「守る」ってこと。
まるでこちらに応えるかのように咆哮した、飛竜のような異形は、極彩色の【イデア】の残滓を曳きながら、ゆったりと羽ばたき降りてきた。
羽ばたきの度に【イデア】の輝きを散らし、輪郭しか見えなかった姿もよく分かるようになった。
艶のある深緑の鱗に包まれた竜頭蠍尾、蝙蝠の羽に一対の鷲の足を持つ五メートル程の体躯。疫病や嫉妬の化身とされる、伝承や創作の姿そのもの────いや、迫力はそれ以上か。
この余りにも異常な存在は、いくら【イデア】がその特質を以て世界を塗り替えて一年と少しが経つとはいえ、妹が突然に固まった理由としては十分すぎるほどだった。
何せ今まで【イデア】は、人類に恩恵を与えこそすれ、こんなトンデモ生物(?)を生み出したことなど無かった。
俺だってこんなにも明らかな異常事態だってのに、頭はこんなにも回るのに、身体はワイバーンを追う目以外全く動か
「海天っ!!」
「ひゃっ!」
ズガァアアアアン!
あの巨体に夜空という比較対象の少ない場所......いつの間にかアイツはここを目掛けた急降下に移っていたらしい。それを認識した途端に、俺の身体は海天の下へ動いていた。これは偏に、不思議とイメージ通りに動くようになった身体のおかげかもしれない。
なんてことを頭の片隅で考え続けながらも、俺は海天を脇に抱え、一部だけゴッソリと削れた屋上の反対側へ跳んでいた。
「えっ?えっ?何?おにーちゃん?さっきの何?てか今も何?いつの間にお「舌噛むなよっ!」ひぁあ!」
ドガガァアアアアン!
よくもまぁ回る舌だと呆れながらも、屋上にぶつかった勢いもそのままに無理やり飛び続けたらしきワイバーンの追撃を再び跳躍して躱す。
「俺もまだ混乱してるっつーの!」
「ふわぁあああ?!」
こちらの事情なんぞ知ったことかと、懲りずに突っ込んでくるワイバーン。二度の衝突で既に屋上は半壊しているが、流石に大勢の人が暮らすここをめちゃくちゃにされてはいけないと遅まきながら気付き、なんとか場所を移したいと思うが......
「くそっ!」
「ひゃぁあああ!!」
ゴガァアアアアアアアン!
既に足場は、今にも崩れ落ちそうな鉄骨数本分。
奴め、二回目以降の突撃でちゃっかりと、爪やら尻尾やらで足場をなるべく広く吹き飛ばして行きやがった。
「クソが......!」
最後の足場に縋る俺達を眺めるように、ゆったりと周りを旋回するワイバーン。いい性格してやがんなコイツ......!!
「Gwuuurrraaaaaa!」
奴が距離をとって勢いを付け始めた。どうする?一か八か奴に飛び乗るか?あの激しく動く鱗だらけの背中に?鋭い爪の足に?無茶だ!避けようにももう足場はないし、ここから落ちたら流石に即死だ......!どうする?どうする?どうする......?!」
「おにーちゃん......?」
「ッ!?」
海天......!!
やっぱり俺は不器用でいけねぇな。考えるのに夢中になると、途端に周りが見えなくなっちまう。
......でも海天のおかげでいくらか冷静になれた。
頭がさっきまでの空回りの空論ではなく生還の論理を紡ぎ出すために回り出す。地上約八十メートル、今やこの目に映るのは怯える海天と迫るワイバーン。それとオーロラのような輝き......っ【イデア】!
ここ一年ですっかり当たり前になっていたソレを認めた瞬間、頭を閃光が奔った。
......だがさっき途中まで考えたあの推論が正しければ必ずしもそれは最善策ではないかもしれない。そもそも迂闊にそれをやるのは一般市民の俺には未だに許されていない......。
それでも今はやるしかねぇ!奴はもうすぐそこまで来てる!!
「止 め ろぉおおお!!」
【イデア】を見ろ!イメージするのはついさっきのあの光景!!あんなアホみたいなデカさは要らない、鈍く輝くいかにも硬そうな大地、その一部だけでいい!奴を止めてくれ!!!
奴とその眼前の霞、それと今や原型を留めていないマンションの成れの果てを睨みつけながら、そんなことを念じた。
すると、奴の斜め下、むき出しのマンションの鉄骨の周りを【イデア】が渦巻き、鈍色の輝きを帯び始めた。
よし、極彩色ではない!そのまま、上だ!
「い......っけぇぇえええええっ!!!」
丁度奴が上を通ろうかという瞬間、完璧なタイミングで鉄骨から伸びた楯へと奴が突っ込んだ。ソレはさっき見た大地を、さらに密度を上げて硬質化させたイメージ......!
『Gwow?!』
しかし、咄嗟のことで失念していたが、奴を受け止め、跳ね返せしめる程の大きさ、超硬度の物質となればそりゃぁ重いわけで......
奴と衝突する寸前、根元の鉄骨の方がイッていた。これではぶつかりはしたがそこまでのダメージにはならないか......!
「具現」に成功して気の緩んだ頭が再び回り出す。
ゆっくりと倒れる大地の欠片、宙で仰け反るように器用に衝撃を逃がすワイバーン。やはり撒き散らされた、鈍色の【イデア】の残滓たち。
それを認めた瞬間、閃きと同時に俺は跳んでいた。
「海天、少し揺れるぞ!」
先ずは一歩、さっきまで足場にしていた、ひしゃげた鉄骨にトドメを刺した感触。
両足で二歩、傾ぐ大地の欠片に着地。
同時に三歩、手を立ち上る鈍色の輝きに突っ込みながら、右足を大胆に踏み込む。
イメージするのは巨大な大地の槌!!
さっきよりも圧倒的に早く出来上がったそれの重さに思わず顔を顰める。が、せっかく上に造り出したんだ、後は片手だろうと余裕!振り下ろすだけの猿でもできるお仕事だ!!
「堕ちろぉお!......っらぁああああああ!!!!」
想定以上に早く出来た分、間違っても後ろに倒れないように最初は慎重に......傾げば後は隙だらけの頭に大胆に振り抜くのみ!!
『GuGYAAAAAAAAAAAA!?』
「っしゃオラァ!!!」
バギャッとかグシャッとかそんな感じの形容し難い音と共に、確かな手応えを感じた。