第二章 ⑥/付き添いたちの懸念
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「ミリィ、少し落ち着きなさいな。そのように忙しなく、働くことなど何もないでしょうに」
ヴィオラがたしなめるも、ミリィは未だに落ち着く様子はない。
護衛という点を除き。ミリィは基本的に侍女なので、彼女の主人であるレイシア様がいなくなれば、必然的にすることはなくなる。
なのに、この別棟に来てからというもの。
王宮にいる時以上に忙しなく働いている。
今も、まだ着て一時間と経たない汚れ一つないエプロンを洗おうと、水の張った盥にぶち込もうとしているのを見て、さすがに止めた。
「それは水の無駄遣いですわ、ミリィ。いい加減聞きわけなさいな」
「う。しかし、ヴィオラさまぁ」
「情けなく語尾を伸ばさない。ほら、こちらに座ってお茶でも飲みなさい」
空いている自分の隣の席に座るよううながせば、しぶしぶ彼女は腰をおろした。
手ずからお茶を淹れてやり、ミリィが落ち着くのを待つ。
「いつもは若年寄か、いえ。……ん? とにかく! 落ち着いているのに。珍しいわね」
「察するに、ヴィオラさまと比べると、大抵の人間は〝落ち着いている〟部類に入ると思いますので、ここでの発言は控えさせていただきます」
「言うわね」
それで、ミリィが落ち着きを取り戻したと判断したヴィオラは、静かに息を吐いた。
「まあ、落ち着かない気持ちも分からなくもないわ。レイシア様は極度の人間不信でいらっしゃるし。特に若い男性に関しては」
まったく情けない男どもよ、とヴィオラは胸中で毒づく。
「さっきのお二人を見た感じでは、そこまで雰囲気は悪くないように思いましたけれど。やっぱり心配ですわ。……覗いてきましょうか」
がたりと椅子から立ち上がったミリィを、ヴィオラが腕を掴んで座り直させる。
とんだ暴走女だわ、と自分のことは丸々棚に投げて、彼女をそう評価した。
「落ち着きなさいと言ったでしょう。まだレイシア様と別れてから一時間ほど。覗きに行くのは時期尚早ですわ」
「だってぇ」
唇をとがらせつつ、ミリィは眉尻を下げた。
「イアンさまを疑っているわけではありません。ただ、何と言いますか……」
「分かっているわ」
ヴィオラにももちろん、ミリィの言いたいことがわかる。
ずっと彼女のことはそばで見てきた。あの日以来もずっと。
それと同じく、弟であるイアンのことも、姉弟ながら理解しているつもりだ。
でもほんの少しだけだが、ここ最近の弟に違和感を覚える。
無理をしているような。なにか普段の彼とは違う、わずかなズレ。
(もしかして、あの子も?)
「――ラさま? ヴィオラさま?」
ミリィに呼びかけられて、現実に意識を戻す。
目の前でレイシア様のことを心底心配しているミリィにも、伝えるべきだろうかと悩んだが。ここは黙っておくことにした。
「何もないわ。あとで私が覗いてきてあげるから。あなたは久しぶりにのんびりお過ごしなさいな」
カップに唇をつけつつ、「私も行きますぅ」とまた語尾が伸びきっているミリィをなだめ、幾時かの穏やかな時間を過ごした。
それも、部屋の扉を数度叩くノック音にて中断される。
ミリィが「どちらさま?」と問えば、扉の外から「ロイ・リールです」との返答がある。
聞くなり、ミリィが扉に駆け寄り、ロイを招き入れた。
「ご令嬢方のお茶会を邪魔するなど、とんだ失礼を。お許しください」
「お構いなく。それより赤公閣下、警備の方はどうなりまして?」
「ぬかりなく。城の周囲には等間隔で騎士を配置しております。城内こそ護衛は一人もいませんが、不審者は中に入ることすらできませんでしょう。二人が城の外に出ても、四方八方から変装した騎士が見守る予定です」
「ご苦労さまです。さあさ、赤公閣下も、お茶をお淹れいたしましたので」
どうぞ、と向かいの空いている席にミリィがロイを案内する。
彼もミリィの笑顔の前に断わるのは気がひけたようで、一礼してから腰をおろした。
「うまくいっていますかね。あの二人は」
やはり、気になる話題は皆そこらしい。
ただ彼の場合は、少し違うことが気になっていたらしいことがこのあと知れる。
「六十歳以上が恋愛対象と豪語されていた王女殿下に、また思いきった相手をぶつけてみたものです。どうなることやら」
その発言を聞き、ヴィオラとミリィの動きが止まったことに、「あれ、俺何か不躾なことを?」とロイが不思議そうに訊ねてきた。
(そうね。そこまでの理由は普通知らないか)
緘口令を布いたにもかかわらず、噂はどこからか漏れだして。さらには根も葉もない嘘まで引っ提げて、広がってしまった。
そんなレイシア様の力を忌み嫌ったためか、大国の姫でありながら、結婚適齢期になっても、婚姻の申し込みは終ぞ届かなかった。
国外はおろか、国内からも、一つも。
「たいした意味はありませんの。ただレイシア様が、……塞ぎこんでいらっしゃる時に、とても親切にしてくださったのが、初老の方たちだった、というだけですわ」
「え?」
本当に偶然だった。
王宮内で、たまたま出会った初老の方たちは、レイシア様のことを穏やかな目で真っ直ぐに見つめて。なんてことはない、普通の話をしてくれただけだ。
ただそれが、レイシア様にとって、どれほど嬉しいことだったかは想像に難くない。
他人に目を逸らされ、話しかければ避けられ、笑いかければ逃げ出される。
それが、まだ幼かった彼女に、いったいどれだけの傷を与えただろうか。
(もしあの時、彼らに出会うことがなかったら。想像しただけで恐ろしいわ)
それ以来だ。レイシア様が頑なに「六十歳以上限定」と言い始めたのは。
まるですべての闇を、自身の殻で塞いでしまうように。
「レイシア様が、卑屈にならず、真っ直ぐに育ってくださったのは、彼らのお陰ですの」
無表情に語るヴィオラに、ミリィとロイは押し黙った。
そんな二人の様子を見て、はっと我に返ったヴィオラは目を見開く。
「まあ、何が言いたいのかと言いますと? 意外と惚れっぽいところがあるんですのよ! レイシア様はっ!」
ここぞとばかりに、ヴィオラは声を張り上げた。
「そりゃあもう! 惚れっぽいのなんの! 部屋の隅に置けないぐらいには、惚れっぽいお方ですわ!」
「そうなんですのよ。王女殿下ったら。この前だって、『素敵な方を見つけたの』といえば、彼の家に突撃をしかけようとするんですもの」
「ちなみにお相手は、六十七歳の現役王宮庭師! 節くれ立った指がなんとも色っぽい御仁でしたわ」
「突撃はお止めになってくださいと申しましたら、今度は『じゃあ私のお部屋ならいいの?』などと無邪気に笑顔で純粋に言うものだから。さすがの私も、王女殿下相手に拳を振り上げそうになりましたわ」
などと、レイシア様の話を長々とロイに話せば、彼は笑顔で聞いている。
ただその顔には「やべえ。来るとこ間違えた」としっかり感想が刻まれていた。
そうなれば俄然燃えるのが、レイシア様大好き侍女ミリィで。
弾丸マシンガントークは、ロイが「参った」と手を挙げるまで、永遠と続いた。