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恋よ、はじめまして。  作者: 夏平涼
第一部
28/54

第四章 ⑧/大事な人


************************************************************


「これはいったいどういうことかしら? イアン」


 彼に身を委ねて、しばらく。

 連れられてきた場所と、目の前にたたずむ箱馬車を見て、レイシアは眦を吊り上げた。


「この馬車はなに?」


 城の外、厩舎近くに停めてあった馬車の前で、レイシアは腕を組み、イアンを睨みつけた。


「質素な馬車で申し訳ありません。ただこのぐらいの方が目立たずに済みますので」

「何に、目立たないのかしら?」

「みなまで言わないと分かりませんか?」


 いたずらに目尻を下げたイアンに、レイシアはなおも怒鳴りつける。


「そんな笑顔にはもう騙されないんだから! 私一人だけ王宮に帰れと言うの? あなたは!」

「はい」


 簡潔に答えたイアンに、レイシアは抗議の眼差しを送る。


「嫌よ。絶対に乗らないから」


 きっぱりと言い切り、そっぽを向いてやる。


 当たり前だ。

 国の一大事になるかもしれない局面に対峙しておいて、自分だけ逃げ帰るだなんてできない。


 ヴィオラやミリィのように役に立つことはできないし、ロイやイアンのように力もない。

 それでも。ここを離れるわけにはいかなかった。


「もし、成功しなかったら。私の身一つでどうとでもなるわ。だから、ここにいる」


 王族とはえてしてそういうものだ。

 レイシアも幼いころからそう教えられ育てられてきた。

 平民ができない贅沢を一生分する代わりに、有事の際には身を売って投げ出す。

 そのために、自分たちの生はあるのだと。


「だから、私は帰るわけにはって、きゃあ」


 言いたいことも半分に、レイシアの身体は宙に浮いた。

 いきなりイアンに横抱きにされたのだ。


 じたばたと手足を動かして抵抗するが、いとも呆気なくレイシアは馬車に乗せられてしまう。

 こうなったら急所蹴りも辞さない構えよ、と下品にも足に力をこめたが。予想外の展開が起きたのは、そのあとだった。


 馬車のシートに仰向けに寝かされたレイシアの上に、イアンが覆いかぶさってきた。

 手は頭上で縫いとめられ、足は彼の太い腿によって動きを封じられる。


(お、お、おおお、お、お、お⁉)


 押し倒されている、という表現が頭で浮かばないほど、レイシアはひどく混乱した。

 さらに、息をするのも躊躇うほど、イアンの顔が間近にまで迫ってくる。


「二度と言うな」


 レイシアが声を出しあぐねている側で、イアンが囁く。

 いつもの彼の口調と穏やかな声音からは想像もできないほど、言葉が荒々しい。


「自分の身を投げ出すなどと。二度と言うなと言っている」


 イアンの瞳は真剣そのもので。

 彼が本気で怒っていることが、まざまざと知れる。


「……わかったわ。でも、ここにはいる」

「帰れ。いい加減聞き分けろ」


 イアンの凄みのある剣幕に、何も言葉を言いかえせない。


 大人しくなったのを見計らってか、イアンの片手がレイシアの頤にそっと触れる。

 言葉の荒々しさに似合わない、優しすぎる彼の手が、余計に思考を混乱させた。

 このままでいると、恥ずかしいような、泣きたいような心地になってしまって。

 レイシアはイアンの瞳から視線を逸らした。


「前を向けって、教えてくれたのはあなたでしょう?」


 逃げてばっかりだったレイシアに、そう教えてくれたのは、まぎれもなくこの人だったから。

 きっと、わかってくれると思ったのに。

 彼はそっと身を起こし、レイシアの上から退いた。


「危険です。あなたの命がかかっている。今は忘れてください」


 そう言い残し、彼は馬車を降りた。


「待ちなさい!」

「これは置いていきますので」


 かちゃり、とレイシアの足元に置かれたのは、イアンの剣。


「彼らと剣を交える気はございませんし、下手を取るつもりもありません。ご安心を」


 では、とイアンが馬車の扉を閉める。


 イアンの剣を見つめていたレイシアは、後れをとった。

 気がついたが最後、もう外から鍵をかけられる音が聞こえてしまい。何一つ言いたいことも言えぬまま。レイシアを乗せた馬車は王宮へ向かい、無情にも動きはじめた。


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