第五章 ⑦/トーリアの奇跡
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「我が国で、なにをしているのか、と訊いている。答えよ」
すべてはフォルキアの起こした茶番だ。
そっちがその気なら、こっちだって一歩も引いてやるつもりなどない。
レイシアの静かな問いかけに、ヴェルテは一笑に付した。
「しぶとく生き抜いていたものだ。死んでいればよかったものを」
心底惜しがっているように、ヴェルテはにやけ顔を止めようともしない。
「まあそれも、時間の問題ですかな」
「王女殿下!」
イアンが叫び、レイシアの方へ向かって一目散に駆けだす。
ずっとヴェルテに視線を合わせていたレイシアは、何が起こっているのか分からなかった。
ただ、イアンがレイシアから剣をもぎ取って、自分を庇うように前に立った、そのあと。
無数の矢が自分に向かって浴びせられた。
イアンが剣を振り下ろし、矢を薙ぎ払うも、間に合わなかった数本の矢が、イアンの腕や足を傷つける。
「っつ、」
「イアン!」
痛そうな声を漏らし、片膝をついた彼の側にしゃがめば。
イアンは顔におびただしいほどの汗をかいていて。信じられないぐらいに顔色が悪かった。
荒々しい息遣いが彼の肩を揺らし、剣を持つ効き腕は、震えを押さえようと制御しているのがうかがえる。
そんな彼の様子を見て、ヴェルテは高らかに笑いだした。
「馬鹿な騎士よ。忌み嫌われし女のために、わざわざ命を捨てるとは。憐れな最後だと、末代まで笑われ続けるだろうよ」
そこで、レイシアの何かが、ぱちん、とはじけた。
すっと立ちあがる。
一歩を踏み出しかけたところで、イアンに腕を引っ張られた。
「俺より、前に出てはいけません。また矢がきます」
泣いた夜に抱きしめてくれた手の強さは、今はそこにはなく。
彼がどれだけ弱っているかが、いやでも知れる。
やんわりと彼の手を外し、「大丈夫」と声をかけた。
「必ず、あなたのこと守るからね、イアン。そこでじっとしていて」
彼は一瞬驚いたような顔を見せて。それ以上はもう何も言わなかった。
前へ向き直れば、ヴェルテと視線がかち合う。
「あなた、自分が何をしようとしているのか。わかっているの?」
「もちろん」
自信満々に答える彼に、反省の色は見受けられない。
それどころか、残った兵がじりじりとレイシアの首を取ろうと、近づく構えを見せている。
闇夜に紛れ、矢を放つ者が弓を引く音を耳が拾った。
「最期に言い残すことはおありか? 王女殿下」
鼻を鳴らしたヴェルテに、レイシアはにこりとほほ笑みかける。
肖像画に描かれていれば、世界髄一と褒め称えられる美貌の全てをもって。
「そうね。思ったよりもたくさんあるわ。最後だから聞いてくれるかしら?」
「え、ええ。いくらでも聞きましょうとも」
レイシアの雰囲気の変わりように、ヴェルテは警戒する表情を見せた。
ただ肯定した以上は、レイシアが話す権利がある。
否、話さなければいけない。
「私ね、この瞳が大嫌いだった」
この瞳のせいで、誰もかれもがレイシアのことを煙たがった。
幼少時には遊んでくれる相手もおらず。
側についた教師は、心身を患うほど精神を擦り減らして。中には自殺した者もいると聞く。
「あなたの言う、この気色の悪い瞳をもって生まれた私が生きる意味など、ないと」
自分の存在こそが、人の災厄になるのなら。
いっそ、自ら命を絶った方がいい。
そんなことを思った日もあった。
事実、手首に果物用のナイフを突き立てたことだってある。
すんでのところで。運良くか、運悪くか、ミリィが部屋に入ってきて止めてくれたけれど。
「とても苦労したの、この瞳のせいで」
でも。
今日、この日。
初めて、この瞳に感謝をすべきときがくるかもしれない。
そんなレイシアの胸の内など露も知らず、ヴェルテは憐れみをこめた眼でレイシアを蔑んだ。
「それももう終わりですよ、殿下。あなたが次世代で生まれ変わったときは、ぜひとも明るい陽が射す下で、優雅に茶でも飲み交わしたいものです」
ちゃんと目と目を合わせてと、皮肉にヴェルテは付け足した。
そんなことも、もう気にはならない。
不思議だった。
いつもはもっと心がかき乱されて、ただただその力に恐れ慄くばかりだったから。
(でも今は違う。ちゃんと見えている)
自分自身をしっかりと保つことができている。
そう確信して。レイシアはそっとヘッドピースに手を当てて、それを取り外した。
レイシアの露わになった空色の瞳を一瞬だけ見て、ヴェルテはすぐに視線を外す。
「馬鹿な。こちらを向くな。気味が悪い」
「安心して。石になったりなどしないから。あれはただの噂話」
レイシアが話しかけようが、ヴェルテはこちらを見ようともしない。
けれど、彼は知らない。
そんな抵抗が無意味であることを。
「こちらを向きなさい、ヴェルテ」
静かに、レイシアが呼びかける。
はたから見れば、レイシアの呼びかけにヴェルテが応じただけのように見えるだろう。
でも、それは違う。
彼が今、瞬きもせずにレイシアの瞳を一心に見つめているのは、彼の意志ではなく。この瞳に宿る力の為す技のせいだ。
逸らしたいのに逸らせないもどかしさを内包したヴェルテの表情が、それを物語っている。
どうもこの瞳は、人を惹きつける力があるらしい。良くも、悪くも。
「罵るなら、罵りなさい。忌み嫌われていても結構よ。ただ、それでも私はこの国を愛している」
「や、止めろ! 止めろ! 貴様、俺に何をする気だ!」
瞳を逸らせないことに恐怖を感じたヴェルテが叫ぶ。
顔には余裕だった笑みは消えうせ、ただただ恐怖の色ばかりが濃く反映している。
「あなたは言ったわ。エルメルトを滅ぼすために、一万の兵をもってして王宮に攻め入ると」
「そ、そんなこと、を!」
恐怖からか、彼も息も絶え絶えで否定する。
顔は引きつり、身体も震えているが、ここで引いてやる気はない。
「私、一番初めに言ったわね? ここをどこだと思っているの、と」
あなたは答えなかったけれど、とレイシアは冷たく言い放った。
もうレイシアの顔には笑顔がない。
あるのは、怒り。
私利私欲のために、傍若無人な悪しき業を働いた人間に対しての、怒りだ。
瞳が熱を帯びはじめる。
時を同じくして、ヴェルテが両手で頭を抱え、苦しみ始めた。
「ぐ、あ、あたま、がっあああ!」
「これが最後よ、ヴェルテ。全ての兵を連れて、国へ帰りなさい。ここに、あなたの居場所はありません」
彼から瞳を逸らせば、ヴェルテはがくりと膝から崩れ落ち、地面に足をつけた。
目の熱も次第に引いてくる。
それを見計らって、依然、剣をしまおうとしない敵兵たちの方へと顔を向ける。
「お前たちも、あのような目に遭いたくなくば、今すぐ武器をおろしなさい」
しばらくの間はあいたが。
一人が武器を置けば、そのあとに全員がつづいて。
要求通り、ガチャリと重そうな音を響かせ、武器が全て地面に置かれた。
(天よ、感謝いたします。この瞳のおかげで、私は今日、この国を守ることができる)
最後に、全体を見渡し、レイシアは大きく息を吸いこんだ。
「百、千、万、どれほどの兵を率いて連れてこようと、私が盾となってあなたたちの前に立ち塞がりましょう。誰一人として、この地を、エルメルトを脅かす者を、私は許さない」
身体中にあちこち傷をこさえながらも、弱さを微塵も見せず、堂々と言い切ったレイシアを前に。
フォルキアの侵入者たちは、がっくりと項垂れるばかりだった。
――こうして、フォルキアのエルメルト侵攻は、特異稀なる力をもった王女によって阻まれた。
王女がやがて女王になったのちも、その先も、この出来事は『トーリアの奇跡』と伝説化され、永く人々に口承で伝わることとなる。




