会社をクビになったので釣りに行きます Another
40過ぎて独身、童貞、長年勤めていた会社をクビになって絶賛ニート中の俺は世間一般的な目から見ればゴミカスなのだろう。それは自覚している。だからって一切死ぬ気にならないのが俺の凄い所だ。
もし鼻を垂らした幼稚園児に
「なんで生きてるの?」と聞かれたら、
「分かんにゃいとしか言えないようにしてやる」
と幼稚園児の脳髄が鼻から垂れるようにしてやるつもりでいるし、
もし夜寝ているときに先祖の霊から「この恥さらしが!」と怒られた場合に備えて人が殺せるほどの数のイノシシの群れを小学校に放っている。
そんな紳士的で用意周到な俺はあまりに暇を持て余していたため、今日は久々に釣りに行ってみようと思い立った。そうと決まれば善は急げだ。早速近くの釣具屋まで出掛けよう。
平日の朝の寂れた釣具屋には俺しか客がいなかった。
1000円の釣りセットを持ってレジに並び、そこでアオムシ50gを注文する。
レジでは砂漠で30年ほど天日干しされたかのように干からびた婆さんが居座って死んでいたので警察を呼んだ。まだ生きていたのでしこたま怒られた。
久々の釣りで気分の良くなっていた俺は、アオムシを食べながら釣具屋から歩いて30分の場所にある防波堤へと向かった。
釣りに行くのはいつ以来だろうか。働いていた時は毎日日付が変わる直前まで働いていたし、たまの休みは疲れすぎてどうしても釣りに行く気にはなれなかった。
上司が魚のように跳ねながら痙攣していたというのも釣り気が失せていた大きな要因である。
月曜の朝っぱらという事もあって防波堤には釣り人の姿はほとんど見当たらなかった。一人、野球帽を被った中年のおっさんが生簀に向かって鼻水を垂らしているのみだ。長い鼻汁だ。
いい歳こいて、こんな平日の朝っぱらから鼻水垂らしなんかして恥ずかしくないのだろうか。
しかし俺も一人だと寂しかったからちょうどいい。ちょっと海に放りこんでみよう
「釣れますか?」
ドボン。返事をしている暇がない。どうやら溺れているようだ。
聞えていないのかと思い、先ほどより少し大きな声で話し掛ける。
「なんか釣れますか?」
やはり返答はない。しかも、なんと返答の代わりに沈んでいくではないか。
なんだこのオッサン!?
酔った勢いで銅像に絡んで連行されるほどのコミュニケーション能力を誇る俺が、せっかく話しかけてやったというのに。
ふとオッサンが脇に置いている水色のバケツを覗いていみると、水を張ってあるのに魚は入っていない。もしかしたら魚が釣れなくてイライラしていたのだろうか。
やがておっさんは沈んだまま、海面上にプカリと野球帽が浮かんだ。
よぅし、ここは俺が先に魚を釣って更にこの野球帽をイラつかせてやろう。復讐を誓った今の俺の顔は、おそらく琵琶湖の水面より淀んでいることだろう。
俺は野球帽から離れたところに腰を下ろし、手早く浮き、重り、針、エサを順番に海に放り込んでいった。ちなみにこの手際の良さは社会人生活で発揮されたことは無い。
準備を終えた俺は日を浴びてキラキラ光る水面に鼻水を垂らす。
瀬戸内の波は穏やかで、防波堤に優しく打ち寄せる音が心地いい。おじさんが海から上がってきた。この寒い中をずぶ濡れになるまで海で泳ぐとは見上げた根性だ。まるで俺の大らかな心のようだ。俺はもう一度おじさんを海に放り込んだ。
広大な海を漂うおじさんを見ていると、将来の不安とか漠然とした死の恐怖とか、生え際の後退など嫌なこと全部忘れられそうだ。
ふと集まってきたぐサメの群れを見て上司の事を思い出した。俺の手柄は全て横取りし、責任は全て押し付けてくるという素晴らしい人だった。
もし銃を手渡され「10発だけ人を撃っても罪にならない」と言われたら、迷わず溺れるおじさんに全銃弾をぶち込む自信がある。そんな素敵な関係を20年近く続けてきた。
上司のことを考えていると今度は再就職のことに思考が飛んだ。俺だっていつまでもブラブラしているわけにはいかない。次はどこの海におじさんを放り込もうか。
俺も、もう40歳だ。そんな多くを求めるつもりはない。
ただ社会保険がシッカリしていて、年収500万円以上もらえて、ボーナスは年二回で100万円以上あって、有休は年間15日以上あって、定時で帰れて、可愛い女子社員が同じ部署に居て、釣りをしているおじさんを海に放り込めて就業中にがっつりソリティアをやっていても怒られないのなら、他に何も望まない。
見つからなきゃ、とりあえずはもう一度おじさんを海に放り込もう……。
就職の事を考えていると今度は嫁の事に思考が飛ぶ。
もう両親は他界しているし、おじさんはもがいているし孫の顔を見せることも出来ない。そもそも40過ぎのオッサンに嫁ごうなんて物好きな女は1兆人に1人くらいしかいないだろう。
それでもちょっとだけ相手に求めるとしたら、20代で、家庭的で、料理が上手くて、泳いでいるおじさんの笑顔が可愛くて、巨乳で、物静かで、活発で、淫乱で、おしとやかで、ツンデレで、お嬢様で、猫耳が生えてて、ダークエルフで、色白で、俺の事を大切に思ってくれて、性転換歴の無い女の子だったら他に何も望まない。
その時、先ほどの野球帽の方からおじさんの撥ねる音が聞こえてきた。
クソっ! 先を越されたか!
何が釣れたのかを確認するため、恨めしい顔で野球帽の方に目を向ける。するとそれは魚がはねる音ではない事に気付く。
なんとおじさんが竿の先を水面に打ち付けてバシャバシャしている音だったのだ。
うわぁ、なんで惨めなんだ、あのオッサン。平日の朝っぱらから泳ぎに来てるだけじゃ飽き足らず、俺より先に魚が釣れたように見せかけたいがために竿先で魚がはねる音を再現してるなんて……。あんな大人にはなりたくないな!
と、思いながら自分の竿先に視線を戻した時だった。
なんとおじさんが浮き沈みしている!
浮きだけに!
俺は反射的に竿を引っ張り上げた。
海面から現れたのは釣り針に引っかかったおじさんだ。
「やったぁ! おじさんが釣れた! 小さいけどおじさんが釣れたぞぉ! まだ1時間くらいしか釣りしてないのにおじさんが釣れたぞぉ!」
俺は大げさにもろ手を挙げて大声で喜んでみた。サイレンの音が聞こえてきた。もう警察がやってきたのか。
チラリとおじさんの方を見ると、あからさまにコチラを睨んでいる。おお怖い怖い。(笑)
しかしここでバケツをおじさんに被せることに気付いた俺。
まあいい。本当は晩飯のカオスにするつもりだったが、俺のうっ憤を晴らしてくれた功績をたたえてこのおじさんは逃がしてやろう。
おじさんを海に逃がした俺はさっさと帰り支度を始めた。
俺の好きな言葉は二つある。
一つは「おじさん」
もう一つは「海に放り込む」だ。
俺は帰り際、おじさんを見に集まってきた群衆の横を通り過ぎる時、わざと
「お先でぇぇえぇす」
と満面の笑みで声を掛けた。
おじさんの丸っこい背中がピクリと震え、群衆の舌打ちが響いて来たが、今度はその音が心地いい。
家に帰る道を歩きながら空を見上げてみた。
12月ではあるが、太陽の日差しは変わらず温かく、俺を照らしてくれている。
いやぁ、生きててよかった!俺はパトカーで護送されながらそう思った。
おわり