第一章 ①/イアン、旅立つ
衝撃の報せを受け取ってから、まもなく。
レイシアはある場所を目指し、一人で廊下をずんずん進んでいた。
(まったく! どうして毎回毎回いきなり報せがやってくるのよ!)
前回の国王直々の勅命といい、今回のシュテン王国からの来賓といい。
(絶対に! ろくなことにならない!)
レイシアは確信していた。
(そりゃね、トーリアでの一件は無事に解決してよかったと思うわ)
王宮仕えの専属侍医が懸命に治療したかいもあって、モニカのお父上も回復し、ひと月ほど前に領地に戻った。
迎えにきたモニカは涙を流して喜び、すべては滞りなく解決。
レイシアの汚名が返上されたのはもちろんのこと。
若くして藍公の席についたイアンの評価もうなぎのぼり。
舞踏会での公開告白もあり、祝福モードで「レイシア王女殿下、いよいよ婚約⁉︎ お相手はなんと五歳年下の藍公閣下!」なんて号外のゴシップ新聞も出たというのに。
(シュテン王国の目論見はわからないけど、この分じゃ、イアンとの婚約も先の話になりそうね)
そっと落胆のため息をついて、ある扉の前でぴたりと足を止める。
もう何度も足を運んでいる部屋ーーイアンの執務室。
数度ノックすれば、いつものように中から「どうぞ」と声が聞こえた。
「失礼します」
「どうしました?」
開口一番、ネクタイを締めながら訊いてきたイアンに、レイシアは目を丸くした。
(遠征用の外套?)
どこからどう見ても、いままさに出かける直前、といった様子だ。
「ごめんなさい。お邪魔だった?」
「かまいませんよ。ちょうど俺の方から部屋に訪ねようと思っていましたから」
「? そうなの?」
「ええ。しばらく所用で王宮を空けますので。一週間ほど」
「一週間⁉︎」
その数字に、嫌でも聞き覚えがあった。
「もしかして。シュテン王国がらみ?」
お願い違うと言って。
違っていてほしい。
イアンに結婚の申し込みだなんて嘘だと否定してほしい。
頭の中をぐるぐると駆け巡ったが、残念ながらイアンは首を縦に振って頷いた。
「エルメルト国内に一行が入国したはいいものの、大所帯な上に行列も長く、主要道路をほぼ占領。このままでは迷惑になるからと、約三分の二を国に帰してしまったそうです」
それで、と彼は続けた。
「警備がずいぶんと手薄になってしまって、応援が欲しいとの申し出で。私が」
確かに。
今は王都および王宮警備にイアン率いる藍の騎士団が任に就いているから、妥当といえば妥当だけど。
てきぱきと身支度を整えつつ、何でもないようにさらっと説明する。
(あまり気にしてないのかな? それとも知らないの?)
いやまさかそんなはずはない。
(気になる。でも私から聞くのもなんだか)
余裕なし、束縛したがりの重たい年上女です!
と自ら宣誓しているみたいで気まずい。
「レイシア?」
「えっ!……はい!」
間近に迫った顔に、どきりと胸を高鳴らせる。
イアンは笑って、レイシアの頭の上にぽんと手を置いた。
「不安にならずとも、ちゃんと帰ってきますよ。あなたのもとに」
それよりも、と。
彼の顔が、鼻と鼻の先が触れ合いそうな距離まで近づく。
「隙を見せてはいけませんよ? 俺以外の男には」
いいですね? と優しく頭を撫でられた。
どうやら、何も言わなくともすべてお見通しだったらしい。
恥ずかしい。
幸せで頬が火照るのを感じながら、「もう行くの?」と声をかける。
用意はすでに準備万端整っていた。
「はい。しばらく私はいませんが、代わりに黄公と緑公が今日の午後にでも王宮に伺候する予定ですから。何かありましたら彼らに」
「黄公と緑公?」
会ったことがない。
赤公のロイは赤州が王都からほど近いこともあって、ちょくちょく王宮に顔を出しにくるから、今でもたまに会うけれど。
「双子なんですよ、彼ら。見た目もよく似ていて。困ったときは色で判別して下さい」
「色って……」
「少々悪戯好きの困った人たちですけど、悪戯されないように」
「藍公閣下。お時間です」
「いま行く」
部屋の外から声がかかり、イアンは机の上に置いてあった剣を腰にさげた。
「では。行ってきます」
「行ってらっしゃい。気をつけてね」
イアンがレイシアの目元に軽くキスを落とす。
部下によって開け放たれた扉を前に振り返り、二、三度手を振って。
彼は、旅立った。




