天啓の仔 其の六
帝都を囲む堅牢な城郭は、四方に大門を構えており、各々に四神を冠した名前が付けられている。皇宮を中央に配した帝都の都市設計は、規律正しく行われており、皇宮から四神門へと伸びる大路に並行し、網の目のように家屋や露店が建ち並んでいる。
東の空がうっすら白み始めた頃、亜朱羅達は北大路を玄武門へと向かっていた。
随行するのは六人。見送りに来た導伽以外は皆、元老院付きの近衛侍士で、いずれも腕に覚えのある、侍士団の中でも指折りの実力者ばかりである。
そして、その中には武靁の姿もあった。武靁は、侍士団の中ではまだ年少で、亜朱羅よりも三つ程年上なだけである。普段はへらへらとしたお調子者なのだが、その腕は確かで、実戦経験の浅さや、粗忽な性格を差し引いても、同行を許されるだけの器量を持ち合わせていた。無論、本人が護衛の任務を強く申し出たことで、付いて行ける運びとなったのだが、そんなことは亜朱羅は知る由もない。武靁の方では、昔から亜朱羅を密かに想っていたのだが、亜朱羅にとっては、幼い頃から知る頼りない兄のような存在でしかなかったのだった。
目覚めを待つ仄暗い街は、昼間なら行き交う人々の喧騒で、大変な賑わいを見せるのだが、今は、聞こえてくるのは、一行の衣擦れと、石畳を弾く蹄鉄の音だけである。時折、開店の準備に勤しむ商人の姿が見える程度で、往来には殆ど人の姿は無い。夏とはいえ、未だ明けぬ為、僅かに肌寒い。風に乗ってやって来る朝餉の微かな煙が鼻腔を擽っていく。
亜朱羅達は、各々馬に跨っており、北東の霊峰不二への行程は、馬上の旅になる予定であった。
四半刻ほど歩き、玄武門がいよいよ見えてくると、既に怪士面の男が到着しており、馬の鞍擦れを直している所だと視認出来た。
近づくと、暗がりの中に、もう一頭、馬がいることに気付く。更に近づくと、騎乗者が、「遅い。」だの「いつ迄待たせる気?」だのと不平を口にするのが聞こえてくる。乗っているのは、瓜二つの顔をした双子の少女であった。然も、亜朱羅よりも更に若く、最早子供と言っていい外見である。神代の巫女装束を身に纏い、一目で幽楽と縁のある者だと分かった。
「あなた達、やる気あるの?」
手綱を握った少女の方が、呆れたような口ぶりで話しかけてきた。
「他人の協力を得ようと云うのに遅れてくるなんて、いい度胸してるじゃない?」
後ろの少女が、批難するような口ぶりで追い討ちをかける。
いきなり批難囂々な双子を諌めるように、武靁が話しかけた。
「あー、それは悪かったね。で、お嬢さん達はどちら様なのかな?」
すると、双子は異口同音に、「はぁ?あなた馬鹿?」と蔑む。
「あなた、人に素性を尋ねるには、先ず自分が名乗るのが筋ってもんでしょ?」
「何で上から目線なの?信じられないわ。ひょっとして、あたし達が子供だからって舐めてんの?」
双子の口撃に「ぐぬぬ。」と呻く武靁。
やれやれという表情の導伽。亜朱羅は、隅の方で我関せずと、じっと怪士を観察している。
堪らず、先輩の近衛侍士緋瑛が割って入った。
「これは失礼。部下が不躾な態度で済まなかった。私は、近衛侍士団の一番頭緋瑛と申す者。この者が武靁、後ろの三人が涯、竜韋、嵐臥だ。そして、こちらが──。」
「知ってるわ。この方は元老導伽様、そしてあっちに居られるのが亜朱羅様ね。」
前の少女が言葉を遮る。
「導伽様、ご機嫌麗しゅう。馬上からにて御免遊ばせ。」
「ウム。」と答える導伽。どうやら既知の者であったらしい。
緋瑛が会話を続けた。
「成る程、導伽様はお二人をご存知でしたか。して、お二人は最長老様の所縁の者とお見受けするが。」
馬上の双子は、値踏みをするように緋瑛を眺める。
「そちらのお兄さんは、そこのうつけ猿と違って話が分かりそうで良かったわ。そうよ察しの通り、──あたし達は、幽楽様の弟子。今日は、不二の摩尼洞への案内を仰せつかってきたの。あたしは聖妙。そして後ろが妹の──。」
「神妙よ。宜しくね。」
武靁が、小馬鹿にしたような素振りを見せる。
「へぇ、君達が案内?お嬢さん方は、この旅を物見遊山と勘違いしてるんじゃないのかい?危険な旅になることが分かっているのかな?」
聖妙と神妙は、互いに顔を見合わせて笑い声を上げると、聖妙は見下したような目付きで、「人を見た目で判断すると後悔するわよ──。そもそもあなたは、どうやって摩尼洞まで行くつもりなの?真逆、不二まで行けば、如何にかなるなんて思ってないでしょうね。麓は不帰の森と呼ばれる難所だって分かってるのかしら。」と言った。
神妙が嘲るような口ぶりで続ける。
「あなた達だけでは、森を抜けることすら無理だわ。あそこは、あたし達のような九耀道に明るい者が居ないと、ね?──幽楽様があたし達を寄越したってことは、あたし達にはそれだけの能力があるってことなの。お分かりかしら?」
武靁は口を窄めて、緋瑛に尋ねた。
「緋瑛さん、不帰の森……って知ってましたか?」
「……あぁ。」
緋瑛は淡々と答える。
武靁は周囲を見回し、どうやら知らないのは自分だけであったと理解すると、ばつが悪そうにすごすごと列の最後尾へと下がった。
聖妙は「フンッ。」と鼻を鳴らすと、踵で扶助を送り馬を動かした。
そして、ゆっくりと亜朱羅の方へと向かう。馬を歩かせながら、侍士たちの前で、神妙が武靁に聞こえるように「バーカ。」と言った。
亜朱羅は、相変わらず怪士を見ている。しばらく観察していて分かったことは、怪士という男が、馬の扱いに熟れているということである。鞍の位置や食み受け、鐙の掛かり具合、蹄鉄の状態まで入念に調べ、自分に合わせて微調整していた。全てが終わると、馬を撫で、意思の疎通を図っている。あいも変わらず、こちらには歩み寄ることのない能面男の人と成りが少し分かったような気になった。
そんな様子の亜朱羅に聖妙が話しかけた。
「あなたがお姫様ね。あたし達は幽楽様の直弟子になる聖妙と神妙。摩尼洞までの道程を案内するよう仰せつかってきたの。宜しくね。」
近づいてきた、双子に亜朱羅は話しかけられた。
先程から、大人たちを相手に一歩も引かない双子を遠巻きに確認してはいたが、正直、水先案内人として機能するのか疑わしくなる程の若さである。無論、亜朱羅自信も若く、彼女らより三つ四つ年長なだけだろうが、亜朱羅は幼い頃から剣や格闘技術を修練してきた下地がある。実際、護衛で付いてくる近衛侍士と比較しても、遜色ない実力があり、それが亜朱羅の自信になっていた。
──矢張り、あの幽楽様が意味もなく寄越すことはないか……。
──九耀道……。昨日見た不思議な術のことか?
「ええ、こちらこそ宜しく。貴女方は、九耀道?を修めているのですか?」
神妙が誇らしそうな表情で答えた。
「そうよ。あたしたちは、幽楽様から直接九耀道を学ぶ、優秀な弟子なの。九曜の道を修めるのに、年齢や性別は関係ないわ。森羅万象の言葉を理解する才覚があるかないか……。これは、教えて分かるものではなく、生まれ持っての感性があるかどうかだから。」
「なる程。昨日、幽楽様が呪符を鳶に変えるのを見ましたが、あれも九耀道の術なのですか?」
「識神ね。ええ、そうよ、あれも九耀の術。でも、あれは結構高位の術なのよ。あたし達が使用すれば、羽虫を使役する程度だけど、幽楽様なら禽獣は疎か、幽世の住人まで使役することが可能だわ。」
「識神は呪符に、真言、大気の曜気、術者の体内の曜気で刺激を与え、術者の想像するものを形にしたもの。術者の曜気や想像力の大きさに比例して、より強く、より複雑な識神を使役出来るってことね。術者と識神は照応関係にあり、識神が見たものや聞いたことを術者は感じることが出来るのよ。」
「識神は術者が術を解くか、識神そのもの、或いは術者自身に危害を加えられない限り、永久に動き続ける最高の下僕ってとこかしら。」
九耀道に識神、そして、魔に伐折羅──。
亜朱羅はこの世界には、自分の知らない世界の拡がりがあることを昨日から実感させられ、何かしら言いようのない気持ちに苛まれていた。それは、一種の不安感のようなものである。自分が今まで見てきたのは、この世界の一部分にしか過ぎず、余りにも自分は矮小であると思い知らされている。旅立ちを前にした亜朱羅の心の内は、高揚感よりは、寧ろそのような感情の方が大きかったのだった。
緋瑛が、亜朱羅達に近づいて声を掛けてきた。
「皆さん、準備は宜しいか?そろそろ門が開きますぞ。」
その声に促され、亜朱羅は視線を門の方へと送った。
閂を外された玄武門が鈍い音を立て開いていく。物見櫓では衛士が法螺貝を吹き鳴らし、これを切っ掛けに、残り三箇所の門でも、順次に厳かな音色を響かせる手筈である。開門と帝都に朝の到来を告げる、明け六つの合図であった。開かれた門の外には、跳ね橋が軋んだ音を立てて、ゆっくりと下りていくのが見えた。
亜朱羅が身を翻すと、そこには既に、五人の侍士達が居並び、その背後には双子と怪士も準備を整えていた。
傍らの導伽が、侍士達に発破をかけている。
「お主達、くれぐれも油断なきよう頼むぞ。姫を無事に帰すことがお主らの使命であることを努々忘れるな。」
「はっ。」という掛声と共に、馬上にて敬礼をする近衛侍士達。
導伽は、亜朱羅の方を向くと、「最早、此の期に及んであれこれと言いますまい。ただ、爺は姫のことを何時でも信じております。必ずや難儀をやり遂げてみせると。」と言った。
亜朱羅は、導伽の目を見据えたまま頷き、唯一言、「ええ、必ず戻るから。」とだけ言うと、再び門の方へと向き直る。
そして、「いざ、霊峰不二へ。」と力強く宣言すると、門の外へと駆け出したのであった。