11戦
一日目は、初めての遠出と出発時に体力気力を使い切ったことにより何かを考える余裕はなかった。二日目は、一日目の疲労感が抜けきらず、馬車の中でぐったりとしていれば勝手に過ぎた。三日目は、馬車に乗りっぱなしで痛む身体に苦戦しているうちに終わった。
つまり、新生活への不安は四日目、王都に着いてから始まったのである。
規模が違うとはこういうことかと、生まれて初めて実感した。
道が広い。広いのに整っている。脇道も、荷馬車が通った後だけ草が生えずに轍道で出来たわけでもなく、きちんと整備されていた。人の数も桁違いだし、その誰もがリアンダーでは普段お祭りでだって着ないような高そうな服を着ている。その帽子一個でドレス三着くらい買えそうなーんて装いが、当たり前に闊歩していた。王都怖い。
お店も、商品を見るまでもなくまず外観がきらきらしている。出入りしている人々もきらきらいしている。きらきらしすぎて、きらきらしていない自分では店に近づくことすら躊躇われる。王都怖い。
馬車だって、少々磨き抜かれた程度では到底追いつかない、そもそも根本が違うのだと言わんばかりの様相だ。細工が凄い。大きさが凄い。凄いが凄い。王都が怖い。
朝食がお腹の中でひっくり返りそうだ。私はそっと自分のお腹を押さえた。
「お腹痛い」
お父様が嘆いた。
当事者である娘より先に音を上げたお父様は、めそめそ泣い
ている。泣きたいのは私の方だ。
「うぅ、緊張する。王都怖い。人多い。緑少ない。物価高い。闇が濃い……」
「これからここで暮らす娘を不安にさせないでください!」
「はっ……ざびじいぃいいいい!」
忙しい人である。
新生活への不安にようやく気持ちが追いついてきて不安で胸が一杯になった私は、何故か不安で胸が一杯の父親の背を擦って慰めている。おかしい。逆だ。
逆だと思うのに背中を摩る手を止めないのは、ひとえに親子の情である。不安を煽りまくる人など、他人だったら放り出していたかもしれない。
「お父様、大丈夫です。私、きっと、それなりにやれますわ」
心にもないことを励ましとして言っていたら、ぐすうす泣いていたお父様の背がむくりと起き上がった。
「不安かい?」
「今のお父様よりは不安ではありません」
ありとあらゆる意味で。
きっぱり言ってしまった。だってすっごい顔である。そう言えば、お父様は慌てて自分の顔をゴシゴシ拭いた。まあ、拭いた後も大して変わらなかったが。
すぅはぁ。何度も深呼吸して、ようやくお父様は落ち着いた。お父様は。私は全然落ち着けていない。不安もさることながら、下手にお父様を不安にさせて号泣状態に逆戻りさせたらどうしようと緊張感がとんでもなかった。何故だ、何故これから新生活を送る側が気を使わねばならぬのか。
だが仕方がない。これがお父様だ。いきなりきりっとした頼りがいある古狸になられたら、それはそれで頭でも打ったのか心配になる。お父様は悪賢い例えとして使われる古狸より、ぽんぽこーと怒る小狸のほうがお似合いだし、私もそういうお父様が好きなのだ。
「大丈夫ですわ。だって私、これでもリアンダーで幅を効かせたガキ大将でしたのよ。少々のことなら、私平気で乗り越えてしまいますわ」
慣れれば、の話であるが。だが、ここで引いてしまってはリアンダー嵐の暴風お頭ミシアの名が廃るというものだ……別に自称したわけでも誇りに思っているわけでもないので、とっとと廃れてしまえと思う心がないわけではない。女心とは複雑な物である。
複雑な思いは顔に出てしまったのだろう。お父様は心配そうな顔になり、ついでふわりと笑った。
「僕の可愛いミーシアに、一ついいことを教えてあげよう。きっと学園生活が楽しみで楽しみで堪らなくなるよ」
「え? 何ですか?」
そんな素晴らしいお知らせがあるのなら、号泣する前に教えてほしかった、と言ってはならない。言ったが最後、素晴らしいお知らせはしゃくり上げる声に飲みこまれて到着までに聞くことは叶わないだろう。
私は急かしたいのを堪え、辛抱強く待った。するとお父様は、まるでちょっとしたいたずらを隠している子どもみたいな顔になる。
「学園に、シャルルがいるよ」
何を言っているのだこのぽんぽこは。
まず思ったのはそれである。別に丸々としているわけではないし、小柄であるところは似ているかもしれないが目の周りに縁取りがあるわけでもない。だがこの人はぽんぽこだ。このぽんぽこ親父め。私の頭の中を淑女らしからぬ言葉が駆け抜けていった。
呆然としている私の前で、お父様はすっと表情を改めた。それを見て、無意識に私も姿勢を正す。お父様は、情けないときは情けないし、頼りないときは頼りないけれど、きちんとしているときはきちんと話してくださる方だからだ。
「君は途中編入という形になるし、編入組の、中でも子爵以下の身分の者は平民と同じ寮に入るらしいから、貴族寮にいるシャルルとは滅多に会えないと思う。いくら同年代と言っても、ずっと魔術を学んできた彼と、十五で編入する君達が同じ授業を受けることもないだろうね。何より、君達は知り合いだと知られないほうがいい。シャルルの身分は、君が思っているよりとても高く、難しいものなんだ。何せ、イシューの息子だからね。だから、リアンダーでのように過ごすことは難しいとは思うけど……会えるよ。君達が会おうと思うのなら、大丈夫、会える」
「で、でも、そんな、だって…………本当に?」
「うん」
「会え、る?」
「うん」
「ルルに」
「うん」
会える?
震える声で幾度も確認する私を、お父様は疎まなかった。疎まれたことなど、一度もない。お仕事の邪魔をしても、頭を抱えられるようなことをしでかしても、アイあいというゲームでこの世界の未来を知ったなどおかしなことを言い出したときでさえ、この父はいつでも私を案じてくれた。
「で、でも、お父様。ルルは、一度も、一度も手紙、くれなくて」
「うん」
「も、もう、私のこと、忘れていたら…………今更、何言ってるんだって、言われたら」
「うん」
「あ、んな、子どもの頃の約束を、守ってくれているなんて限りません……」
便りがないのは元気な証拠。そう自分に言い聞かせていても、やっぱり苦しかった。約束を確認する術がないのは、つらかった。
だって、九年も経ってしまったのだ。六歳の自分をお姉さんだと思っていた程度の子どもが交わした約束。そんなものを縁にしているのかと笑われたって、私はきっと言い返せない。だって自分でも、そう思う。
俯いてぼそぼそ話していた額に、ぺしりと小さな痛みが走った。全然痛くない力だったのに、びっくりしすぎて思ったより衝撃を受けた。
こらっ、と、頬をぽんぽこに膨らませたお父様は、私の額をぺしりと叩いた二本の指を揺らす。
「僕が信じているシャルルのことを悪く言うなんて、僕はミーシアにだって怒ってしまうよ」
「お父様……」
「僕は言ったよ。君達が婚約したいって言ったときに。お互いが別れたいと思うなら別れればいい。それは君達が決めることだ。でも、別れるのであれば、お互い話し合ってしなきゃ駄目だって。そして君達はうんって言った。僕と約束しただろう? だからシャルルが君に別れを切り出していないのなら、君達は婚約者だ。それを君が信じなくてどうするの。僕は、時が経った程度で約束を覆すような子に、可愛いミーシアの婚約者の座を許したつもりはないんだけど」
だって。でも。
こんなに言ってもらったのに、そんな言葉はまだ出てこようとする。私はきっと、少し臆病になった。子どもの頃は無邪気に信じられたものが、時と共にその難しさを私に知らしめた。成長とは恐怖を知ることだったのだと、知りたくはなかったのに。
シャルルに会うのは、少し怖い。勿論会いたい思いが勝る。けれど、怖い。
私のせいで、シャルルはいってしまった。私が『アルテミシア・エルシャット』であったばかりに。私は、ぴしりと腕飾りの石が割れた音を忌々しい思いで聞いた。
シャルルやイシュー様に迷惑をかけなければ命を繋いでいけない。毎日、生きているだけで両親に心配をかける。だから危ないことはほとんどやめた。木にだって登らなくなったし、走ることもあまりしなくなった。家の外にも、最低限の用事でしか出なくなった。危ないことは極力避けた。けれど石は割れ続ける。私は死に続けるのだ。何でもない場所で、何でもない瞬間に、石は割れ続けた。
そんな私に、石は送られ続ける。割れるためだけに作り出される魔力の結晶を、送り続けてくれるのだ。私は何も返せないのに、こんな私を生かすために、シャルルはイシュー様が『酷くつらい』と断言した場所へ行ってしまった。
じわりと滲んできた涙は止めようとするのに、言葉と一緒に溢れてしまう。お父様は、そんな私に驚いたりしなかった。
「ルル、もう、うんざりしていたら、どうしようって、ルルは、優しいから、わ、私が死んでしまうから、無理をして、続けてくれているだけだったら、どうしようって、思うの。私、ルルに、苦しい思いをさせていたら、嫌だなって、ずっと、ルルの負担になって、だから、ルル、こ、婚約者も嫌になっていたら、でも、言い出せないだけだったらってっ!」
「色々、しがらみは出来てしまったね。身分の差も、立場の差も、君が知っているすとーりーとやらにも振り回されるはずだ。けれど君は、好きに生きていいんだよ。君の望むように、溌剌として、好きに生きなさい。そんな君を、シャルルも好きなんだから」
しゃくり上げる私を抱きしめ、お父様は優しく言う。
「やっと泣いてくれたね。よく笑い、よく泣いていた僕達の娘はどこにいっちゃったんだろうって、アディリーンも僕もずっと探していたんだ。学園に入る前に迷子を見つけられてよかった。君は君のままでいいんだよ、ミーシア。少しおてんばが過ぎる気もするし、僕達はずっと心配し続けるんだろうけど、それは僕達が親だから当たり前のことだ。僕達は、君が身代わり石が必要ではない子でも、ずっと心配し続けるよ。だから君は、どんな付属価値がついても、君のまま元気に自由に生きなさい。それが一番、僕達に安心をくれるんだから」
泣いてもいい。俯いてもいい。蹲ってもいい。迷っていい。泣いていい。逃げてもいい。両親はいつだってそう言って私を抱きしめてくれた。
そうして、私が立ち上がる力を与えてくれた。涙を拭え。前を向け。立ち上がれ。歩き出せ。走り出せ。そう思えるまで、ずっと抱きしめてくれた。
私はアルテミシア・エルシャット。
すとーりーでは既に幾度となく死に、この学園には決して入学することのなかった目隠れ令嬢。
だけど私は生きている。生きているなら、することは変わらない。
「よし、ミーシア、学校生活を元気に楽しみなさい!」
「はい、お父様!」
生きているなら、私らしく生きるだけである。




