第一章 ⑤/瞳を隠して生きる理由
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(逃げてきちゃった……)
特に行くあてもなく、逃げた先に選んだのは、色とりどりの花が咲き誇る庭園。
季節は春の盛りということもあって、たくさんの種類の花が咲いており、目にも楽しい。
王宮内でもひっそりとした場所にあるので、人気もなく、レイシアには過ごしやすい場所だ。
思えば、久しぶりに外に出た気がする。
ヴィオラの言うとおり、部屋に引きこもりがちなのを、いい加減どうにかしないといけないと頭では十二分に理解しているのだが。
(なかなか難しいのよね、これが)
目を隠すように覆われたレースを、そっと人差し指でなぞってみる。
レース越しに見る世界に、すっかり慣れてしまったレイシアには全く気にならないけれど。
やはり、初めて会った人には好奇な目で見られることが多い。
喪に服しているわけでもないのに、どうして目元を隠すのか、と。
(まあ、理由はそれだけじゃないだろうけど。でも。だからこそ、これは絶対に取れないの、一生)
風に攫われてしまいそうになったレースを手で押さえながら、庭園にあるベンチにレイシアは腰をおろした。
暖かな日差しがぽかぽかと気持ちいい。
(ここでお昼寝したら、よく眠れるだろうなあ)
だんだんうつらうつらしてきたレイシアは、すんでのところで意識を取り戻す。
目元を覆っていようが、引きこもりがちだろうが、嫁ぎ遅れていようが、自分は王女だ。
こんなところで寝ていい立場ではない。
よいしょと腰をあげ、眠気覚ましに軽く伸びをした瞬間、向こうの方から足音が聞こえてきた。
誰かが近づいてくる。
咄嗟の条件反射で、植木とベンチの背に隠れるようにしてレイシアはしゃがみこんだ。
息を殺して誰かが通り過ぎるのを待っていると、しばらくして、何やら話声が聞こえてくる。
「……で、王女殿下がトーリア城に向かわれるそうだ」
(私の話?)
自分の知らぬところで、どうやら既に勅命の話は知れ渡っているらしい。
「いよいよ廃嫡か? 結婚もせず、人前にも姿を現さないんじゃ、無理もないか」
だんだん声が近づいてきた。
足音と同時に、カシャンカシャンと金属の擦れる音がすることから思うに、巡回の騎士だろう。
それにしても。
(廃嫡? 私、廃嫡になるの?)
療養のはずが、なんだか物騒な言葉がでてきた。
「そりゃそうだろ。ろくな相手とも見合いもせず、隠れてばかりの王女に、この国を継承させるわけにはいかないだろ」
「ああ。それに、王女殿下には気味の悪い噂話もあることだしな」
(あ……)
耳を、塞ぎたくなった。
早くこの場から逃げ出したいのに、足が地面に縫いとめられたように動かない。
「本当なのか? 王女殿下の瞳を直接見てしまったやつは死ぬ、って」
どくん、と心臓の音が跳ねた。
だから、人のいるところは苦手なのだ。
「なんだそれ。そんな瞳、絶対に見たくなんか」
「こらーー! 巡回中は呑気に世間話をする時間か?」
巡回騎士の言葉を遮るように、大きな怒鳴り声が庭園中に響き渡る。
やがてこつこつと足音が聞こえ、巡回の騎士たちが「赤公閣下。失礼いたしました」と敬礼する気配を感じた。
彼らの意識がそちらに向いている隙に、レイシアは身をかがめたまま、そそくさとその場から逃げだす。
赤公と騎士たちがまだ話しているのを遠くに聞きながら。
嫌な具合に高鳴らせた胸を押さえ、レイシアは自室への帰り道を急いだ。
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(また逃げてきちゃった……)
鼓動も落ち着き、とぼとぼと自室に向かう廊下を独り、歩く。
外に出ないといけないと思って外に出れば、また逃げだして自室に戻る。
いつも、この繰り返し。
(廃嫡か。もしそうなったら、この国はどうなるんだろう?)
現国王と王妃の間にはレイシアしか子供がいない。
エルメルト共和国は直系のみにしか王位継承権は与えられていないので、もしレイシアが廃嫡となれば。
(王族がいなくなって、国が立ちゆかなくなるわよね)
つまりそれは、この国を混乱に陥れることだった。
廃嫡までいかなくとも。このまま何も変わらず、一生こそこそ隠れて生き、血を繋ぐだけの存在になったとしても。
(必ず、どこかで綻びが生まれてしまう)
自分のせい、で。
大好きなこの国が壊れてしまうかもしれない。
それはレイシアにとって、とても耐えがたいことだ。
(変わらなきゃ。お父様もお母様もきっとそれを望んでいらっしゃるはず)
だから、あの勅命が下ったのだろう。
(イアン・フィーリッツ。ヴィオラの弟、か)
まず彼と恋愛関係になることが想像できそうもない。
それでも、旧友の弟というだけあって面影は似ているし、頑張れば話すこともできるかもしれない。
彼には迷惑な話だとは思うけれど。
一歩を踏み出すために、協力してもらうと考えれば気持ちもだいぶ楽だ。
「よし。トーリア城、行ってやるわ」
決意を口に出して言えば、少し勇気が出た。
(このまま逃げてばっかりじゃいられない……!)
胸に固く決意を灯し、レイシアは力強く一歩を踏み出した。