第四章 ⑥/迫りくる影の者
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(やっぱり、あの時も感じたけど、あまり雰囲気のよい方ではないわね)
各自各々の役目に徹し、すみやかに設えられた茶会の席にレイシアは腰をおろす。
ミリィが見立ててくれたドレスは豪華そのもので。水色から濃紺へと変わるグラデーションが見事なドレスだ。
惜しげもなく布地には宝石が散りばめられ、スカート部分は薄い生地を何重にも重ねて厚みを出し、胸元を彩るは大きなサファイア。
ヘッドピースも特別仕様で、頭半分が隠れるほどの大きな花飾りがついている。
レイシアが「今から舞踏会ですか? これ?」とミリィに確認したくなるほどの着飾りっぷりだ。
水鳥の羽をふんだんに使った扇で優雅に口元を隠しながら、目の前に座っている二人を失礼にならない程度に観察する。
(右がゼーベック伯、左がフェルス・ヴェルテ、ね)
ゼーベック伯が挨拶に来たというのに、上座に座っているのはヴェルテの方。
もうこの時点で、すでにおかしな主従関係になっていることがうかがえる。
おかしいといえば、ゼーベック伯の様子もかなりおかしい。
(目の視点が合わないわね。顔色も悪いし、ここまでひどいなんて)
モニカの言っていた通り、彼は何かの病に侵されているようにひどい様相をしていた。
言葉は悪いが、見るに堪えない、と表現するしかないほど。
対して、ヴェルテの方は口角を最大限まであげて笑い、実に機嫌がよさそうだ。
「ご機嫌麗しゅう、王女殿下。このような土地でエルメルトの姫君様にお会いできますとは夢にも思っておりませんでした。私はフェルス・ヴェルテ。フォルキアで商人をしている者です」
「…………」
ヴェルテは名乗ったが、ゼーベック伯は沈黙を続けたままだ。
この場合、一番身分が高いレイシアより、彼らが先に名乗るのが普通だが、もう彼はそれすらも理解できていないのかもしれない。
「失礼を。王女殿下。彼は今少し体調が優れないようで。あなた様に会いたいがために、私が無理を言ってここに連れてきてしまったのです。どうぞ寛大なお心を」
「構いませんわ。体調が優れないようでしたら、他のお部屋でお休みになります?」
「そこまでしていただくほどでもないでしょう? ねえ、ゼーベック伯?」
「はい。ヴェルテ様」
そこまで沈黙を続けていたゼーベック伯がいきなり口を開く。
ただそのあとは、また真一文字に口を閉ざしてしまった。
「彼は無口なのですよ。ただ今日ばかりはそんな彼に感謝しなければいけないやもしれません」
「あら? どうしてですの?」
ひとかけらの隙も見せてなるものか、とレイシアは王女モード全開でいくことに決めた。
ぴりぴりとした警戒心を隠すこともなく、冷たく、けれど優雅に相手をする。
「そのように冷たくされますと、私もつらいものがございます。なにせ、私は王女殿下を心の底からお慕い申し上げておりましたので」
ひゅううう、と室内なのに。春なのに。真冬に逆戻りしたような風が吹いた。
主に、じっと空気のように壁際に控えている、ロイを除く三人の方角から。
「戯言を。私、冗談は嫌いですのよ」
「とんでもございません。私は本気でしたよ。ただタイミングも悪く、仕事の方が忙しくなってしまいましたので」
「そう。お仕事が順調そうで、なによりですわね」
レイシアが冷たくあしらうのも構わず、彼は部屋に入って来たときからずっと笑顔だ。
面を被っているような、顔に張りつけた笑顔。
今の自分も大概だとは思うが、彼のそれは狡猾さがにじみ出ている。
このままではいつまで経っても彼のペースに乗せられたまま、話が進んでしまいそうなので。
レイシアは少し、仕掛けてみることにした。
「ところで、ヴェルテさま。どうして私がここにいることをご存知だったのかしら?」
「何をおっしゃいます。一度、街でお会いしたではないですか。あの時は知らなかったとはいえ、無礼な真似をいたしました。お許しを」
(なんだ、気がついていたのね)
そんな素振りを一度も見せなったから、気がついていないと思っていた。
モニカもレイシアのことを王女だと知っていたように、よほどこの空色の瞳は有名らしい。
「実に惜しいことをした。やはり私はあのとき仕事などにかまけず、あなた様に求婚をすべきだったようだ」
話が元のそれに戻る。どうやらあまり長い話はしたくない内容だったらしい。
でもそこは、さすが商人と言うべきか。顔色ひとつ変わらない。
「ですが私にはもう婚約者がいますゆえ、あなたに恋の睦言を囁くことは許されない。どうぞ憐れな男だとお笑いになってください」
(誰が笑うか)
現に笑っているのはヴェルテ一人だ。
レイシアは眉毛一つ動かすことなく、冷たい目でヴェルテを見すえるのみ。
そこでヴェルテの顔つきが変わる。笑顔のそれから、はっきりとした狡猾な男の顔へと。
同じように、部屋の空気も変わった。
「さてね、歓談はこのぐらいにしておきまして。その私の婚約者、というのがこちらのゼーベック伯のご息女モニカ嬢なのです。ねえ、ゼーベック伯?」
「はい。ヴェルテ様」
ヴェルテがゼーベック伯に視線を向けて確認すれば、彼は肯定の意を示す。
「私の仕事が落ち着き次第、すぐにでも婚儀をあげるつもりなのですが。いかんせん愛し合う二人に、この土地は少しややこしい。そこで、王女殿下に一つお願いしたく」
「私に? 祝詞を一筆書け、とのお願いかしら?」
「いえいえ。もちろんそれもお願いしたいところですが、今日は別件でして。王女殿下の名を、一筆お借りしたく」
懐より、綺麗に折られた紙をヴェルテが取りだす。
その紙を恭しく広げるなり、レイシアの方に差しだした。
「私と、モニカ嬢の婚姻届です。様式はこの地方に則って、トーリア地方の書式で」
つつ、とヴェルテの指先が紙を這い、たったひとつ記入されていない空欄を指差す。
そこは、モニカの後継人となる人間が署名するはずの欄だ。
「本来ならばここは実の両親、またはそれに近しい人間が署名すればいいだけの話。ですが、この婚姻は少し訳が違う。お分かりになられますかな? 王女殿下」
静かに、彼の指が動く。
そこに記名されていた名前を見るに、さすがのレイシアも目を見開いた。
「私の後継人の欄には、フォルキア現国王の署名が書かれております」
偽物か、とも思ったけれど。
署名の横に、まぎれもなく王家の紋印が押されている。偽装できるはずもない代物だ。
ちらりとヴェルテの表情をうかがう。
きっと内心笑いが止まらないんだろうな、とレイシアは悟った。
要は「こっちは国王の署名があるのに、お前がここに名を書かないわけないよな?」と脅しにきているのだ。
書けば、トーリアは国同士の正式な署名のもと、フォルキアの領地となる。のち、モニカの言っていたことが事実なら、フォルキアがここを拠点に攻め、戦争が始まる。
書かなければ、フォルキア国王の名を侮辱したとして、フォルキアに戦争の大義名分を与えてしまう。
(どちらにしても地獄ね)
引きこもりの王女に、政治的なことなど何も分からないだろうと目算を立て、ここまできたのだろうが。そうはいかない。
動揺を悟らせないよう、口元はきっちり扇で覆ったが。
内心悔しくて仕方がない。
(でも、付け入る隙はまだある)
レイシアは見逃さなかった。
「ずいぶんと仰々しい婚姻届ですこと。まさかフォルキア国王陛下の署名をお持ちだとは。これはこちらとしても最大限の礼儀を尽くさねばいけませんわね」
「お分かりいただけましたようで、ありがたき幸せでございます」
「ええ。ですから。私のような者が、ここに署名するわけにはまいりませんわ。どうぞ私の父、エルメルト国王に謁見し、その旨、きちんと説明されてはいかが?」
ここで初めて、レイシアはヴェルテに向かって笑顔を投げかける。
「だってそうでしょう? 私はただの王女。フォルキア国王陛下の隣に署名するだなんて、そのような無礼はできませんわ」
ヴェルテが何かを言おうとしたが、構わずレイシアは続ける。
身分高き者が話している最中は、口を挟めないのを良いことに。
「ぜひモニカ嬢と、ゼーベック伯も王宮に来られるといいですわ。私がお話は通しておきますので。お二人が仲睦まじく睦言を囁いている姿を目にすれば、それはそれは簡単に署名をいただけるかもしれませんわよ? 幸い、ここから王都は目と鼻の先ですし?」
厭味とも、牽制ともとれる物言いでレイシアが提案すれば。
ヴェルテはここにきて黙りこんだ。
(後手に回ってばっかりじゃいられないのよ、こっちも!)
これでとどめだ、と言わんばかりに、レイシアは満面の笑みをつくってみせる。
「そうは思わなくて? ねえ? ゼーベック伯?」
「はい。ヴェルテ様」
「うふふ。〝ヴェルテ様、そうしましょう〟ということでよろしいかしら? 彼もこうおっしゃられていることですし? そうなさいませ」
話は終わりと言わんばかりに、レイシアは席をたつ。これ以上、今言うことは何もないと判断したからだ。
最後に見下ろしたヴェルテの顔色に浮かんでいたのは。まぎれもなく憤怒の表情だった。




