第四章 ⑤/仕掛けられた計画
明瞭だった声は、すっかり震え、怯えていた。
「私、聞いてしまったのです。父とフォルキアの貴族、ヴェルテさまが秘密裏にお話している内容を」
細々と、でも確かに伝えようとするモニカの強い意志だけが、彼女の口を動かしているようだ。それほどまでに彼女は生気を失った顔をしている。
「戦争をしかけるつもりです。このトーリアを拠点に」
重々しく紡ぎだされた言葉に、部屋の中の空気が凍りつく。
あまりの衝撃的な内容に、息をするのも忘れていたレイシアは、肩を上下させた。
今は、落ち着かなければならない。
「それは、事実なの? もし、それが本当なら、あなたのお父上、ゼーベック伯も処罰の対象になってしまうこと、重々承知ね?」
「はい。もちろんです。ですが、どうか信じてください。父は、父は……! ヴェルテさまに操られているのです! どうか、信じてください!」
嗚咽を漏らして、喉を引っかけて。とめどなく流れる涙をもって、訴えかけるモニカが嘘をついているなど到底思えない。
思えなかったけれど、ちゃんと全てを聞き届けなければいけない。
全ての判断はそれからだ。
「ヴェルテさまが私の住む屋敷に頻繁に訪れるようになってから、父の様子がおかしいのです。あれだけ優しかった父が、やせ衰えて、目は窪み、日に日に凶暴になって! もう私の名前すら、覚えてくれていないのです!」
涙が頬を伝うのも構わず、モニカは必死に訴える。
その訴える姿があまりに痛々しく、レイシアは胸を痛ませた。
「操られている、とは具体的にはどういうことかしら?」
「薬、のようなものだと思います。ヴェルテさまの懐にいつも入っている瓶があって。フォルキアでは、ごくごく一般的なものだ、と。お酒にいれてそれを父に勧めたのです」
モニカの泣き声が、より一層大きくなる。
数度深呼吸をして、呼吸を落ち着かせてから、彼女はまた口火を切った。
「父はひどくそのお酒を気に入って。ヴェルテさまに勧められるがまま、そのお酒を飲み続けたのです。そしたら……」
「ゼーベック伯の様子がおかしくなったの?」
「はい。ヴェルテさまがフォルキアに戻られた途端、酒はないのかと屋敷で暴れて。どうしてもフォルキアの、ヴェルテさまのお酒じゃないとダメで」
俯いて、いよいよ大泣きし始めたモニカの背を、ミリィが優しく撫ぜる。
そのままレイシアは壁際に立ったままのイアンとロイ、ヴィオラに視線を向けた。
「ヴェルテ、って誰かしら? 知っている?」
レイシアの問いかけに、答えたのは意外にもヴィオラだった。
「フェルス・ヴェルテ。元はフォルキア王家に連なる貴族家の三男ですわ。ただ家督を継げぬため、ヴェルテ家に婿養子として入ってからは、家業の手伝いをしているとか? 確か、商人だったかしら?」
「詳しいのね、ヴィオラ」
あまりにすらすらと情報が出てくるので、驚く。
「ええ。一時期、彼はレイシア様に興味を持たれていたみたいで。幾度か書簡でやりとりをしたことがありますから」
結局何もなかったんですけどね、とヴィオラは表情ひとつ変えずに暴露する。
「何それ、初耳だわ」
「初めて言いましたからね、そりゃ。ついでにモニカ嬢に言い寄ってきた四十五歳の男っていうのも、ヴェルテ様なのでは?」
ヴィオラの問いかけに、モニカがこくりと頷く。
その反応を見て、ヴィオラが口を開きかけたが、長年の経験から放送禁止語句を言う雰囲気を感じ取ったレイシアは、口を挟む。
話を逸らしている場合ではない。
「でも、貴族なのに商人なんて珍しいわね。ヴェルテ家はさほど身分は高くない家柄なの?」
ヴィオラの湿っぽい視線を無視して、ロイとイアンに話しかける。
今度はロイが口を開いた。
「公爵家ですね、一応」
「公爵⁉ でも、一応って? どういう意味なの?」
「王女殿下がご存知ないのも無理はありません。ヴェルテ家は闇に葬られた公爵家、と呼ばれています。ただ、俺たち軍人の間には結構有名な家柄です。なあ? イアン?」
「商人は商人でも、闇の武器商人です。それも王家贔屓の。家柄こそ公爵家ですが、表だって出てくることはまずありません。彼らが出てくるときは即ち、戦争が起こるときのみ」
イアンの重々しい口調と、離れていてもぴりぴりと伝わる緊張感に、レイシアは喉を鳴らす。
「では本当に、フォルキアがエルメルトに攻めてくるの?」
情けなくも、不安が声にのってしまえば。ロイがふっと口元を緩める。
「心配いりませんよ。さすがに今日明日に攻め込んでくるわけではないでしょう。モニカ嬢の言っていた通り、ここをまずは手始めに、との考えのはず。ここは王宮からも近い場所にありますし」
「赤公閣下。それでは王女殿下の不安を煽るだけです。説明が下手すぎます」
イアンがロイにダメ出しをくらわせる。
ロイはロイで「すまんすまん」と軽く謝った。
「舌足らずの赤公閣下に付け足しますと、要はここトーリアをフォルキアに渡さなければ、すべての芽は防げるということです」
「そ、うね。確かにそうだわ」
「ゼーベック伯の正気を失わせているのはおそらく、大麻の一種。精神錯乱などを起こす植物を粉に精製したものだと思われます。体内から完全に取りだすのは長い時間を要します。その間にフォルキアがトーリアを手中に治めれば手遅れ。ゼーベック伯の協力を仰ぐのは不可能でしょう」
「おい、お前の方が不安を煽ってるだろ! 絶対!」
「話はこれからです。途中で止めるのは止めてもらえませんか」
ロイとイアンが互いに睨みあいを始めたところで、レイシアは制止の声をかける。
「喧嘩してる場合じゃないでしょう? この緊急事態に!」
「あの、王女殿下。私からもお話をさせてください」
泣きやんだらしい、モニカの声が全員の耳に届く。
「イアンさまのおっしゃいました通り、父にはもう話は通じません。実質、トーリアの実権はほぼヴェルテさまが握っています」
「それはいつぐらいから?」
「もう三カ月程度になると思います。街にはヴェルテさまが呼び寄せた盗賊が悪行を働き、商人に扮装した兵たちが、日に日に私の屋敷に集まりつつあります」
それを聞いて、思い出す。
街でレイシアとモニカを襲おうとした輩は、すべてヴェルテの支配下にあった者たちだったらしい。
下っ端なので、モニカの存在を知らなかったとも。
となると、大勢の護衛に囲まれた、身なりの良い男。
レイシアがぶつかったあの男こそが、フェルス・ヴェルテその人ではないのか。
「国境を越えるための証書も、父が無限に出してしまっている状態です。私でも、もうヴェルテさまの部下が何人トーリアに入っているのか分かりません」
モニカが椅子から立ち上がり、レイシアの足元に座って、地面に擦りつけんばかりに、頭を深く下げた。
「申し訳ございません、王女殿下。私がもっと早くお伝えできれば、このようなことにはならなかったのに! 申し訳ございません」
「モニカ、頭をあげて。お願いだから」
涙ながらに謝るモニカの傍にレイシアも腰をおろし、彼女の背を撫でた。
ようやく顔をあげたモニカを、そっと抱きしめてやる。
「自分を責めてはダメよ。モニカは私たちに全て包み隠さず話してくれた。それだけで十分立派よ。ありがとう」
きっと、彼女なりに頑張ったのだろう。
街に一人でいたことも、きっと街の様子が心配だったから。
全てを話す決意をし、ここまでやってきたこと。
いったいどれほどの勇気がいるか。
「絶対に大丈夫。ゼーベック伯もきっと、元の優しいお父様に戻るわ」
信じて、とモニカに囁いた声は、ちゃんと彼女に伝わったらしい。
ここに来て、彼女は初めて笑顔を見せてくれた。
その笑顔がとても可愛らしくて。この子をこんな風に泣かせたヴェルテに、ふつふつと怒りを覚える。
レイシアの表情が強張ったところで、気を逸らすかのように部屋の扉が叩かれた。
扉の外から「トーリアの領主、ゼーベック伯がご挨拶に来られました」との報告がある。
一瞬にして、部屋の中の空気が緊張感に包まれた。
レイシアがモニカの顔を見れば、彼女はどうしよう、とうろたえている。
「モニカ、あなたがここにいること、ゼーベック伯はご存知なの?」
「いいえ。私が単独でここまで参りました。私は屋敷の外へ出ることは許されておりませんので」
「ひどいわね」
表情を曇らせたレイシアに、モニカも同じく険しい表情で頷く。
「ですからこの前も、今日も部屋からこっそり抜け出してきたのです」
モニカの告白にロイが軽く舌打ちをする。
「あとをつけられていた可能性がありますね。いずれにせよ、このままモニカ嬢を屋敷に帰すわけにはいかないかと」
「そうね。危険かもしれないわ。モニカさえよければ、事態が落ち着くまで、この城にいて?」
レイシアの提案にモニカは首を振る。
「私の身は大丈夫です。〝結婚〟という名目がある以上、ヴェルテさまは私のことを傷つけられません。それと、もし私が屋敷から逃げ出したら、屋敷に残る使用人たちがどんな目に遭うか……」
ふるふると身を震わせたモニカは、きゅっと身を縮ませた。
「私は帰ります。父と、おそらくヴェルテさまもご一緒だと思います。この場で顔を合わすわけにはいきませんから」
「そう。ではせめて見送りの者を誰かつかせるわ。構わない?」
今度のレイシアの提案には、モニカは快く「ありがとうございます」と頷いてくれた。
「ではその役目は俺がお引き受けいたします。イアン、あとは頼んだぞ」
「かしこまりました」
「では私が、適当にゼーベック伯とヴェルテ様をエントランス付近で足止めしておきますので! その間に裏口から外へ。では、行ってまいりますわ!」
誰が頼むでもなく、颯爽と扉を開け放ち、ヴィオラが退出した。
普段は空気の〝く〟の字も読めない彼女だが、こういうときはちゃんと空気を読めるらしい。
「うふふ。ヴィオラさま張り切っておいでですわね。では私は、王女殿下のお召し変えのお手伝いをいたしますわ」
「え? 着替えるの? それよりミリィはお茶の準備をお願いしてもいい? 何度も申し訳ないけど」
「それはもちろんですわ。まあ本音を言えば、そのような輩に出すお茶などありません、と言いたいところなのですけれど? 仕方ありませんし。ちょっと面白いものでも入れてあげましょうかしらね」
口調はいつも通りなのに、目がちっとも笑ってないミリィに、「何を入れるの?」とは恐ろしくて聞けず。
「ほ、ほどほどにね? むしろ、やめておいてほしいかな」
「うふふ。さあさ、王女殿下。早くお召し変えを。女の戦闘服は煌びやかに着飾ったドレスと相場が決まっておりますの。腕がなりますわあ」
肯定も否定もせず、ごきっばきっ、と指の関節を鳴らしながら笑顔で言うミリィに、若干引いてしまったのは内緒だ。




