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恋よ、はじめまして。  作者: 夏平涼
第一部
8/54

第二章 ②/馬車の中で二人きり


************************************************************


 馬を全速力で走らせて向かうトーリア城は、その名の通り、トーリア地方に建つ由緒ある古城である。


 王宮のある王都から、南に位置している街だ。気候は穏やかで過ごしやすく、国内貴族の別宅がいくつも建てられている一等地。


 隣国フォルキアと接する国境沿いの街ではあるが、争いや諍いは少なく、とても過ごしやすい街のため、レイシア自身も何度も訪れたことがある。

 とはいっても、ここ数年は行っていない。


 距離にして、ちょうど半日ほど。

 六頭馬車であることと、出発したのが朝早い時間だったため、お昼過ぎには到着予定となっている。


 レイシアにとっては、なんてことのない移動距離と時間だったが、今回ばかりは勝手が違った。


(気まずい。気まずい。気まずい。気まずい。本当に気まずい。気まずすぎてもう気まずいって言葉じゃ足りないぐらいに気まずい)


 馬が地面を力強く蹴る音を耳に聞きながしながら、既に二時間は経過した。

 しかしながら。目の前に座るイアンと、いまだに目を合わせるどころか、会話のひとつもしてはいない。

 だって。


(なぜに私のことをそこまで見つめているの⁉ 私の顔に何かついているの⁉ それとも臭いの⁉ 朝に食べた七面鳥のスープが消化して汗となり、私の毛穴からひょっこり出てきて臭いの⁉ 臭いのね! 私、獣臭いのね!)


 そりゃ汗だってかく。

 馬車に乗ってからこのかた、イアンはずっと自分の顔を見ているのだ。

 おかげでこっちは、ずっと窓の方向を向いていなくてはならない。ちなみに、窓には外から中が見えないようにカーテンが掛けられていて、景色は全く見えやしない。


 つまり、この状況を端的に説明すると。


 カーテンの一点をひたすら二時間見続ける王女と、そんな王女の横顔を二時間ひたすら見続けている男の図ができあがった。


(なんじゃこりゃ。意味がわからないわ)


 おまけにもう首が痛い。限界も間近である。汗もそろそろ滴り落ちそうだ。


(毛穴っ! 毛穴がもう全開に開いてる!)


 表情には一切出さないが、頭の中は軽いパニック状態である。


 どれぐらいのパニックかといえば。

 開ききった毛穴から、生きた七面鳥の雛鳥がピヨピヨとかわいらしく顔を出す、というわけのわからない映像が脳内に浮かんでいる状態だ。重症だ。


 正直な話、自分でももう何を言っているのか分からない。


(ちょっと待って、落ち着かないと。向こうは藍公といえど、王女の私より身分は下。私がいつまでもそっぽを向いていたら、そりゃ話しかけづらいわよ)


 おまけに五つも年下だ。

 ここは年上として、王女として、自分から話しかけねばならない。


(初対面で全否定しちゃったし。そもそも、逃げ腰な自分を変えるために、ここにいるんでしょう!)


 もう、逃げるのは止めた。


 意を決して、彼の方を向いてみる。

 二時間動かさなかった首は思いのほか鈍く、動かすのに苦労したけれど。

 ようやく彼の目を見ることに成功する。目元のレース越しではあるが。


 彼は今日も淡々としていて、初めて目が合ったというのに、特に変わった様子は見られない。


 ここまでは良かった。


(あ、話しかける内容考えるの忘れてた)


 目を合わせているだけでも、レイシアにとっては奇跡に近い。

 そこからさらに話しかけるとなると、さらに難易度が上がる。

 でもこのまま黙っていては、過ぎし二時間と同じように、今度は二人でじっと見つめ合ったまま時間が過ぎかねない。


(それはそれで気まずい。ええい! ままよ!)


 思考はとっくに働いてはいない。ただ、本能だけがレイシアの唇を動かした。


「…………ご趣味は?」


「――は?」


 まさかの三秒で会話終了だ。いろんな意味で終わった。


(どうする⁉ どうする、私!)


 目がばっちり合ったまま、重たい空気が馬車内に流れる。

 もう無理、とレイシアが目を逸らそうとした瞬間、イアンが小さな息をひとつ吐いた。


「ご緊張なさらず。姉と接しているように、気軽に話しかけてくださってかまいませんよ」


 余裕な表情のイアンに、ついつい「あ、はい。それはどうも」と答えてしまった。


(ん? 待て待て待て)


 なんだこれ。立場が完全に逆になっているではないか。

 それが、ほんの少しだけあるレイシアの王女という自尊心に、ちくりと傷をつけた。


(こらこら、レイシア。相手は年下よ。年下。こんなことで、いちいち目くじら立てていたら、大人げないわ)


 瞬き一つの間に、狭量な思考を追いだす。

 そうだ、それでいい。


 レイシアが静かに深く呼吸したのを、何か勘違いしたのだろうか。

 イアンが、そのままの流れで口を開く。


「王女殿下は、六十歳以上の方にしか興味がない、とお聞きしましたが。本当ですか?」

「え、ええ。そうよ。それが何か?」


 突拍子もないことを言いだした彼に、レイシアは怪訝そうに眉間に皺を寄せる。

 そんなことはまだまだ序の口で。

 彼の次なる一言で、レイシアは完全に顔面を崩壊させることになった。


「いえ。男を年齢で線引きするなんて、存外王女殿下は子供でいらっしゃるな、と」


 そこが、猫を被って大人しくしていたレイシアの限界だった。


「なんですって⁉ 年下のあなたに言われたくはないわ!」

「ほら。また年齢で線引きしていますよ?」

「う」


 言葉に詰まったレイシアを気にもせず、なおもイアンは質問を投げかけてくる。


「あと、包容力のある男性でしたっけ? 手っ取り早く包容力を感じるのは、抱きしめられることですかね。男に抱きしめられた経験がおありなんですか?」


 顔色ひとつ変えずに、問うてくるイアンに、なかなか怒りの沸点が下がらないレイシアは、堂々と嘘をついた。


「あ、あるわよ! 当たり前でしょう!」

「……ないんですね」

「あるって言っているでしょう! 信じなさいよ、人の話を!」

「そのように照れなくても。律義に答えてくださり、ありがとうございます」


 イアンに指摘されて。自分でも気がつくほど異常な熱を持った両頬に、とっさに両手を添わせる。


 そんなレイシアの様子を、笑うでもなく貶すでもなく。

 じっと観察しているイアンに、レイシアは脳内で悟りを開いた。


 おほほほほとヴィオラの高らかな笑い声がこだまする。

 やっぱり血は争えないらしい。あの姉に、この弟だ。激しく納得する。


 そう思ってしまえば、不思議と目の前にいる青年になんら気遣う必要性はないように感じてきた。

 声を荒げてしまった手前、もうどうでもよくなってきた、というのもある。

 ただ、あまりにも真っ直ぐにレイシアの瞳を見るもので。拍子抜け、とは違うが、少しほっとした部分があるのも否めない。


「あなたは、恐れないのね」


 自分のことながら。情けなくも声が格段に小さくなり、ほとんど独り言のようになってしまった。


 案の定、イアンにはよく聞こえなかったらしく「何かおっしゃいましたか?」と訊ねてくる。

 なおも瞳を逸らさない彼に、これ以上掘り下げて訊いても仕方ないかと考え、「何もないわ」とそっけなく返した。



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