後日談 /二人きりの舞踏会
(あの女の子……)
かわるがわるやってくるダンスのお誘いも「お手を煩わせるわけには」の常套句で全て断り続けたのにも飽きて。
レイシアの前にいっこうに姿を現してくれないイアンを横目で探していれば、これだ。
いままさに、恐れていた事態が起きている。
女であるレイシアですら見惚れてしまう容姿にスタイル抜群(おもに胸)の彼女が、イアンの元へと向かった。
会場中の視線を引きつけた彼女が動けば、必然的に視線もそのまま移動する。
よって、イアンと彼女の空間だけが異世界に紛れこんだような、生温かい雰囲気に包まれた。
(うっ! イアン、胸を見てる……)
わずかに彼の視線が下がったことをレイシアは見逃さなかった。
ちらり、と自分のそれに視線を向けてみる。
ないものは、ない。
手持ち無沙汰になって、レース手袋の下にはめた指輪の感触を確かめる。
少しだけ気持ちは落ち着いたけれど、やはり不安は拭えない。
再び顔をあげると、イアンと目があった。
そのまま彼は歩いてくる。こちらに向かって。
(えっ⁉︎)
「王女殿下?」と呼びかけられ、意識をそちらに向ける。
目の前にいた貴族のことをすっかり忘れていた。
「い、いえ。少し考え事を。申し訳ございません」
伯爵だったか公爵だったか忘れたけれど、とりあえずないがしろに扱ってはいけない人である。
ここは穏便にかわすのが得策だろう。
「まるで天界に咲く一輪の花のようです。ずっと眺めていたい気もしますが、ただ自分だけのものにしたいと願ってしまう私もいます」
うん。イアンにも似たようなことを言われた。
でもどうしてだろう。ぞわりと身体の奥底から寒気が這い上がってくるのは。
「私が、あなたという気高い花を手折ってもかまいませんか?」
(あ)
貴族の口説き文句は耳に届かず。
レイシアの胸が鳴り始める。
きた。彼が。余裕の微笑みを見せつけて。
「美しく咲く可憐な花を手折るなどと、ずいぶん無粋なことをおっしゃいますね」
いきなり現れた藍公に、列を成していた貴族たちが道を開ける。
堂々とやってきたイアンに、貴族は頬をひくつかせた。
「これは藍公閣下。よい晩ですね」
「ええ。本当に」
にこりと男二人が微笑み合う。
しかしなんだろう、この妙に殺気立った雰囲気は。
「して。……と、言いますと?」
「いえ。私なら手折るのではなく、柵で囲って、誰の目にも手にも届かないように守ります、と言いたかっただけです」
「お若いですな、藍公閣下殿。それはいささか子供じみた答えではないですか?」
「いらぬ悪い虫が花を見つける前に、真綿で包むことが子供だと? いい大人が。包容することも知らないとは」
レイシアの手を取り、一切無駄のない仕草で軽く口づけを落とす。
レイシアの赤くなった顔をいたずらに上目遣いで見つめて。
「それに」とイアンは続けた。
「手折るわけにはいかないでしょう。エルメルト国の姫君を。私は一生涯をかけて、この国と王女殿下をお守りすることを胸に誓う者。囲いたくなる気持ち、どうかご理解いただきたく」
もう、言葉にならなかった。
レイシアはただただ顔を赤くすることしかできない。
(でも)
ちゃんと応えてあげたいと思う。
若さを謗られても、堂々と応えてくれた彼のように。
「藍公イアン•フィーリッツ。あなたの国を思う気高き想い、とても嬉しく思います」
目と目が合えば。
レイシアが今日一番の笑顔を見せるのに、さほど時間はかからなかった。
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「抜けてきてもよかったのかな? 舞踏会」
「大丈夫でしょう。王妃様のお墨付きもいただきましたし」
イアンに手を引かれ、舞踏会会場の外、月の光だけが届くバルコニーにやってきた。
広々とした半円月型のここには二人の他に誰もいない。
気を遣ってくれたのか、誰も近寄れる雰囲気でもないのか、とりあえず誰もいない。
(なんだろう。すごく緊張してきた)
二人きりになったのは初めてではないのに。
忙しなく打つ心臓の音が耳にうるさい。
繋いだ手が熱い。……イアンの手も。
ふいに夜風に運ばれて、お酒の匂いがレイシアの鼻をかすめた。イアンの方向から。
「ねえ、イアン。お酒飲んだ?」
「……飲んでいません」
「飲んでるよね。あと、酔ってるよね?」
「酔ってません」
頑なに彼は拒否するが、どうにも怪しい。
彼の手の熱さが疑心をよけいに煽る。
「正直に言いなさい。酔っているわね?」
「……はい」
イアンは素直に頷いた。
いつも紳士然としている彼はかっこいいが、なんだか今はかわいらしい。
顔が自然と綻んでしまうのもなんとか我慢する。
「お水もらってくるから待っていて」
「やだ」
ぐい、と腕を引かれ、背中側から抱き締められる。
嬉しさ半分、呆れ半分。
とりあえずこの酔っ払いをなんとかしなければ、とレイシアは彼の腕を取り外しにかかった。
「イアン、酔いすぎよ。離して。お水いるでしょう? 飲んだらもう部屋に帰ったほうがいいわ」
「くる? 俺の部屋」
「行くわけないでしょう」
隠しもせず、「ちぇ」と彼は舌打ちした。
こんなかわいい舌打ちがあることを、レイシアは今日初めて知った。胸がキュンとする。
同時に、世話焼き根性に火がついた。
「ほら、イアン。言うことを聞いて」
「……俺の酔いが醒めればいいんですよね? だったら水を飲むより良い方法がありますよ」
「何? それ」
レイシアには思いつかない。
けれど、背中ごしでもイアンが少し笑ったのが分かった。
「レイシアのお尻、触ってもいい?」
「だめに決まっているでしょう!」
「たぶん一発で酔いが醒めますよ?」
「だめなものはだめ!」
ここで甘やかしてなるものか! 躊躇いもなく、レイシアはイアンの手を振り払った。
ついでに、腰に手をあてて仁王立ちしてやる。
この酔っ払いめ!
「怒りました?」
「怒った」
「やっぱり怒った顔もかわいいですね」
「うぐ」
だめだ。この笑顔には勝てない。
あっさり毒気を抜かれてしまった。
「じゃあ膝を貸してください。そろそろ本気できつくなってきました」
「ここで⁉︎ ドレスが汚れちゃう」
「塵一つ汚れ一つなく磨き上げられているので心配無用だとは思いますが。もし汚れても俺が新しいのプレゼントしますよ」
「でも」
渋るレイシアにも気にせず、ほら、と座るように促される。
月夜に照らされた彼の顔が、さっきよりもずいぶん赤みを帯びていたから。
仕方なく、レイシアは腰をおろした。
寝転んだイアンも、そのままぽす、とレイシアの膝に頭をのせる。
「気分はどう?」
「だいぶ楽になりました。けど」
「けど?」
「レイシアからキスしてくれたら、もっと楽になるかな」
「あら、そんなことでいいの?」
ちゅ、と彼の額に軽くキスを落とす。
イアンはといえば。自分で言ったくせに、なぜか目をぱちぱちと瞬いて呆然としている。
ついでに、さっきよりも彼の顔が赤く染まった。
「は……無理……」
「ちょっと! 大丈夫? 吐きそう?」
「レイシア」
「なに? なんでも言って。お水? 薬?」
「……やっぱりくる? 俺の部屋」
「行くわけないでしょう」
大丈夫そうね、この子。
前髪を撫でてあげれば、彼の長い腕がレイシアの頭に伸びてきて。
そのまま引き寄せられる。
重なった唇からは、苦くてもとろけるように甘い、お酒の味がした。




