第一章 ①/王女レイシアの日常
「へっくしょん」
何の前触れもなく、突然出たくしゃみにレイシアの手がぴたりと止まる。
同時に、ぞわぞわとした変な感覚が背中を襲った。
(あ。嫌な感じがする)
「あらまあ。王女殿下、お風邪でしょうか? 侍医をお呼びになられますか?」
「ううん、大丈夫。なんだか嫌な予感がしただけよ。気にしないで」
侍女の優しい声かけもさらりと流して。
芳しい花の香りをまといつつ、麗らかな春のそよ風が窓から部屋に入ってくるのを肌身に感じながら、再びレイシアは書面に目を戻した。
(気のせい。気のせい。早くやっちゃおう)
王宮の奥の奥のそのまた奥に設えられた王女の執務室は、簡素、の一言に尽きる。
蔓草模様の絨毯が敷かれ、家具は温かみのある茶色で統一。
大きな作業机と椅子、あとは部屋の隅に設置されたティーテーブルとソファセットのみ。
必要最低限のものしか置かれていないそこは、派手さこそないが、落ち着いて書類を捌くのに、うってつけの場所だ。
作業机の上には、今日も今日とて、ところ狭しと書類の山が積み上げられている。
その膨大な書類に目を通すのが、王女であるレイシアの日課だ。
「でも。王女殿下は少し頑張りすぎですわ。たまには息抜きをなさってはいかがです?」
同じく書類整理の補佐をしてくれている侍女の提案に、レイシアは読みかけだった書面から顔をあげる。
「ミリィ、今の私にできることはこれぐらいなんだから、ちゃんとやりたいって思うの。許して?」
やんわりと首を傾げたレイシアの顔を、侍女のミリィがうっとりとした顔で見つめた。
混じりけのない見事な金髪に、どこまでも澄み渡った青空色の瞳。
美しい白皙の肌の前には、どんな綺麗な宝石をも霞んでしまうと評される。
細く、それでいて柔らかな肢体を包みこむのは、高級な絹布を惜しげもなく使用し、誂えられた春らしい桃色のドレス。
頭にはヘッドピースをつけ、繊細なレースが軽く目元を覆っている。
「はあ。今日もため息が出るほどに、お美しいですわ。王女殿下。私が男だったらと何度思ったことでしょう。……あ。でも私、女性の方もいけますの」
「ありがとうミリィ。嬉しいけど、最後の方に何かが漏れていたわよ?」
「あらまあ嫌ですわ。私ったら。ふふふ。今お茶をお淹れいたしますから。ほんの少しだけでも休憩なさって下さいまし」
「そうね。朝からずっとだったし、お願いできるかしら?」
「はあい。しばらくお待ちくださいませ」
ミリィが亜麻色の髪を揺らし、嬉しそうにお茶の準備をする背中を微笑ましく見つめるのもほどほどに。
手元にある書類だけでもやってしまおうと、レイシアはまた視線を落とした。