第四章 ③/熟年老夫婦?
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トーリア城に来て、早三日が経った。
初日こそ盛りだくさん過ぎる濃い一日だったが、そのあとはいたって平凡な日を過ごしている。
「洗濯物なら私がするわよ?」
洗濯かごを腕に抱えたイアンの後ろ姿を見つけ、レイシアは声をかけた。
「え? でもこれは俺のですから。さすがに自分でやります」
「いいわよ? 私のもついでに洗ってしまうし。イアンは今から剣の稽古をする時間でしょう? いってらっしゃい」
ひょいっとイアンの腕から洗濯かごを取り上げ、レイシアは笑顔で手をふる。
彼は少し逡巡したが、「ありがとうございます」と礼を述べ、そのまま中庭に続く階段を降りていった。
「さて、じゃあ私は洗濯に取りかかろうかな」
慣れた足取りで、洗濯場となる井戸の近くまで移動する。
大きな盥に、井戸からくみ上げた水を一杯に満たし、まずは下洗いを始めた。
じゃぶじゃぶと愉快な水音が、楽しげに耳に届いてくる。
当初、洗濯の仕方すらレイシアは知らなかったが、イアンに教えてもらってからというものの、すっかりはまってしまった。
それ以降、洗濯係は自分の役目となっている。
イアンは主に掃除担当だ。
料理に関しては、二人で作ることにしている。野菜がなくなれば、菜園で新鮮な野菜を収穫する。料理本を見つつ、二人で料理をする時間もなかなか楽しいものだ。
夜は暗くなったら寝室に明かりを灯し、二人で読書。
朝日が差しこめば、自然と目を覚まし、互いに起床の挨拶をする。
信じられないほどの穏やかな生活。
人はこれを幸せと呼ぶのねと、なんともらしくない乙女的な思想が芽生えつつあったが。
あまりに穏やか過ぎて。もう、なんというか、これは。
(長年連れ添った熟年老夫婦かよ)
なんて思わずにはいられない。
(いや、別にいいんだけどね? むしろこれが本来の目的だったんだろうけどね? なんかこう、締まりがないというか、刺激に欠けるというか?)
洗濯の手を休めることなく、レイシアは渋面を作る。
刺激、といえば。
あの初日以来、イアンはレイシアに対し〝計画〟とやらを全く実行しないのだ。
おかげで常に身構えていようと決めたレイシアは肩透かしを食らう羽目になっている。
(よく分からないな、本当。何考えているんだろう?)
胸のどこかでちょっと残念がっている自分がいるのを、否めない気がするのも、解せない。
(何よそれ、それじゃあまるで私が何か期待してるみたいじゃないのよ)
頭を二、三度大きく振れば、破廉恥な思考もどこかへいった。
否、無理やり追い出した。
ついでに、洗濯物の汚れを落とすために、粉石鹸も水の中にぶちこんでおく。
揉み洗いしていれば、ぶくぶくときめ細やかな泡がたってきた。
爽やかな良い匂いがレイシア鼻腔をくすぐる。
これが一番好きな瞬間だ。
洗濯に没頭していれば、余計なことを考えなくてもいいし、服は綺麗になるし、一石二鳥。
「うん。そろそろいいかな」
洗うのに見切りをつけ、盥の水を変えようとレイシアが立ち上がったときに、ふいに「王女殿下」と後ろから声をかけられる。
イアンではない。男の声。
ばっと振り返ると、そこには驚いた顔のロイがいた。
「赤公? 久しぶりね。どうかした?」
思いのほか、すんなりと彼の方を見て、会話することができたことに自分自身でも驚く。
イアン効果が覿面していることに、ひそかに内心感動した。
「あっ、いえ。洗濯日和ですね」
ロイがレイシアと足元の盥を交互に見つつ、驚いた顔をしている。
イアンとは違い、ロイは実に感情が分かりやすい人間らしい。
「そうね。洗濯物もすぐに乾きそうでなによりだわ」
およそ、一国の姫の口からでるような言葉ではないが、案外こんな自分も気にいっている。
楽しくて鼻歌を歌いながら、井戸から綺麗な水を汲みあげていれば、ロイが「順調そうで」と小声でぽつりと零した。
「ええ。最初は洗濯板とか、冷たい水に戸惑ったけれど。慣れたら楽しいものね」
「えっと、そうではなく。……まあ、いいです、はい」
「? それより、あなたはどうしてここに?」
もう一度訊けば、ロイははっとしたように居住まいを正す。
「少し前にこの城に訪問客がきまして。どうしても、王女殿下にお目通り願いたいと申しているのですが」
「私に?」
ここにはお忍びで来ているので、訪問客など来るはずがないのだが。
心当たりの全くないレイシアが首を傾げたのを見、ロイが一言補足する。
「〝街で助けていただいた礼をしに参りました〟と伝えてくれ、と。まだ幼い少女でして。どうしたものかと、判断を仰ぎにこうして参上した次第です」
「あら。あの時の?」
「いかがいたしますか?」
わざわざお礼なんていいのに、と思った反面、どうして自分がここにいるのを知っているのかが気になった。
「構わないわ。お通ししなさい。それと、ミリィを呼んでくれる? できれば私がするべきなのだろうけど。まだお茶の用意をするのが苦手なの」
「かしこまりました。すぐに」
優雅に一礼し、ロイは颯爽と去っていった。
「さて、じゃあ私も着替えた方がいいかしら?」
水が跳ねて湿った服をちらりと見下ろし、嘆息する。
まだ不慣れなせいか、盛大な染みがいくつもできた服は来客の応対に不釣り合いだろう。
「早くやっちゃおう。時間がないものね」
洗濯物を途中で放り出すわけにはいかない。
(ちゃちゃっと濯いで急げば大丈夫よね)
そう思い、レイシアは洗濯の仕上げをすべく、作業を開始した。




