第五章 ①/あなたの香り
馬車がきちんと王宮へと向かう方角に消えたのを見送ってから、イアンはまた元いた部屋に戻ってきた。
そこには先ほどと同じようにロイ、ヴィオラ、ミリィの三人がいた。
王女が共にいないことを確認するなり、三人はほっと息を吐く。
「機嫌悪いな、イアン。痴話喧嘩でもしてきたのか?」
いたずらっぽく問うてくるロイに、イアンはすげなく「まさか」と言い放つ。
「そんないいものではありませんよ」
「うふふ。でも王女殿下がよく真っ直ぐお帰りになったこと。駄々をこねるかと思っていましたのに」
年齢詐欺の侍女は俺の表情から何かを読みとろうとしている様子もかわし、いつものように表情を取り繕い、軽く流す。
現に、王女は駄々をこねたわけだが、それをここで言うとまたいらぬ追求に遭いそうなので、ここは黙っておく。
「きっと本当のことを聞けば、レイシア様はお怒りになるでしょうね! 私たちがグルになって王宮へ帰す準備をしていたと聞けば」
ヴィオラの言うとおり、これはここにいる人間の総意だった。
モニカ嬢が来て、どうにも雲行きが怪しくなり。
ヴェルテがこの屋敷に来たことが決定打となった。
イアンとロイは屋敷内の人間の煽動。
ヴィオラとミリィの二人にも大きな任務がある。
(そんな守りが手薄なときに、もし、王女に危機が迫れば)
考えたくはないが、彼女が王女であるのを良いことに、何かに利用されるかもしれないのだ。
それだけは、何としても避けなければならない。
(阿呆が)
人の気も知らないで。なぜあんなことを平然と言い出すのか。
「やっぱり機嫌悪いな、お前。何があったか言ってみな?」
「そうですわあ。お悩み事があれば、年上の私たちにお話しなさって?」
「三人寄れば、文殊の知恵! すっきり解決間違いなし!」
「結構です」
やかましいお節介な三人がにやけ顔をこらえきれていないのを、眉間に皺を寄せて、それ以上の追随を許さないようにする。
「頑なですわねえ」
「若気の至りってやつか」
「いくつになっても甘えんぼっ!」
(うぜえ、こいつら)
いよいよ我慢の緒が切れ、イアンが内心で悪態をつきはじめたところで、ロイが肩をすくめた。
「さて、若者いじりはこのぐらいにして。そろそろ頃合いか?」
「ええ。すべては手はず通りに。では、姉上、ミリィ殿。頼みました」
「先鋒こそ、騎士の誉れっ! 先陣きって突入してまいりますわ!」
「ヴィオラさまは騎士ではなくて、ちょっと変態的特技をお持ちの外交官ですわよ?」
いいから早く行けよ、と思うイアンの内心とは裏腹に、二人は何やら騒がしく話しだした。
そんな二人を半眼で見つめていれば、ロイがこそっと耳打ちしてくる。
「お前、剣はどうした?」
騎士服をまとえば、いつも腰元にあるはずの剣がないことに、ロイは目ざとく気がついたらしい。
「預けてきました」
たった一言だったが、ロイには十分に伝わったらしい。
「ずいぶんと、惚れこんだものだな」
「ご冗談を」
気を逸らすように、ロイから視線を外す。
ほんの少し動いただけでも、騎士服からは匂い立つ花の香りがした。
正直、男の自分には少し匂いがきつすぎる気もするが。
文句を言う気にはならない。
(ここからはだいぶ離れたか)
六頭立ての馬車には及ばないだろうが、全速力で飛ばすよう、御者には伝えてある。
(逃げ、ではないですよ。王女殿下)
あの時は伝えられなかった言葉を乗せて。
彼女が無事に王宮に戻れることを、切に祈った。




