ゴミ集積場のぬいぐるみ
私が利用している近所のゴミ集積場に「それ」は、〈居た〉。全長十センチ程の小さな熊の「ぬいぐるみ」。
私の直感として、〈捨てられた物〉ではないと判断する。頭の先に付けられたチェーンが途中で切れていたからだ。しかも、熊のぬいぐるみ自体は綺麗な状態。バック等に付けられた「それ」のチェーンが切れ、落ちてしまったのだろう。
このゴミ集積場は赤レンガを積み上げた花壇の前にある。「それ」は、この赤レンガの上に居た。おそらく、道に落ちていた熊のぬいぐるみを誰かが拾い、この場所に置いたのは間違いない。座った恰好をした「それ」は、赤レンガの上で佇んでいる。
熊のぬいぐるみを最初に見掛けたのは、日曜日の午後だった。翌日の月曜日は燃えるゴミの収集日。この時、出されたゴミは回収されたが、「それ」は、この場に居続けた。
その夜、雨が降る。
次の日、熊のぬいぐるみは花壇の中に落ちていた。綺麗だった、その姿は土塗れとなっている。水分を含んだ土が容赦なく「それ」に襲い掛かったのだ。
朝、熊のぬいぐるみを見掛けた私は何の躊躇もなく拾い上げ、再び、赤レンガの上に置く。ほぼ無意識の行動。何故、そうしたのか、私自身も理解していない。
そのまま、職場へと向かう。
この日……、火曜日はゴミの収集日ではなかった。帰宅途中、ゴミ集積場の前を通る。「それ」は、まだ、ここに居た。
水曜日は段ボールを含む紙類、木曜日はビン・缶・ペットボトルの収集日。いわゆる、資源ゴミが集積場に集まる。その一方、熊のぬいぐるみは回収対象にならず、ここに居続けていた。水を含んだ土に塗れた「それ」は、ゴミとして認識されても不思議ではない存在と化していたが……。
金曜日は燃えるゴミの収集日。その日の会社帰り。ゴミ集積場の前を通り掛かった時、熊のぬいぐるみは姿を消していた。
土曜日はプラスチック包装容器等の収集日。朝、私はゴミ集積場へと向かう。ここにゴミを置いた時、花壇の中に落ちている熊のぬいぐるみを見付けた。その眼……、プラスチックと思われる眼が私を見詰める。光沢がある「それ」の眼から私は自分の眼を逸らす事が出来ない。そのまま時が流れた。決して長い時間ではない。でも、私には、その時間が途轍もなく長く感じた。
私は熊のぬいぐるみを手に取り、三度、赤レンガの上に座った状態で置く。何故、そうしたのか、自分でも解っていない。
月曜日の朝。熊のぬいぐるみは、まだ、ここに居た。そして、その夜も……。ゴミとして回収される事なく……。
翌日の火曜日。私は休日出勤した時の代休を貰っていた。その日の昼。近くのコンビニへと向かう。一人暮らしの私にとって、そこは便利な存在だ。ここへ行く際、ゴミ集積場の前は通らない。
買い物を済ませ、自宅となっている小奇麗なアパートに戻る時、わざとゴミ集積場へ行ける道を使う。汚れた熊のぬいぐるみが物凄く気になったのだ。ここには、まだ「それ」が居た。座った形ではなく、〈転がって〉いたが……。
その状態が私の心を揺さぶる。斜め上に顔を向けた「それ」の眼と私の眼が再び合ってしまったのだ。
次の瞬間、私は行動を起こす。レジ袋を持っていない左手で熊のぬいぐるみを掴み、そのままゴミ集積場を離れた。
アパートに戻ると、玄関にレジ袋と「それ」を置き、ドライヤーを取りに行く為、洗面台へと向かう。その後、玄関へと戻り、ドライヤーで熊のぬいぐるみの全体に温風を浴びせた。
繊維に染み込んだ土の汚れは簡単に落ちない。これを取るには、そのまま水洗いするのではなく、まず、汚れた繊維を徹底的に乾かし、物理的に土を落とし易くする必要がある。その後、ブラシ等を使い、丁寧に土を取り除くのだ。
この作業に私は取り掛かる。気が付いた時には夕方を迎えていた。
今、「それ」は、テレビの横に置かれた収納棚の中で佇んでいる。そこはワンルームの室内を一望出来る場所でもあった。
拾った小さな熊のぬいぐるみ。その澄んだ眼が私を見詰めている。「それ」の顔に浮かんだ表情を私は笑顔だと感じていた。
ゴミ集積場のぬいぐるみ(了)