第一章 ②/嫁ぎ遅れの王女
書類で目の前が塞がれていた作業机から、ソファに移動し、ミリィが淹れてくれたお茶で一息つく。
ミリィお手製の焼き菓子も一緒につまみつつ、つかの間の休憩に心が安らいだ。
「そういえば、最近虹会議が頻繁に行われているとか。いったい何の議題について話し合われているのでしょうね?」
「さあ? どうせろくでもないことでしょう? 国内は安定しているし、急を要する議題なんてなかったと思うけど」
ミリィの問いかけに、思うままのことを返しつつ。
レイシアがティーカップをことりとテーブルに置いたのと、いきなりバン、と部屋の扉が開かれたのが同時だった。
「それがっ! あるんですわっ! これがっ!」
突然部屋中に響いた声に、レイシアはびくりと肩を揺らす。
王女の部屋だというのに、ろくに挨拶もないまま、ずかずかと入ってきた人物を見るなり、レイシアは目を瞬かせた。
「ヴィオラ、久しぶりね。元気にしていた?」
幼き頃からの旧友は、今日もあいかわらず元気らしい。「元気ですともっ! 見ればわかるでしょう?」と、両手をぱっと広げている。
黙っていればかなりの美人なのだが、残念ながら、彼女が黙っている日を見たことがない。
さながら舞台役者のように、いつも声を張り上げていて、リアクションが大きいのが彼女の特徴だ。
「まあヴィオラさま。さっそく来てくださったのですね。ささ、お茶をどうぞ」
対してミリィは女の子の中の女の子といった容姿で、いつもふわふわほわほわしている。
たまに変な性癖が出るのが残念だが、それはご愛嬌だ。
王女のレイシア、侍女のミリィ、外交官のヴィオラ。
立場はそれぞれ違えど、何の気兼ねもなく話せる、いつもの三人である。
ちなみに、見た目からは想像もつかないが、この二人はレイシアの専属護衛も兼ねている。
暗器を使わせたら、国内一・二、と言わしめるほどの腕前だ。
久しぶりに三人揃ったところで、手際良くミリィがもう一つお茶を用意し、ヴィオラもソファに腰をおろした。
「さっき、お茶菓子を取りに厨房へ行った時に、ちょうどすれ違いまして。お誘いしたのですわ」
「お誘いされなくても行く気満々でしたけれどねっ! 用事がありましたから」
艶やかな黒髪をさっと後ろに払いのけながら、ヴィオラは長い足を組む。
「用事? 今は外交官の仕事で忙しいんじゃなかったの?」
一週間ほど前に、後輩相手にあれやこれやと指示を飛ばしながら、サンドウィッチを口いっぱいに頬張っているというなんとも野性的な彼女を見たことを頭の片隅に思い出した。
「ええ、それはそれは忙しかったわ! それもこれもすべて、レイシア様、あなた様のためよっ!」
「私の? 私が何か?」
まったく心当たりがない。
書類整理で仕事を減らすことはあれど、仕事を増やすことなど何もしてはいない。
なんら悪びれないレイシアに、ヴィオラは大きくため息をついた。
「失礼ですが。レイシア様、おいくつでしたかしら?」
なにを今さら。
聞くほどのことでもないだろうにと思ったが、彼女の目が真剣なので、ここはすんなりと答えておく。
「私? ヴィオラと同じ、二十二歳」
「一応、聞いておきますけれど? 女性の平均初婚年齢が十八歳のこの国で。一応、聞いておきますけれど? レイシア様、ご結婚は?」
「してない」
「ああ、嘆かわしいっ!」
両手で勢いよく頭を押さえ、彼女は天を仰ぎ見た。
「このっ! エルメルト共和国唯一の王位継承権をお持ちの、レイシア様がっ! 誰よりもいの一番に結婚しなければいけないお姫様がっ! 独身っ! おお、神よっ!」
「お願いだから、胸で十字をきるのはやめて」
「そうですわ、ヴィオラさま。王女殿下だって、ちゃんと努力なさったのですよ?」
ミリィの言うとおり、レイシアは結婚のために、何度も何度も見合いをしたことがある。
思いだすのにも億劫なほどに、たくさんの人と。
「ええ、そうでしたわね。六十歳以上限定の方、という条件付きで」
冷やかに、ヴィオラがうっすらと目を細めた。
それに気づかないふりをして、レイシアはいけしゃあしゃあと言ってみる。
「当たり前でしょう? 私、六十歳以上の方にしか興味ないんだもの」
「ああ、神よっ!」
言うなり、ヴィオラが「ブーー」と舞台開幕ベルの口真似をしながら、立ち上がる。
独り芝居が始まる合図だ。
ちなみに、独り芝居が始まってからは、何が起ころうとも一切口を挟んではいけないのが、三人の間での暗黙の了解である。
『レイシア王女殿下、今日はお招きいただき光栄でございます』
低い低音のよぼよぼした男の声を真似している。どうやら見合い相手の役らしい。
次いで、高い女の声で『私の方こそ、お会いできて嬉しいですわ』とのセリフ回しだ。おそらく、レイシアの真似だろう。地味に似ている。おまけに動作付きだ。
『王女殿下のような綺麗な方といただくお茶は、格別ですな』
『いやですわ、お上手だこと』
『いやいや、本当のことを言ったまでで、ごほっごほっ、おっと失礼。せっかくの茶がこぼれてしまって。どうも最近は手の震えが止まらなくて。歳ですな』
『まあ、そうですの。大丈夫ですか? 私が拭きますわ』
『いやはや。そのようなことを王女殿下にしていただくなど』
『お気になさらないで。あら。お口にもお菓子がついていらっしゃいますわ。拭きますわね。――はい。綺麗になりましたわ』
「……って! これのどこが見合いですか! 介護! あれは介護っていうんですのよ!」
ヴィオラの声が戻り、ソファに着席したところで、独り芝居は終幕した。
「介護ですって? 失礼な。私はお世話をするのが好きなの。あと、何でも包みこんでくれる、懐の大きい包容力抜群の人」
「だからって、どうして六十歳以上限定なんですの⁉ おかしいですわ!」
「ヴィオラさま、人には人それぞれの性癖というものがありますから。そのように責め立てるのはよろしくありませんわ」
「王女殿下のは性癖ではなく、妥協というのです。それと、老若男女問わず、可愛けりゃなんでもいける特殊性癖を持つミリィはお黙りなさい」
「あらあ?」
ミリィが笑顔で首を傾げたところで、レイシアはひとつ息をはいた。
このままでは長引きそうだと、反論の糸口を探す。
ひとつあった。
「そう言うヴィオラこそ、私と同じ年なのに独身じゃないの」
「ええ、そうですわね。でも! だからこそ、私が忠告をしにきたのですわ!」
逆効果だった。
ヴィオラはだん、と拳をテーブルに打ちつけ、これを言わんとばかりに声を張り上げる。
「婚期を逃した女はね、周りをざわつかせますのよ! よく覚えてらっしゃい!」
「そう? 特にそんな感じはしないけど?」
「そりゃそうでしょう! レイシア様はこのお部屋と寝室を行き帰りするぐらい。若い貴族の社交場になっているサロンにも、華やかな舞踏会にもめったに顔を出されないのですから!」
やりこめるつもりが、痛いところを突かれてレイシアは押し黙った。
黙ったのを良いことに、ヴィオラはさらに詰めよってくる。
「いいですか? かの瞳の力などもう忘れておしまいなさい。その目元を覆うレースを外し、ちゃんと人と目を合わせてお話しするのです。目が開いているのか、寝ているのかわからないご老人相手ではなく、ちゃんと年相応の相手と、しかるべきお見合いを」
厳かに言った彼女の藍の瞳は真剣そのもので。
長年の付き合いから、「あ、この子、今本気だわ」とレイシアは嫌でも悟らざるをえなかった。