表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/19

10戦






 エルシャット家家族会議は、大体沈黙から始まる。今もそうだ。

 お父様は願書を握りしめたままぼたぼたと滂沱の涙を零し、お母様は両手で顔を覆って項垂れ、私は何も悪いことをしていないはずなのにそんな二人の前で縮こまっている。


「あ、あの……」

「ミーシア!」

「はいっ!」


 ずっとこうしているわけにも行かない。意を決して声を発した私に、お母様ががばりと顔を上げて怒鳴った。


「だから早く鑑定行きなさいとお母様言ったでしょう!? 今から入学の準備だなんてどれだけ大変か分かっているの!? 着替えと、生活用品と、身代わり石を入れる鍵付の金庫! 急遽手配しますからね!? 貴女も急いで荷物を纏めなさい! 書類はお母様が整えます! あなた! 泣いている暇はありませんわ! 一応曲がりなりにも子爵令嬢ですからね! きちんとした物を揃えてくださいませ! 走れ――!」

「はぃいいいい!」


 お母様の凄まじい剣幕を受け、私とお父様は目にもとまらぬ速度で駆けだした。エルシャット家家族会議、終了。

 国の意向ともなれば、学園に入学しないという選択肢はない。ない以上、準備は必然である。






 そこからは全て怒濤のごとく。

 いろいろなことを考える暇もなく、あっという間に十日が過ぎた。何しろリアンダーから出るつもりも出たこともなく過ごした、エルシャット家の娘が王都の全寮制の学校に入学しなければならないのだ。本人は勿論、両親や屋敷の者まで全員が不慣れな状態で期限もぎりぎりなんてものではない完全遅刻状態から用意を始めなければならなかった。



 採寸採寸とにかく採寸。あちこちから雇ったお針子を総動員して作った私服の生地を、私が選んでいる暇すらなかった。それでも生地があったのは、どうやらお母様が片っ端から選んでくださったらしい。

 私はとにかく、人形よろしく採寸採寸、試着試着、はい半周回って試着。


 怒濤のごとく走り抜けた十日間。不安になる暇もなかった。目も回るどころか脳も回る、身体は常に回っている。





 我に返ったのはリアンダーを出る日の朝だった。

 魔術師ならばともかく、普通は王都まで四日かかる。自業自得であり仕方のなかったぎりぎりの王都行は、支度もさることながら出発もぎりぎりである。


 私は、この日のために磨き抜かれた馬車を、どんよりした目で見上げた。



 行きたくないという気持ちもあったが、どちらかというとただひたすら疲れている。寝ても覚めても準備用意支度。もう王都がこっちに来い。その分の四日を休憩と余裕に回してやる。王都、動け。屋敷の扉を開けたら学園の前に着かないだろうか。そんな馬鹿げたことに「ああ……それ素敵」と答えるくらいには、私も家族も疲れ切っていた。


 馬車にはさほどの荷は載せられていない。荷のほとんどは、昨夜遅くリアンダーを出発している。荷を積んだ馬車の方が時間がかかるのは当たり前のことだからだ。

 最悪の場合、私はいま持っているトランク一つで荷が来るのを待ちながら学園生活を迎えることになる。だがそれも自業自得だ。

 まさか鑑定の結果が入学指示だなんて夢にも思わなかったとはいえ、あの鑑定自体は一ヶ月前からリアンダーにいた。もっと早く訪れていればと後悔しても後の祭り。後で悔やむから後悔。そのまんまである。





 初めての取り組みである、身分も何も関係なく魔力持ちを集めるという学園に収容される本人と、それを見送る家族。だが私達の間にあるものは、あー、なんとかなったー、という安堵感である。疲労が極限まで達すれば、不安を感じる隙間もない。


「えーと……じゃあ、行って参ります」

「ええ、気をつけて……」


 ぐったりと言えば、お母様はぐったりと答えた。


「リアンダーにいるときのようにはいきませんからね。貴女は淑女ですからね。走らない飛ばない飛び降りない飛び上がらない叫ばない全力で走らない殴りかからない登らない壊さない怒鳴らない蹴り飛ばさない頭突きしない噛みつかないぶん投げない投げ飛ばさない虫を投げつけられて投げ返さない……」


 ぐったりとしつつも言うべきことが多すぎるらしい。


「…………………………貴女、本当に大丈夫かしら」

「私もいま盛大に不安になって参りましたわ、お母様」

「いじめられたりしないかしら……いじめっこを椅子でぶん殴った場合、どちらが有責かしら……手加減するのよ? 貴女以外の令嬢は暴力に慣れていませんからね? 胸倉掴んではいけませんよ? 男性相手にはもう力で負けるのですから武器は必須ですよ…………違うわね、喧嘩を買ってはいけませんよ? 物理的な喧嘩は特に駄目よ。安売りしていても駄目。相手は人間で、貴女も人間ですからね? 野生動物ではありませんよ? 分かったわね?」

「僕の可愛い娘はガキ大将」

「あなた、嬉しそうにしないでください」


 どうやら、母の中の私は、六つくらいの頃で止まっているようだ。

 喧嘩自体最近はほとんどしていないし、つかみ合っての大乱闘なんてそれこそ六つが最後である。

 そもそも、私がした喧嘩のほとんどはシャルルの代理喧嘩だ。男の子なんてシャルル以外、意地悪で野蛮で泣き虫なのだ。いちいち私から喧嘩を売ったことはないし、買うつもりもない。シャルルに意地悪を言ったり、殴ったり、髪の毛引っ張ったり、そんなことをしない限りは、私は大人しくも愛らしい子爵令嬢なのである。


 出発する前からへとへとになっているので、いちいち訂正する気力もなかった。

 出るわ出るわ、母の口から心配なのかお叱りなのか愚痴なのか疑問なのかもうよく分からない、過去にあった事実の羅列。

 それを前髪で瞳を隠したまま聞く。髪型は結局直さなかった。目が見えないことで不穏や変な噂を呼ぶくらいなら、最初から隠していった方がましだと両親も結論を出した。

 しかし、向こうからは見えずともこっちからは意外と見えるものだ。お母様が虚ろな目でくどくどくどくど言い続けている顔もばっちりである。


「まあまあ、アディリーン。その辺りで」

「でもあなた、私、心配で…………だってこの子、リアンダーから出たことがないのだもの」

「今から出るよ。大丈夫、何事も初めてはあるじゃないか。大丈夫大丈夫。僕でも出来たんだから!」

「まあそれは……その通りですわね」

「ね!」


 お父様、そこは自信満々に胸を張る場面ではないと思います。そう思ったけれど、誰のためにもそっと胸の中にしまっておく。




 お父様は私を王都まで送ってくださるのだ。いくら信頼置ける御者人をつけてくださったとはいえ、王都まで四日も娘一人旅は危ないのである。

 お母様は何度も心配そうに口を開いたけれど、最後にはきゅっと唇を閉じた。そして、私を抱きしめた。

「色々心配はあるし、正直まだまだいい足りないことはたくさんありますけれど……貴女が元気に楽しくやれていけるなら、それに越したことはありません。楽しんでおいでなさい。何かあったら手紙を書くのですよ。それに……イシューにもこのことは知らせてあります。これからは、もしもの事があれば貴女が直接イシューとやりとりなさい。イシューから連絡があると思いますから、その通りにするのですよ」

「え?」

「当たり前でしょう? 一度私達を通す時間が勿体ないもの。……間に合わなくなったらどうするの。いいこと? とにかく貴女は、細心の注意を払って現状を隠しつつ、貴女らしく、楽しくお過ごしなさい。お母様から言える助言はこれくらいよ」


 そう言って私の頬にキスをしたお母様は、もう一度ぎゅっと私を抱きしめた。


「楽しんでいらっしゃいな、私達の可愛いミーシア。貴女の幸せを、お母様はいつだって祈っているのですから」

「……はい」


 ぎゅっと抱き返したお母様から離れると、急に淋しくなった。ああ、私は今からリアンダーを離れるのだと、ようやく実感した。


「あなた、ミーシアをお願いしますわ。ミーシア、お父様をよろしくね。二人とも、慌てて転んだり落ちたり寝過ごしたり食べ過ぎたりはしゃぎすぎて足をくじいたりしないよう……嫌だわ、心配しかないわ。やっぱり私も一緒にっ!」

「大丈夫ですわお母様! 大丈夫ですからー!」


 散々話し合った末に落ち着いた現状が再び覆りそうになり、私とお父様は慌てて馬車に飛び込んだ。屋敷の皆が必死の形相でお母様を宥める。それもそのはず。私の支度で色々後回しにしたり無理をした直後なのだ。いまお母様に屋敷を離れられたら、色々回らなくなる。お父様が離れても、まあ、それはそれで、何とかなるのだ。


「行ってきますっ!」

「後のことはよろしくアディリーン!」

「あの人とミーシア二人旅だなんて、二人揃ってお腹壊して風邪引いて泥だけらになって泣きながら帰ってくる姿しか思い浮かばないわ! あなたー! 待ってー! 私も行きますわー!」


 お母様が屋敷の皆を薙ぎ払ったのを見た御者が、慌てて馬の尻に鞭を振り下ろす。心なしか、馬さえ焦って見えた。何せ、鞭を振るわれる前から速度がぐんっと上がったのだ。


「あなたー! ミーシアー!」

「奥様っ! 皆、奥様をお止めしろ! エルシャット家の明日がいまここで決まる! 総員全力でかかれー!」


 執事の悲痛な号令と共に、薙ぎ払われた皆がお母様を押さえにかかった。鞭を振るわれてもいない馬はまるで猛獣に追いかけられているかのような形相で走り抜ける。御者も私もお父様も、馬車にしがみついて震えるしか出来ない。

 こうして、王都への出発は平和で穏やかでしめやかに行われたのである。

 虚偽申告は認める。








評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ