16戦
あれよあれよという間に、気がつけば私とシャルルは王城にいた。何がどうしてこうなったんだろう。私は遠い目をした。シャルルは欠伸をした。眠そうである。
しかし、右手は杖を握り、左手は私の手を握っていた。ずっとこのままだ。
どういうことだろうとこそこそ問うても、さあと肩を竦められるだけなのでシャルルもよく分かっていないのだろう。よく分かっていないのに欠伸を出来るのは凄いことだ。やはりシャルルは大物だ。身長は伸びなかったが、器が大きい。
案内されたのは、広いのに豪奢な家具のせいで狭く見える部屋だった。部屋の大きさは申し分ない。リアンダーにある実家の自室の優に三倍以上はある。だが、家具の多さと大きさがそれを凌駕した。
結果、歩き回れる範囲が異様に狭い。椅子一つにしても、私とシャルルなら三人は座れそうな大きさで一人分だ。無駄に装飾が多いので、この部屋で追いかけっこをすればあざだらけになってしまうだろう。まあ、流石にリアンダーの田舎者でも、この部屋で追いかけっこをする勇気はない。ついでに理由もない。
装飾が主体ではないかと疑ってしまうほど物が入らず装飾が多い棚の上に、何入れるんだろうと首を傾げたくなる花瓶がどどんと置かれている。水瓶か? それとも中に人でも入れるのか? こんなに大きな花瓶に花を入れたら、花畑がすっからかんになってしまう。その向こうの壁に張り付いている絵画も、とにかく枠が太い。固そう。大きい。重そう。ぶつかったら痛そう、である。
この部屋で追いかけっこをするのは、借金地獄になりたい人だけだろう。追いかけてくるのは遊び友達ではなく、借金取りだ。しかし、シャルルがやりたいのなら吝かではない。
いま部屋にいるのは私とシャルルだけだ。上半身裸少年が鳥に向けて泣きつき、その後すぐに王城から迎えが現れ、こっそり有無を言わさず強引に連れてこられて、この部屋に押し込められている。あんなに強引で有無を言わさず無理やりだったのに、どこまでもこっそりだったのが凄い。こっそりの概念が覆された。
後から届くはずだった私の荷物、誰か受け取ってくれているだろうか。あれがないと、私はしばらく手持ちのトランク一個で過ごさなければならない。そもそも、学園生活を送れるのだろうか。
さっきから決して椅子に座らず、扉から一番離れた壁の端っこで私の手を握っているシャルルをちらりと見る。眠そうだ。というか、半分寝ている。
「ルル……眠たいの?」
「ああ、うん。別に」
「そう?」
「君といると、眠りそうになるだけ」
「………………私そんな、人を眠りに落とす薬品の臭いを放っているかしら」
自分の身体から刺激臭を発しているとは考えたくない。自分の臭いを嗅いでみたけれどよく分からなかった。くんくんしていると、シャルルが阿呆を見る目で私を見ていた。肩でどついておいた。シャルルも軽くどつき返してくる。
どついてどつかれ、よろめきよろめかせ。気がつけば軽く声を出すくらい遊んでいた。楽しかった。
だけど、そんな戯れは、シャルルの表情がすっと消えると同時に終わった。
小さなノック音の後、扉が開かれた。扉を開いたのは、私と同室の変態だ。その後を、おじさん達がぞろぞろ入ってくる。
「国王」
ぽそっとシャルルが呟いた。え? とんでもなくない?
「宰相」
ぽつっとシャルルが呟いた。え? さっきよりはとんでもなくないけどとんでもないわね?
「神官長」
ぽろっとシャルルが呟いた。え? さっきよりはとんでもなくないけどやっぱりとんでもないわね?
「父様」
ぱっとシャルルが言った。え? 嬉しい。
「シャルル、ミーシア」
一番最後に入ってきたイシュー様は、刺繍が沢山入った高そうなローブを着ていること以外は記憶とほとんど変わらない。九年も経っているのに何故だ。この親子、不老なのだろうか?
あまりの変わらなさに呆然としている間に、イシュー様はとんでもない人々を追い越し、私とシャルルの前にしゃがみ込んだ。早足であっという間に前に来たから靴紐でも解けたのかと思ったが、どうやら違ったらしいと、いきなり上がった視線で気がついた。
「…………父様」
シャルルが呆れた声を出した。私は驚いた声を出そうとした。
「イ」
「父様」
出せなかった。
「……父様」
私とシャルルは、イシュー様と呼ぼうとした私に素早く訂正を入れたイシュー様に抱き上げられていた。子どもの頃ならばともかく、十五歳になった私達をあの頃と同じようにそれぞれ片手で抱き上げるなんて、イシュー様の腕力はどうなっているのだろう。一見細身で体力がなさそうなのに、とてつもない豪腕である。
シャルルは呆れた目をしているが、さほど驚いていないし体勢も崩さず、当たり前のように姿勢を保っていた。どう見ても慣れている。そういえば今でもしょっちゅう抱き上げてくるとぼやいていた。
私はだっこなんて久しぶりで、思わず体勢を崩しかけてしまった。子どもの頃とは違い、それなりに自分の身体が大きくなれば、抱き上げられ方というものがあるのだ。力の抜き方や、逆に力の入れ方などだ。
「成人していない子どもを親の承諾もなく王城へ連れ去るなど、いくら陛下といえど許される所業とは思えないが」
聞いたこともないほど低く冷たいイシュー様の声に、びっくりしてシャルルを見てしまう。イシュー様を見るべきだったと後で気づいたけれど、同じ高さに目線があるシャルルを見てしまったのは致し方なかったようにも思う。
シャルルは特に驚いた様子もない。それどころか、酷く冷たい目でとんでもない集団を見ていた。慌ててイシュー様に視線を落とせば、イシュー様もシャルルと同じか、それ以上に冷たい目をしていた。この親子、本当にそっくりだ。
それに、一体全体何がどうなったのだ。シャルルと一方的な再会を果たしてから怒濤の流れすぎて頭も気持ちも全く追いつかない。一方的な再会、怒濤の死亡、一方的じゃない再会、変態発見、お城連行、怒濤のお偉方、イシュー様のだっこ。訳が分からない。特に一番最後が。何故この流れで、小さな子どものようにだっこされたのか。さっぱりである。
「すまなかった」
国王と、シャルルが言ったおじさんが、突然頭を下げた。リアンダーでは、貴族と平民の境がきっぱり別れるような生活をしてこなかった私でも、これが異常な光景だと分かる。だって国王が、頭を、下げた。
「全部私達の勘違いだった。イシュー・アーグレイ、本当に申し訳なかった。お前にも、シャルル・アーグレイにも、ベルガ・ロベリートにも、本当に、何と詫びればいいのか分からない。本当にすまなかった」
「何を……」
イシュー様もシャルルも、身体が強張っている。私も仰天していたけれど、私より余程動揺している二人を見ていたら少し落ち着いた。そもそも、役職はとんでもない人達だけれど、私にとったら全く知らないおじさん達なのだ。
宰相と神官長と呼ばれたおじさん、どちらかというと宰相はお爺さんだけれど、その二人も頭を下げた。イシュー様が気持ち悪そうに半歩下がり、私達の背中が壁に当たる。シャルルも困惑を通り越して気持ちが悪そうだ。
「お前達があちら側だと思っていたのだ」
「お前達親子には、本当に申し訳ないことをした」
待ってほしい。悪いことをしたら謝罪は確かに大事だけれど、誰か私に説明してほしい。
「俺からも謝罪させてほしい。悪かった。本当に、悪いと思っている」
誰!?
すぐ近くで知らない少年の声がして、私は完全に混乱を極めた。なんとか冷静にいようと思っていた気持ちが全部吹っ飛んだ。だって、イシュー様に抱き上げられている私とシャルルと同じ目線に、一人の少年が浮かんでいたのだ。
シャルルとイシュー様は弾かれたように杖を構えた。イシュー様はそれでも私達を抱いたままである。シャルルを抱きかかえているほうの手に杖を握っていた。根性だ。
目の前に浮かんでいる少年は、不思議な髪と瞳の色をしていた。七色にも見えるし、無色にも見える。透明に見える不思議な色だ……と思っていたら本当に背後の景色が透けていた。ドン引きである。
「ごめん、一から説明させて。君達に対する謝罪と詫びは後で必ず。だけど、お願い。とりあえず説明させて。その女の子の命が削れていく理由についても、ちゃんと、話し合おう。落ち着いて。俺が言うのもどうなんだって思うけど、とにかく落ち着いてくれ、アーグレイ親子。頼むから。頼むからその、神の一人や二人消しされそうな魔法二人で放とうとするの、ほんとやめて。俺が死ぬ。ほんと死ぬ。ごめん。許してとは言えないし言わないけど、とりあえず説明させて」
待って。アーグレイ親子何しようとしてたの? 驚いたら神様消すほどの魔法ぶっ放すの? そんな魔法あるかどうか知らないけれど、それをとんでもないやんごとない人々がいる場所でぶっ放すの?
私の婚約者と父様、物騒。学園でやっていけるか心配してリアンダーを出発した私は、まさか入学前日にお城と国の明日を心配しなければならないなんて思ってもいなかった。人生とは何が起こるか分からない物である。
「あ、あの……ルル、父様。私、全く事情が分からないので……だからこそ、説明をしてほしいと思うのですが……い、如何でしょう?」
そぉっと、そぉっと、提案してみた。事情が本当に全く分からないので、却下されたらそれを覆す手は、私にはない。そもそもこの場、色んな事情が絡まっているように思える。
この浮かんでいる謎の少年と王様達は、私とシャルル達の関係をちゃんと分かっていないだろう。そして、シャルルとイシュー様は、彼ら側の事情が分かっていない。私は何もかも全部分かっていない。
どうして私ここにいるのだろう。私、一番関係ない気がする。気が遠くなりそうだ。
「本当にごめん……」
そもそも、君は何故浮いている上に透けているの?
せめてそういう法則くらいは理解できる枠組みに収まっておいてほしかった。