第五章 ③/ドレスは女の戦闘服
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すでに月は高く天上に輝き、日もどっぷり暮れたころ。
元来た道を大急ぎで引き返し、レイシアの要求通り、ゼーベック伯の屋敷近くまで来ていた。
馬車窓から、屋敷の明かりがぽつぽつ見える位置まで辿りつけば、「ここで停めて」と従者に声をかける。
「ここでよろしいのですか?」
内側から外鍵を開けるように指示し、馬車から降りたレイシアに騎士が訊ねてくる。
幾分落ち着いたのか、声音は元に戻ったようだ。
そうはいっても、こちらを見るのにはやはり躊躇いがあるようで、視線は下を向いている。
「ええ。ここからは歩いていくわ。もし藍公や、他の口やかましい人たちに何か言われたら、構わず『王女に脅されて仕方なく』と言いなさい」
ご苦労さま、と労いの言葉もそこそこに、レイシアは屋敷への道を歩きはじめた。
(さて、どうやって屋敷の中に入れてもらうか、よね)
ここまでこれたはいいが、屋敷内に侵入できなければ元の黙阿弥である。
(裏口に誰も居なかったら、こっそり入れるんだけど)
左右を用心深く確認しつつ、忍び足で道なき道を行き。屋敷の裏口正面にある植えこみに隠れることに成功した。
植えこみの隙間から裏口の様子を探れば。
そこには当然のように、見張りらしき屈強な男二人が仁王立ちしていた。
(とてもじゃないけど、普段からお屋敷を警護している人には見えないわね)
モニカやイアンが言っていた、フォルキアからきた〝商人〟たちだろうと推測する。
強行突破はできないとなると、考えられる方法はもう一つしか残されていなかった。
(よし。行きますわよ)
植えこみの陰で、自身のドレスの汚れや皺をささっと治す。
髪も軽く整える程度に流せば、ふわりと花の香りが鼻腔をくすぐった。
(誰が何と言おうと、私はこのエルメルト国の王女よ。しっかりなさい)
震えそうになる足と揺らぎそうになる気持ちを叱咤し、レイシアはすっとその場で立ちあがる。
当然、葉が擦れて音をあげ、男二人に気づかれた。
「誰だ! 貴様!」
「待て。あの女は……」
言葉も荒く、一人の男に威嚇されるように叫ばれたが、怯むことなく歩を進める。
ちょうど植えこみと裏口の中間位置にきたところで、レイシアは歩みを止めた。
「私はエルメルト国、第一王女、レイシア・エルメルト。この屋敷に滞在中のフェルス・ヴェルテさまにお会いしたく、ここまで一人で来ましたの。彼の元までご案内してくださる?」
威風堂々、まさにそんな言葉が似合うレイシアの迷いなき口上に、男二人は眉根を寄せた。
上から下まで、不躾にも値踏みされるようにじろじろと見られる。
月明かりでも十二分に輝く宝石をあしらったドレスは、そこらの貴族でもなかなか手に入れるのが難しい品だ。
ましてや模倣など、できるはずもない。
フォルキアの王宮御用達の〝商人〟だからこそ知り得たか、または知らなくとも一目見ただけで莫大な金を要すると、このドレス自体が物語ったかは知らないが。
男二人は顔をちらりと見合わせたのち、「こちらへ」と裏口の扉を開けた。
(ドレスは女の戦闘服、ね。ミリィ、流石だわ)
胸の内でミリィに感謝しつつ。
レイシアは男に案内されるまま、屋敷の中へ入っていった。
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「こちらです」
案内人の武骨な手で開かれた扉の先には、すでにヴェルテが待ちかまえていた。
レイシアが屋敷に来たと先触れが出ていたのか、城で最後に見たときとは別人のように彼は笑みを浮かべている。
廊下から一歩、部屋の中に足を踏み入れる。
背後で、がちゃりと扉の閉まる音がすれば、もう逃げ場はない。
もともと逃げるつもりなど、甚だないが。
「ようこそ、王女殿下。まさかあなた様自ら出向いてくださるとは。この感情をなんと表現したら良いか、少々困ってしまいますな」
「まわりくどいことはいいわ。話があるの。ヴェルテ」
「そのように切羽詰まったお顔で、いったい何をお話に来られました?」
くっくっく、と喉を鳴らしてヴェルテが笑う。
「あなたが私と結婚して下さる決意でも固めてきてくれたのかと、期待しましたのですが。どうやらそうではないらしい」
商人らしい愛想笑いのそれが、狡猾な笑みへと変わる。
城で見た、あの時と同じ顔だ。
「ここ、トーリアから手を引きなさい。モニカとの結婚も破談。ゼーベック伯を傀儡し、この地を脅かすことは今後一切、私が許しません」
「それは、実に面白い冗談ですね。王女殿下」
ぎらり、と妖しい光が眼に宿る。
猛禽類を思わせるその瞳は、ただ弱き獲物を写すだけ。良心の欠片も持ち合わせていないように思えた。
「愛する二人の恋仲を邪魔するなど、してはいけないことだ。そのぐらい、王女殿下にもお分かりになるでしょう?」
ぬけぬけと、恥ずかしげもなくよく言ってくれる。
モニカと婚約者が引き離されたことを、レイシアが知らないと思っているのだろう。
(このままでははぐらかされるだけね。駆け引きなどしている場合じゃないわ)
「ヴェルテ、私はこの国の王女として、この地を。この国を守らなければいけない。あなたたちの思い通りにさせるわけにはいかないの」
「ほう? それはどういう意味ですかな?」
「我が国に戦をしかけようとフォルキアが画策していることは事実なの?」
言った瞬間、ヴェルテの表情が変わった。
驚愕とも、焦りともとれる表情はしかし、一瞬にして元の顔つきに戻る。
「さて、私には何のことだか」
「とぼけないで。もう全て、あなたたちの思惑はこちら側に筒抜けになっている」
レイシアの静かな宣告に、ヴェルテはかすかに眉間に皺を寄せた。
「ひき返すならば、今。今すぐあなたの部下も全員連れて、フォルキアにお戻りなさい。我が国に持ちこんだ大麻はこちらで全て処分いたします。新たな犠牲者がでないよう」
レイシアの口から出た〝大麻〟という言葉を聞いて。
取り繕っていた顔がみるみるうちに憤怒の形相に変貌する。
あの薬は、よほどフォルキアにとって重要なもので、他所にばれてはいけないものだったのかもしれない。
ましてや、現物そのものを徴収されるなど、彼の命を脅かすことにもなりかねないのか。
ようやく胡散臭い顔つきから、本性が現れたヴェルテを見ても。レイシアは思いのほか冷静だった。
「エルメルトから立ち去りなさい、ヴェルテ。二度とこの地に足を踏み入れないで」
「それが王女殿下のお望みで?」
「そうよ」
凄まれようと睨みつけられようと、レイシアは怯まなかった。
こちらが引く気のないことが向こうにも知れたらしく、苛立ちを抑えきれない様子で、彼は忌々しく顔を歪める。
「あの小娘が。いらぬことをぺらぺらと話したものだ。万死に値する」
足取りも荒く、扉の方へと向かうヴェルテをレイシアは身をていにして阻んだ。
「あの子は関係ないわ。モニカを傷つけるなんてこと、私が許しません!」
両手を大きく広げ、扉の外へは行かせまいとしたレイシアに、ヴェルテが手を伸ばす。
その手が真っ直ぐ首に伸びてきて、咄嗟に後ろに逃げようとしたが、間に合わなかった。
レイシアの細い首は、ヴェルテによってぎりぎりと締め上げられる。
(っつ、や、だ……)
苦しい。苦しくて息苦しいのに。
そんな様子を愉しむかのように、ヴェルテはぎりぎり呼吸できるぐらいの力でじわじわとレイシアの首に圧力をかけた。
「正義感の強い王女殿下、ご立派でした。ですが少し遅かったようです」
「か、は……」
情けなくも、声が出ない。
足は宙に浮いて、気を強く持たなければ、意識が飛んでしまいそうだ。
「我々がこの計画に着手したのはいつ頃からだと思う? なあ? お姫様? 私があの小娘に求婚するよりもはるか前からだ。たかがお前とその側近数名に知れたところで、たいしたことではないわ」
計画は上々、とヴェルテは笑みが抑えられない口の端を吊り上げる。
「平和惚けしたエルメルトなど恐ろしくもなんともない。あの城にいたのは藍と赤の騎士か? あんな若造が。我々の軍の前に為す術もなく命を落とすだろうよ」
「ぐ、ん、ですって……?」
「ああ、そうだ。〝商人〟と偽りこの地に招きいれたのは生粋のフォルキアの軍人たちだ。数はおよそ一万。お前たちにいったい何ができる?」
(一万、?)
激しく呼吸を乱しながらも、なんとか意識を保っていたレイシアはヴェルテの発言に一気に意識を覚醒させる。
「はったりだと思っても結構。今宵、我らはここを拠点にエルメルトの王宮へと進軍する」
「そんな、こと、をっ!」
「できるわけないと思うか? 我々はこの計画に二年を投じた。この屋敷の裏手にある森に軍事用の路を秘密裏に造ったのだ。今日と言う日のためにな!」
ぐらり、とレイシアの身体が傾ぐ。
首を絞められたまま、激しく地面に放り、叩きつけられたのだ。
「フォルキアとこの地の曖昧な国境の守りを、トーリアの人間に任せたのが運のつきだったな! やつらはゼーベックの言いなり! そしてゼーベックはこの俺の言いなりだ! 容易いことこの上なかった! たまに来るお前らご自慢の虹騎士たちに媚びへつらって報告をあげていたのは全て俺の部下だ!」
喉が焼けつくように痛い。
声を出そうにも、呼吸するのがやっと、意識を保つのがやっとで、言いかえす言葉も出なかった。
そんなレイシアの元にヴェルテが近づいて。
今度は耳を思いっきり引っ張られた。
その耳元で、生温かい呼息とともに、悪魔のような囁きが耳に落ちる。
「今この地には数百の軍人しかいないが。もう間もなく路の向こうから援軍が押し寄せてくる。お前らがもたもたしている間にこの地をのっとり、夜闇に紛れて明日明朝、エルメルトはフォルキアに落ちる」
愉快だろう? と囁く声はあまりに不気味で気持ち悪く。
「お前に見せてやろう。この国が地獄へとなるその瞬間を。何もできずにただただ怯えていればいい。すべてが終わったあと、滅ぼされた国の姫として、我がフォルキアの王にお前を献上する」
ああでも、とヴェルテは鼻で笑った。
「忌み嫌われた姫など、目障りでしかないか。フォルキア国の民の前で、いたぶられながら死にゆくお前の姿を見せるのも、また一興かもしれんな」
吐き捨てるように言い、ヴェルテはレイシアの耳を離した。
扉の外に向かって「監禁しておけ」と命じれば、裏口前にいた男が二人、部屋に入ってくる。
男たちに無理やり立たされれば。激しい眩暈がレイシアを襲って。
そこで、レイシアの意識はぱったりと途絶えてしまった。




