第四章 ①/王女殿下、ひとりでできるもん
部屋に差しこむ柔らかい朝日が、そっと瞼の裏に透ける。
昨晩泣いたせいもあってか、いつもより瞼は重たく感じたけれど。反対に、身体はすっきりしていた。
隣で寝ているはずのイアンの姿はすでにそこにはなく、確認がてらシーツを触れば、ひんやりと冷たい。
察するに、ずいぶん前に起きたらしい。
寝台で身を起こしたレイシアの第一の感想は、よく寝たな、だった。
(昨日、そのまま寝ちゃったのよね? たぶん)
まだまどろむ意識の中、昨夜のことを順繰りに思い出す。
イアンの胸を借りて、散々泣いたあとから記憶がない。
結果。導き出される結論は、泣き疲れてそのまま寝てしまった、という一択に絞られた。
その考えに至るなり、正直、レイシアは頭を抱える。
(子供ね)
いい歳した大人が。年下の男に慰められるなんて。
(いや、わかってた。もうイアンの前で泣いてしまったあたりから、子供だと思ってはいたけど)
改めて考えてみると、昨日の自分の行動が信じられない。
(なんかイアンといると、自分がすごく子供っぽくなってしまう気がする)
それは彼の言動や仕草が、大人っぽく見えるからだろうか。
それとも。
「止め止め! 考えるの止め!」
彼の腕のぬくもりが一気に蘇ってきたと同時に、頬に熱が帯びる。
その熱を追っ払うように、レイシアはとっとと寝台から飛び降りた。
(昨日はちょっと弱っていたのよ! 弱みにつけこまれて懐柔されそうになっただけよ! 不慮の事故よ!)
泣き喚いてたお前が言うセリフかよ、と脳内でつっこんでしまうほどの、なんとも苦しい言い逃れだが、とりあえず自分にそう言い聞かせ、その場は凌いだ。
「はあ。お腹すいたな」
起きだせば、急に腹の虫が騒ぎ出す。
早く着替えを済ませ、少し遅めの朝食を取ることに決めたレイシアは、軽く寝台を整えてから、寝室から自分の部屋へと移動した。
*******************************************************************
(さて、どうする? レイシア・エルメルト)
昨日と同じく、動きやすいエプロンワンピースに着替え、少し迷いはしたが、ヘッドピースもつけ、準備万端整ったところで部屋を出た。
厨房までの廊下を、窓から外の景色を見つつ歩いていれば。中庭で一心不乱に剣を振るイアンの姿を見つけた。
騎士も朝から大変ねと思いつつ、そのまま厨房に入る。
ごく自然に貯蔵庫を覗けば、昨日菜園で採った野菜と街で買った肉や玉子がそのまま入っていた。
もう一度言う。そのまま入っていた。
レイシアの記憶にある限り、材料はひとつも減っていなかった、のだ。
(つまり。昨夜帰ってきてから、イアンも何も食べていない、ということよね)
で、レイシアはほとほと困り果てていた。
(当然、イアンもお腹が減っているはずよね。今も剣で鍛錬していたみたいだし。絶対にお腹は空いているはずよね?)
混乱と緊急事態のために、語尾が全部同じになってしまう。
(自分のぶんだけ作る、っていう選択肢はない。まずない。ありえない。人として終わってる)
そこは普通にレイシアだって理解している。
ただ、そこには重大な課題が残っていた。
(さて、どうする? レイシア・エルメルト)
脳内で、自分に問いかけてみる。この短時間で二度目だ。
(料理なんてしたことない。困った。非常に困った)
お手上げです、と声高々に宣言して、両手をあげたい衝動をぐっと堪える。
いまはそんなことをしている場合ではない。
(私一人なら、買ってきたパンと牛乳で適当に済ましちゃうんだけど)
あれだけ材料があるのに、いくらなんでもその朝食は乏しすぎる。
とてもじゃないが、イアンにそのような質素な食事を出すわけにはいかない。
うんうんと唸っても、光明は一向に差す気配はなく。
時間だけが淡々と過ぎ去っていく中、親友のあの一言を思い出したのは、ほぼ奇跡と言っていいかもしれない。
(これって、あれじゃない? のっぴきならない事態ってやつじゃない?)
なんせ、女としての沽券にかかわる重大問題だ。
思い立ったが、レイシアの口が動くのは早かった。
「ヴィオラ!」
「ヴィオラにお任せあれ!」
姿はまったく見えないのに、どこからともなく聞こえた彼女の声に、自分で呼んでおきながら、レイシアはびくりと肩を震わせた。
と同時に、頭上から何かがばさり、とレイシアの足元に落下した。
「え?」
すぐに上を見るも、そこにはただ天井があるだけで、何者の気配もしない。
次いで、足元に落ちてきた一冊の本を拾い、表紙を見てみる。
(ヴィオラ、恐ろしい子)
題字には〝小さな子でも安心! ひとりでできるもん! はじめてクッキング〟の文字がでかでかと印字されていた。
あの姉弟に馬鹿にされているようにしか思えないが。ここは水に流しておく。
何も言っていないのに、自分の心情を手に取るように察してくれたヴィオラに、むしろ感謝すべきだろう。
ぱらぱらとページをめくれば、ページごとに一言一言丁寧に書きこみがあった。
まさかのミリィ直筆アドバイス付きだ。
「よしっ! やるわよ!」
ワンピースの長い袖を、きゅっとたくしあげて。
それからは本を手本に、レイシアは初めての料理に没頭した。




