第五章 ②/守りたい人
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(あの野郎、絶対に許さねえ)
ガタゴトと揺れる馬車の中で。
レイシアはお行儀も悪く、前方に足を投げ出し、とても他人には見せられない恰好のまま、罵詈雑言を心中で叫んでいた。
(『いい加減聞き分けろ』ですって? 何様のつもりだ、あの野郎!)
あの野郎とはもちろん、レイシアを無理やり馬車に乗せたイアンのことである。
(だいたいね、初めて会話したあの日から不愉快極まりなかったのよ!)
初対面でイアンのことを思いっきり無視した、自分のことは都合よく忘れる。
怒りは到底おさまりそうもなく、王女らしからぬ貧乏ゆすりまでし始めた。
(腹立つ!)
腹は立つが、落ち着かなければならない。
このまま怒っていても仕方がないのだから。
深く深く深呼吸をし、とりあえず貧乏ゆすりを止め、正しい姿勢に座り直す。
それだけで、ずいぶんと気持ちがシャキッとするものだ。
(確かに。私が言ったことも悪かったと思うわ)
騎士であるイアンの前で、自分が身を投げ出すなどと。
レイシアを守る立場にある彼を侮辱しているも同然の発言だった。
(そこは謝る。確かに私が悪かった。でもね、『忘れてください』って? それはない!)
そう言ってもらえて、レイシアは救われた。
とても嬉しかった。―――なのに、あの野郎は。
(忘れろ? 忘れろですって? そんな都合よく忘れられるかっての! こっちはそんなに図太い神経持ち合わせちゃいないのよ!)
彼が自分のことを思って言ってくれたのは分かる。分かってる。
でもそれ以上に、レイシアも彼のことを守りたかった。
(無茶でしょう。しかも、剣まで置いていくなんて)
膝に置かれた、ずっしりと重みのある剣に視線を落とす。
柄にそっと触れてみた。
瞬間、中庭で懸命に剣を振っていた彼の姿が脳裏に蘇る。
まだそこに彼の熱が残っているような気がして。胸がほんの少し騒ぎ出す。
(なんだろう。すごく嫌な予感がするの)
頭の奥で警笛が鳴る。
あの夜とは違う、自分自身に対して。
このまま、自分だけ安全な場所にいてもいいものか、と。
(イアンを、ロイを、ヴィオラを、ミリィを。信用していないわけじゃない。でも、何だか)
勘が騒ぐ。このままではいけない。
(私が、直接ヴェルテと交渉の場を設ければ、もしかしたら)
すべての悪だくみがこちら側に筒抜けと向こうも知れば、考えを改めるかもしれない。
(それなら、誰も傷つかずにすむもの)
父親を、トーリアを助けてと泣いたモニカが頭をよぎる。
街であった人々不安げな顔が頭をよぎる。
(それはきっと私にしかできないこと。イアン、皆、ごめんね。わたし、このままじゃ帰れないわ)
レイシアの空色の瞳に、強い光が宿った。
(決めた。戻る!)
決めたはいいが、状況はすこぶるよろしくない。
馬車はひたすら前に進み続けているし、御者に声をかけようにも車輪の音がうるさすぎて届くかわからない。
何か方法はないものか、とカーテンを少しめくってみれば、護衛らしき人影が数人見える。
(護衛兼見張りといったところかしら。困ったわ。これじゃあ外に飛び出すのも無理かしら)
その前に、大怪我するという考えはすっぽり抜け落ちている。
ただただ戻らなければならない、という想いがレイシアを突き動かしていた。
(一か八か、言ってみるしかないか)
そっと窓枠に手をかけ、窓を押し上げる。
その音に気がついた一人の護衛が、窓に近寄ってきた。
「窓をお閉め下さい。王女殿下」
(あれ? この声は)
聞き覚えのある声に、ピンとくる。
確か、王宮の庭園で、レイシアの悪口を言っていた騎士ではないのか。
(ひょっとしたら、この人使えるかも)
あくどい考えが頭に浮かんだ。
悪魔が「やっちまえよ」と発破をかけてくる。一方で天使が「やっちゃだめ」と必死に叫んでいる。
悪魔と天使が脳内で戦い始めたが。天使がぽいっと思考の外にはじき出されるのは、存外時間がかからなかった。
「少し気分が悪いの。馬車をどこかに停めてくださる?」
「藍公閣下より、熊に襲われようが夜盗に襲われようが隕石が降ってこようが馬車は停めるなと命令されております」
なんだそれは、真剣にレイシアはこの騎士相手につっこみたくなった。
でも、その発言のおかげで、再確認できたことがある。
(やっぱりこの人、私のこと嫌いなのね。ちっともこちらを見ようとしないもの)
落馬する危険を回避するために前を向いているのかもしれない。それにしても、だ。頑なにこちらを見ようともしない。
あのときならきっと傷ついていただろう。
でももう大丈夫。この瞳を美しいと言ってくれた人がいたから。
(むしろ好都合よ。願ったり叶ったりよ!)
停めることを拒否されるなど、すでに織り込み済みだ。
「止まりなさい、命令です」
「できません」
ここからが、レイシアにとっての本番だった。
「そう? いいのかしら? 私に逆らっても。今すぐあなたと目を合わして、二度と陽の光を見れないようにしてもかまわないのよ?」
レイシアの脅しは自分が思っていたよりもはるかに効果覿面だった。
騎士がそれこそ石になったように馬上で身体を強張らせ、息を飲んだのだ。
(もうひと押しね)
「私の恐ろしさ、まさか知らないわけではないでしょう?」
「で、ですが……」
かわいそうに。声が震えて狼狽している。
けれど、ここで手を緩めてやるわけにはいかなかった。
「いいわ。もし私の命令に背くなら、ここからは自力で戻りますから。ただしそのときは、ここにいる皆、全員の命はないと思って?」
「し、しばらくお待ちください」
震え声で、騎士が一言いい置き、他の護衛たちに口頭で何かを伝えている。
窓からちらりと騎士たちの様子をうかがえば、皆一様に怯えた表情になった。
こんな暗闇でも分かるのだから、相当怯えているのだろう。
やがて、御者にもその旨が伝わったのか、馬車のスピードががたりと落ちる。
それを見計らって、レイシアは皆に聞こえるように叫んだ。
「ゼーベック伯の屋敷に向かいなさい。熊に襲われようと夜盗に襲われようと隕石が降ってこようとも、止まることは許しません」
行き先にか、恐怖からか。
馬車の周辺でどよめきが走ったが、もう知ったこっちゃない。
「トーリア城ではなく、ゼーベック伯の屋敷、でございますか?」
聞き間違えたのかと思ったのか、御者がレイシアに話しかけてきた。
「そうよ、ゼーベック伯の屋敷。違わないようにね」
トーリア城に行っても意味がない。
むしろ、イアンと鉢合わせなどしたら最悪だ。
ゼーベック伯の屋敷、それも裏口からなら、その危険性は回避される。
ついでに屋敷内に侵入しているはずのヴィオラ、ミリィと合流できれば万々歳だ。
(イアン、覚えてなさいよ! 絶対に文句言ってやるんだから!)
ぐぐぐ、と握り拳を固めていれば、御者から「承知いたしました」との声がかかる。
「わかってくれればいいの。皆、ありがとう」
「い、いえ」
誰が発したかは知らないけれど、声が裏返っている。
あまりに怯えている様子だったので、さすがに脅しすぎたかなと申し訳なくなった。
「この国を守れるのなら。化け物と罵られ、鬼だと忌み嫌われようと、喜んで私はなってあげるわ」
軽く洒落を効かせた、冗談のつもりだったのに。
いよいよ黙りこんでしまった馬車の外側に、レイシアは失敗したと顔をしかめた。




