように、心を育てれば魔力をきちんと扱えるようになるという。
魔力は全員が持っているものではない。強い魔力を持っている人が一人いるだけで、勢力争いの図がひっくり返ったりもすると聞く。シャルルのお父様は本当にお偉い方で、下手に子どもの魔力が強いと分かれば国を巻き込んだ大騒動になるらしい。
田舎子爵の娘には分からない世界だが、シャルルが楽しく遊べないのは嫌だなと思った。だから私は、シャルルが魔力を持っていることを誰にも話してはいけないという両親との約束を、これだけはしっかり守っていた。
そんなこんなで四歳から我が家に預けられているシャルルは、たまに隣の隣の隣の隣の町まで出向き、そこまでお忍びでやってきたお父様と会う以外は我が家で過ごしている。
両親は物怖じしないタイプで、我が子である私と同じように接しているが、如何せんシャルルはとても大人びていた。しかも私とは違い、いい子すぎて叱る必要もほとんどないため、なかなか甘えてもらえないし、甘やかす機会も見つけられないとしょんぼりしている。
「お母さま、私、今日はルルといっしょに寝てもいいですか?」
裾を引っ張りながら、必死におねだりする。六つになったとき、もう立派な紳士と淑女だからベッドは分けましょうねと言われたのだ。それまでは毎日一緒に寝ていたから最初はとても淋しかったけれど、もう一年経ったから慣れた。
だけど、今日くらいはいいんじゃないか。そう思ってねだる私に、両親は顔を見合わせた。
「……そうだね。シャルルも、僕達と寝るよりずっと心が落ち着くかもしれない」
「そうね……ミーシア、いい子にできる? 暴れたり、ベッドの上で飛び跳ねたり、窓から飛び出したり、部屋中を走り回ったり、箪笥の上によじ登ったり、暴れたり、格闘したり、夜の庭を駆け回ったり、夜の屋敷を駆け回ったり、四つん這いで階段を下りられるか試したり、厨房へおやつを探しに侵入したり、暴れたりしないでいい子にできるかしら?」
「はい、お母さま!」
これは脈ありか? 私はおねだりの成功を祈り、必死にお母様を見つめてうなずく。お母様とお父様は、今一信用ならぬみたいな顔をした。
「ちなみに、ミーシア。今日はどんな感じでシャルルと寝るつもりか、お父様に教えてくれるかな? ベッドの下? ベッド? 天蓋の上? 床? 箪笥の上? 机の上? 机の下? 椅子を重ねて籠城した中? カーペットの下? クローゼットの中?」
「ルルがこわがっているのなら、ルルをだっこしてねむるつもりです」
「そうかそうか。で、どこで?」
「いやだわ、お父さま、おかしなことをおっしゃるのね。夜はベッドでねむるに決まっているじゃないですか」
私だってもう六歳なのだ。いい加減お腹丸出しで寝て風邪を引くお茶目な子どもは卒業した。自信満々に答えた六歳のしっかりしたお姉さんを前に、両親はやっと安心したようだ。
六歳って凄い。五歳の頃はいくらベッドで眠りますと言っても信用ならぬ、貴様だけは信用してなるものかという目で見られたものだ。この一年ずっとベッドで寝ていて本当によかった。
それに、両親には言っていないけれど、私がベッド以外で寝ていたのは私が理由ではないのだ。確かにあちこち潜って眠るのはわくわくするし、どきどきするし、冒険みたいで楽しさが溢れ出す。だから嫌いではないし、むしろ楽しみではあるが、大抵は私が原因ではない。
両親から許可をもらった私は、枕だけ掴んでベッドから飛び降りた。後は両親の間を擦り抜けて部屋から駆けだし、廊下を一目散だ。背後から「ミーシア――!」と叫んだ両親の声が聞こえてようやく、やってしまったと思ったが、いつものことなのでとりあえず明日叱られればいいやと決めてシャルルの部屋へと向かった。
シャルルの部屋は、私とは階が違う。私は二階で、シャルルは一階。何故かというと、一階のほうが図書室が近いからである。シャルルは本が好きなのだ。
放っておけば黙々といつまでだって読んでいる。だから、初めて会ったときは真っ白な子どもだった。髪は真っ黒なのに、肌は真っ白で、酷く顔色が悪く見えたものだ。
「こんばんは、ルル、アルテミシアよ」
言葉を句切る度に拳を扉に叩きつける。シャルルからはよく、「ミーシアのノックはざんしんだね……」と半眼で言われている。でも、ノックをして、挨拶をしてだと二度手間ではないか。この方法だと両方いっぺんにこなせてお得である。
いつもは淡々とした返事がすぐに聞こえてくるのに、今日は物音一つしない。本に集中していてものめり込んでいるわけではないシャルルは、きちんと周りの音が聞こえている。本に夢中で気づかなかったとの言葉は、一般の言葉に翻訳すれば無視してたに訳されるのだ。
それはともかくとして、返事がない。無視はよくされるけれど、夜に部屋の外で待ちぼうけを食らったことはない。
私は両親がシャルルと一緒に寝る許可を出してくれた理由が何となく分かった。
「入るわよ……?」
そぉっと扉を開ける。返事がないのに勝手に開けてはいけない。淑女としても人としてもいけない。だけど、私とシャルルの間では時にその常識は無効となるのだ。
ゆっくり開けた扉から中に入る。勝手知ったるシャルルの部屋。私は暗くても迷わずシャルルのベッドを目指して歩く。勝手知っていても、たまに床に積まれている本に引っかかって転ぶことはあったが、今日はそんなこともなかった。
薄ら慣れてきた目でベッドを覗く。平べったい。ベッドの下を覗く。不在。天蓋や机の上にいるのは私が一緒にいるときだから最初から除外し、机の下を覗き込む。お留守。部屋中をうろうろ歩き回るが、全て空振りに終わった。
私は、部屋の中心で仁王立ちになる。寝間着の裾が腕からずり落ちるのも構わず、ふむと顎に手を当てた。そして、部屋に持ち込んだ枕を掴み直し、シャルルの部屋を後にした。のしのし歩いて自分の部屋へと戻る。
両親は既に退出していた。しんっと静まりかえった部屋に戻り、真っ先に窓を確認する。鍵は閉まっていた。いつも開けている鍵が、閉まっている。
「ルルー?」
ベッドを確認。平べったい。ベッドの下を覗き込み、にぱっと笑う。
「みーっけ」
そこには、枕を抱きしめたシャルルがいた。
顔を枕に押しつけているから、目元しか見えていない。目隠れ令嬢と反対だ。目元だけでも可愛い子は可愛いと分かる。シャルルは、女の子とよく間違えられる顔を半分以上隠しても美少女だ。
私も枕と布団を抱え、ベッドの下に潜り込む。窓から入って来たらしいシャルルの身体は冷えていて、もそもそと動きながら布団を掛けてやる。一緒の布団にくるまれば、お互いの体温であっという間に温かくなった。枕を抱きしめるシャルルの頭の下に自分の枕を入れてやり、枕を半分こする。
「私、ルルのへやにいったのに。二度でまになったわ。と中ですれちがっちゃったのね。ルルがまどから入ってくるからいけないのよ。ちゃんとろう下をとおってくれたら会えたのに」
「…………ミーシア、死んじゃうの?」
「いやよ。死なないわ。ばか言わないでちょうだい。私はかがやかしい未来ある、才のうあふれたかわいらしい女の子なんだから」
「……かがやかしいはちょっと不安だし、才能はもっと怪しいし、かわいらしい……ねえ、ミーシア、お世じと社交じれいって知ってる?」
「しってるわよ! いろんないみで失れいね!」
ぺしっと丸い額を叩いてやれば、シャルルは痛いと呟いた。それでも許せず、ぺちぺち額を叩いていた手を取られ、シャルルが抱えている枕に埋められた。シャルルの足は冷たくなっていたけれど、枕を抱えていた部分は温かい。その暖かさを堪能しつつ、ふっと息を吐く。
「ねえ、ルル。私、おかしくなっちゃったのかな。未来が分かるなんて、おかしいよね」
「…………そんなことない」
「ルル……」
「君はいつもおかしい……」
「ルル?」
思わず半眼になった。だけど、同じくらいじとりと据わった目つきが私を睨んでいる。何故だ。悪口を言われたのは私なのに、何故私が睨まれなければならないのだ。ぶすっと膨れて睨まれたって困る。
「死んじゃうなんて、聞いてない」
「私だってきょう思いだしたんだもん……きょう知ったって言ったほうがいいのかな。それに、死なないよ。死なないためにルルに相だんしたんだから」
私は勿論死ぬつもりはない。どうして今日知ったのか分からないけれど、私はどうやら将来とても死にやすいらしい。これはもしや神の啓示なのだろうか。
つまり、未来教えてやるから死なないよう頑張れよということではないだろうか。
やった、得した。第一回命の危機選手権は偶然にも勝ち抜けたので、第二回命の危機選手権に向けた対策を練ろうと思う。まずは、協力者を得るところからである。
この荒唐無稽な話を信じ、尚且つ私が死んだら嫌だと思ってくれて、私も一緒にいたい人。
「だから、ねえルル。私、死にたくないから手つだって。きょう力して。おねがい」
そんなの、シャルルしかいないじゃないか。
さっきまでぺちぺち叩いていた額に自分の額を合わせ、お願いする。シャルルは泣き出しそうな顔になった。ぎゅっと唇を噛みしめて、ゆるりと開く。
「そんなの、当たりまえじゃないか。ばか、ミーシアのばか。大ばか。ばーかばーかばーか!」
「どうして私、あなたにそんなにばとうされているのかしらね。いいわよ、そのけんか買ったもん! ばーか! ルルのばーかばーか、ば――かっ!」