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恋よ、はじめまして。  作者: 夏平涼
第一部
11/54

第二章 ⑤/寝室は同じ部屋!?


*************************************************************


 誰もいない廊下を二人だけで歩く。


 使用人はいないながらも、城の内部は王宮と同じように清潔に保たれている。

 棚には埃一つないし、窓にも汚れ一つなく、磨きあげられている。


 ところどころに、絵画や季節の花を生けた花瓶などが飾られていて、長い廊下を歩くのにも退屈しない。

 レイシアたちが到着する前に、かなり大規模に場を誂えてくれたのだろう。


 そう思うと少し心苦しい。でも前を行くイアンと二人きりというのは、少しつらいものがある。

 そんなレイシアの思いが届くはずもなく、二人は一つの部屋の前に到着した。

 同じ廊下のもう少し先にも、似たような扉がひとつある。


「ここが王女殿下のお部屋になります。向こうは俺の部屋です。ちなみに間に寝室をはさんで、中で繋がっています」

「はい?」


 一瞬、耳が悪くなったのかと思ったレイシアは訊き直したが。

 もう一度訊いても、イアンの口から出てきた言葉は一緒だった。


「嘘でしょう」


 本日二度目の度肝を抜かれたところで、レイシアが軽く抗議の声をあげたのも無視し、イアンはとっとと部屋の扉を開けて、中に入る。


「ちょっと! 本当に⁉」

「何かご不満でも?」

「不満に決まっているでしょう! どうして続き部屋で、し、寝室が真ん中に……」


 最後の方は蚊の鳴くような声になってしまったが。

レイシアの言わんとしたことは、イアンに正確に伝わったらしい。


「勘違いをなさらないでください。城内には使用人はおろか、護衛の兵士一人すらおりません。夜間の、人間が一番無防備なときに、万が一のことがあれば大事ですので。騎士の私が側役を務めるだけです」


 何一つ表情を変えずに、事務的に説明される。


(う)


 自分の考えすぎだったことが恥ずかしい。何より、それがイアンに伝わってしまった。

 二重の衝撃は思いのほか早く、レイシアの頬を赤く染めはじめる。

 それを気づかせてなるものかと、なけなしの平静さを取り繕ってみせた。


「そう。それなら仕方がないわね」


 顔を見られないように、近場にあった衣装棚の扉を開け、中を確認するふりをして、その場をしのぐ。


(顔まで見られていないわよね? 大丈夫よね? よかった……)


 ほっと一安心したのもつかの間。


 何を思ったのか。イアンがレイシアの後ろに近づいてきた。

 気配でそのことを察知したレイシアの心臓は、また早鐘のように忙しなく動き出す。


(どうしてこっちにくるの⁉)


 いま来られると非常にまずい。

 きっと顔が真っ赤だ。目元を覆うレースですら隠せないだろう。


 そんなことを考えているうちに、イアンの足音がぽたりと止まる。

 そのまま、後ろから彼の長い腕が伸びてきて、とん、と衣装棚の扉が閉められた。

 必然的に、衣装棚とイアンの間にはさまれるという状況ができあがる。

 もはや、背中越しでも伝わる彼の近さに、レイシアは完全に身動きが取れなくなってしまった。


「やっと、二人きりになれましたね」


(な、な、な、な。なんでしゅって⁉)


 噛んだ。焦りすぎて、口に出してもいないのに、噛んだ。


「王女殿下が俺をご所望とあれば。いつでもお相手を。夜は長いですからね」


 背を向けているレイシアに、イアンの表情などうかがえるわけもなく。

 妙に艶っぽい声音に、ただでさえ忙しなかった心臓の鼓動が、跳ねあがる。

 鼓動に呼応するようにして、レイシアの細い肩もぴくりと跳ねあがった。


 すると、なぜか背中側から笑い声が漏れ聞こえてくる。


(なに?)


 レイシアが声に出して問う間もなく、イアンがくすくすと笑い始めた。


「耳、赤いですよ」


 そのからかい交じりの声音に、レイシアは勢いよく振り返った。

 振り返った結果、想像していたよりももっと近くにイアンの顔があったけれど。

 たじろいでいる場合ではなかった。


「ねえ。まさかとは思うけど。――それも、計画の一部なの?」

「顔まで真っ赤なんですね」

「笑ってないで! 答えなさい!」

「――だと、言ったら?」

「いますぐ部屋から出ていきなさい! このドスケベ不埒野郎がーー!」


 力の限り叫び、力いっぱいイアンの胸を押せば、彼はすんなりと身体を引いた。

 さっきまでの笑顔はどこへやら。また元の真面目な顔つきに戻っている。


「失礼ですね。俺はいたって健康的な十七の男ですが」

「まだ言うか!」

「まあいいです。とにかくその動きにくそうな服から着替えてください。トランクケースに、手頃な服が入っているはずですから」


 トランクケースを指差しながら、イアンが説明する。

 まだ心臓の鼓動は完全にはおさまっていないが。すっかり元の調子を戻した彼に、話を合わせる。


「着替えて、どうするの?」

「いろいろ、ですね。何からがよろしいですか?」


 目元に笑みを浮かべ、またイアンの声音が変わる。

 含みを持たせた言い方が気に触った。今度は騙されまいと、レイシアは目つきも悪くイアンを睨む。

 そんな精一杯の牽制も、彼は特に気にした様子はなく、軽く肩をすくめてみせただけだった。


「冗談です。だいぶ過ぎてしまいましたが、お昼にしましょう。一つ下の階に厨房があります。厨房でそのようなてろてろぴらぴらの服を着られていては、気が気ではありませんから」


 着替え終わったら降りてきてくださいと言い残し、イアンは部屋をあとにした。


(なんなの、本当になんなの……! 信じられない!)


 イアンが去ったあと、一国の王女らしくもなく、手当たり次第にクッションをぽすぽすと殴り、ストレスを発散させる。


 それでも、この行き場のない持て余した感情はおさまりそうにない。

 例えるなら、楽しいんだけど完全に遊ばれている、猫じゃらしで戯れる猫みたいな。


(楽しい? いや、楽しいじゃないな。そんな楽観的な感情じゃなくて。もっと、こう)


「ギスギスネチネチした感じの、愉しい? 嗜虐? みたいな?」


 それはもはや楽しいではない、と正しく訂正してくれる人間はあいにくこの部屋にはいない。


(でも、ミリィの言うとおり。確かに、奇特な存在ではあるのよね)


 こんな風に、年若い男の人と話した経験がレイシアにはない。

 というよりか、忌み嫌われていると言った方が正しいかもしれない。

 ヴィオラとミリィ以外、好き好んでレイシアと話がしたいなどと思う他人は、国内、果ては国外に至るまでも皆無に等しいだろうから。


(まあ、仕方ないか。イアンにとっては命がけの勅命らしいし)


 ある意味、二重の意味で。などと、重苦しい冗談が浮かんでしまったのを、頭を振って思考から追い出す。


「あまり深く関わらない方がいい、わよね」


 お見合い合宿に彼を巻きこんでしまったのは自分だし。

 何かを変えたいと、王宮から出てきたのも自分の意志だけれど。


 一線は画さないといけない。


 色恋うんぬんの、そんな柔らかな甘い感情ではなくて、もっと別の。そこまで彼に心を開いてはいけない、とレイシアの中で警鐘が鳴る。

 まだイアンは十七で、虹騎士の藍公で、おまけに公爵家の長男で。

 レイシアには少し、眩しすぎる存在だから。

 遊ばれているぐらいの関係がむしろ好都合かもしれない。


 そこまで考えてから、レイシアは肩の力を抜いた。知らぬ間に、かなり肩に力が入ってしまっていたらしい。


(あー。やめやめ。暗い話は忘れよう)


 暗い思考の淵に沈みそうになったのを、自力で意識を取り戻してくる。

 ひとつ、肺一杯に深呼吸すれば、憂鬱な感情が浄化された、そんな気がした。


「お腹すいた。早く着替えないと」


 腹が減ったことを自覚すれば、急に腹の虫がぎゅるるるる、と賑やかに騒ぎ出す。


 イアンが運んでくれたトランクケースの錠をパチンとはずし、ふたを開ける。

 普段自分の着ているような素材の服ではないことは、開けて見た瞬間からわかっていたが。手にとって、服をひろげれば、レイシアの目が点になる。


「これって……」


 目にしたのは、飾り気の少ない質素な木綿のエプロンワンピース。それが数種類と、それに合わせたヘッドピース、およびつばの広い帽子が数点。

 市井の街娘が着るような服を見て、レイシアは感動した。


「素敵!」


 すぐさま着ているドレスを脱ぎすてて、着替えてみる。

 はじめて着たとは思えないほど、レイシアの身体に馴染み、サイズも寸分狂いなくぴったりだった。

 前々から着たいと思っていた、などと王女である自分が言えば、街娘たちなんかからは白い目で見られてしまうかもしれないけれど。

 本当に心の底からレイシアは感動していた。

 軽く、動きやすく、汚れてもすぐ洗える。値段は安い。書類整理にもってこいの洋服。


(外に出ないから、ドレスなんて着る必要ない。侍女のお仕着せを貸して、って言った時のミリィの顔、すごかったなあ)


 人間そんなに目が開くんだと、素直に感心してしまったことを思い出す。


 すっかり気にいって鏡の前でくるくると回り、スカートの裾が揺れるのを見て楽しんでいたレイシアは、お腹の鳴る音で自分が着替えた理由を思い出した。


「そっか。厨房に行かなきゃいけないんだっけ」


 イアンが部屋から出ていってから、だいぶ時間が経つ。

 これ以上待たせてしまっては申し訳ないなと、慌てて服と揃いのヘッドピースを頭にかぶり、レイシアは部屋を出て厨房に向かった。


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