第三章 ③/逃れられない瞳の力
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少女の背を見送り、元いたベンチへと戻る道すがら。
レイシアは玉子屋の女主人が言っていたことと、さきほど少女が追われていたこと。
さらにフォルキアの人間が出入りしていることについて、考えを巡らせていた。
(トーリアであんなことが起こるだなんて。少し前なら考えられないことだったわ)
結局、男たちの目的は不明だが。
年若い少女を追いかけ回すなど、あってはならない。
人攫い、身代金要求、果ては――考えるだけで腹立たしい。
(この街で、いったい何が起きているの?)
こつこつとレイシアの足音だけが裏の路地に響く。
何の情報もないため、推測することもできない。
(イアンが戻ってきたら、話を聞いて……)
そこで、もう一人のことを思い出す。
走り回っているうちにすっかり忘れていた。
「あ。イアン! あの子、大丈夫かしら?」
「ほう、上玉じゃねぇか」
レイシアの独り言と、聞き覚えのない男の声がかぶった。
咄嗟に、レイシアは声の聞こえた方角、自分の後ろを振り返る。
(さっきの。女の子を追いかけていた連中!)
笑い声と同じく、下衆い笑顔を浮かべた男たちが、じりじりとレイシアに迫ってきていた。
標的は変われど、しつこくもまだ諦めていなかったらしい。
すばやく身を翻し、走ろうと前を向いたレイシアは、目の前の光景に足が一歩も動かなくなった。
(まずい)
生命の危機的状況に、気のきいた感想など浮かぶはずもなく。
狭い路地裏で前後をはさまれたレイシアは、文字通り、前にも後ろにも逃げ道を塞がれた。
なおも距離を詰めてくる男たちに対し、脇にあったさらに狭い道に身体を滑りこませるが。罠だったらしい。あいにく先は行き止まりだった。
背中を壁、前に大勢の男たちを前に、レイシアは下唇を噛む。
四方を囲まれてしまった状態で、さすがのレイシアも身体が震えてくる。
――だめ。わたしにちかづいては。
頭の片隅で、警鐘がうるさく鳴る。
自分自身に対してではない。
目の前にいる男たちに対してだ。
「一人、手頃な女を逃しちまったが。こっちもいいじゃねぇか」
「震えてんのか? 大丈夫だ。ちょっと俺らの相手をしてくれれば、殺しはしねぇぜ? 安心しな、お譲ちゃん」
「朝まで意識が残ってるかどうかは、別の話だがなあ!」
下品な笑い声と言葉が、狭い通路に響く。
それに呼応するように、レイシアの身体はだんだんと熱を帯びていった。
――だめ。こっちにきてはだめ。
過去の自分の声が、頭の中で痛いくらいに訴えかけてくる。
その理由は、誰よりも自分自身が一番よく知っている。
そんなレイシアの胸の内をよそに、一歩、また一歩と、男たちが距離を縮めてくる。
――だめ。わたしのめをみてしまったら……
国内、周辺諸国のいたるところまで広がってしまった噂は、もちろん全てが本当のことではない。
エルメルトの王女の目に見据えられたら最後。
石になってしまうだとか、失明してしまうだとか、記憶を失ってしまうだとか。
そのどれも、事実ではない。
ただ、数ある噂の中でたった一つだけ。真実のものが含まれていた。
それは。
「は、離れなさいっ! 私から! 今すぐに!」
帽子のつばを持って、さらに深くかぶり直した。
決して、瞳を見られることのないよう。
にもかかわらず、男たちはレイシアに近づく歩みを止めようともしない。
「そんなに深く帽子をかぶっていないで、かわいらしいお譲ちゃんのお顔を俺たちに拝ませてくれよ、なあ?」
数歩の距離で向かい合った男が、レイシアの帽子に手をかける。
「離しなさい!」
必死に叫んで抵抗し、手を払いのけるも、男たちにすぐさまレイシアは両手の自由を奪われてしまう。
両腕を抑えつけられてもなお、俯くばかりで顔を上げようとしないレイシアに、男たちが舌打ちをした。
そのうちの一人の男が、再びレイシアの帽子に手をかける。
その感触に、レイシアの心臓が、どくん、と大きく鼓動を打った。
「だめっ!」
難なく帽子は払いのけられ、地面にぱさりと落とされる。
そのまま、男がレイシアの顎を掴み、上へと無理やり向かせ、瞳を見た。
刹那。
「うっ、うわああああああ!」
けたたましい叫び声と同時に、男がレイシアから飛びのき、地面でのたうちまわる。
激しい息遣いに、断末魔の叫び声、狂うように頭を掻き毟る男の姿に、レイシアは声を失った。
他の男たちは何が起こったのか分からず、同様にレイシアの方を見た。
すると。
「うぎゃあああああ!」
「ぐわああああああ!」
レイシアの瞳を見た男たちが、次々と狭い路地裏に倒れていく。
(また、なの。私は、また同じことをしてしまったの)
人を苦しめてしまった絶望と、自分がどうしてこんな力を持っているのか分からない恐怖に。
皆が恐れる空色の瞳から、幾重にも涙が流れ落ちる。
足腰から力が抜け、そのままその場所にへたりこんでしまった。
「ば、化け物だ。化け物がいるぞ」
「おい、行こうぜ。気持ち悪い」
被害を免れた男たちから、次々に浴びせられる容赦ない言葉も、もうレイシアには届かなかった。
ただただ、息が苦しくて、涙を流し、俯くことしかできない。
「おい、やめておけ。呪われるぞ」
だから、気がつかなかった。
肩で激しく息をしている男が一人、大きな斧を持って、レイシアに振りかざそうとしているのを。
「化け物が! 死ねえええええ!」
放心状態だったレイシアは、それが自分に向けられた言葉だと一拍遅れて気がついた。
それでも、顔をあげることができなかった。
(私、死ぬの? こんな、暗い、誰もいない場所で?)
また一筋、涙が頬を伝って、スカートに落ちた。
涙が布に滲むのを見届けてから、レイシアはそっと目を閉じる。
死を、覚悟して。