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天啓の仔 其の四

 高御座を前に、実の父と娘が睨み合う──その異様な光景を前に、誰もが皆声を発せずにいた。呼気の音さえ聞こえてくるような緊張感の中、突如──パーンと、拍子木を打つような乾いた柏手の音が。

 その場にいた者全ての視線が集まる。玉座の間に入って来た闖入者に、亜朱羅は見覚えがあった。

 神代幽楽(カミシロノユラ)。元老院の最長老にして、神職神代を執り仕切る皇国の最重要人物の一人である。神代とは皇国の神事を司る要職で、摩尼の難儀や戴冠の儀なども、幽楽の指示の元執り行われるのだった。

 そして、この幽楽という人物には、身体的に際立った特徴が一つあった。それは、八百年余りを生きる不死者だということである──。

 幽楽は、閻浮西州よりも更に西、西戎と呼ばれる地域からやって来たらしい。左道によく精通し、森羅万象の理を知る賢人で、才能あふるるが故に禁呪に手を染め、失敗の代償として時を奪われてしまったのだという。その後、永き旅の果てに辿り着いた地が、ここ閻浮東州である。当時、蓬莱皇国はまだ建国されておらず、この地は大小併せて十の国が乱立し、その覇権を巡って激しい戦いが繰り広げられている戦乱の地であった。蓬莱はその一国の弱小国家に過ぎなかったのだが、その若き王覇亂(バラン)と幽楽の邂逅が、戦局に大きな変化を齎す。後に、武王と呼ばれる覇亂と、有能な軍師である幽楽はの活躍により、次々と敵国を撃破、遂には東州統一を果たしたのだ。

 そして、蓬莱は、蓬莱皇国と名を改める。覇亂は初代皇帝に、幽楽はその宰相として皇国の礎を築くのである。その後、覇亂が世を去ると、幽楽は皇帝の遺言に従い王家の諮問機関である元老院を設立、自らもその一員となると共に、政からは一切身を引き、神事の執行者として皇国を縁の下から支える立場となった。

つまり、幽楽という人物は、建国以前より皇国の歴史を具に見てきた生き証人なのである。

 その、幽楽が突如としてこの場に現れた。幽楽が神事以外のことで皇宮を訪れることは、とても珍しいことらしく、居並ぶ高官達からも、驚嘆の声が聞こえてくる。

 亜朱羅自身も、幽楽を見たことは今までに数えるほどしかなく、その突然の登場に、僅かながら動悸が早くなるのを感じていたのだった。

 ──神代幽楽。

 ──八百年を生きる伝説的な人物。

 俄かには信じられないことだった。見た目には三十路余りといったところか。長身痩躯の美丈夫で、色白の肌は筋がうっすら滲むほど青白く、まるで蝋人形を思わせた。これは西戎人の特徴なのか、少し癖のある赤髪は男にしてはかなり長く、肩を過ぎた辺りまで伸びている。また、その双眸は青水晶を思わせる碧眼で、見るものを魅きつけて止まない、魔性の力を備えているかのようであった。

 誰もが皆、この人物を前にすると、その経歴や外見からくる存在感に、思わず気圧されてしまう──。それが、幽楽という人物なのであった。

 それは、兌唎亜とて同じらしく、先程までの威丈高な態度は鳴りを潜め、あからさまに狼狽しているのが分かる。

 だが、ただ一人。白蓮だけが眉ひとつすら動かさず、涼しい顔であったのを亜朱羅は見逃さなかった──。

 幽楽は玉座の間の中央まで歩み寄ると、四方をちらりと一瞥する。

「これはこれは、皆々様。雁首揃えて……ひいふうみい……フム、十九も並べて一体何を語っておいでかな?余りに楽しそうに話されるので、九曜殿にまで聞こえてきてな。思わずここまで来てしまったのだよ。……私も少し語らいたくなってきたわ。どれ、先ほどの話を聞かせてはくれぬかね。」と、抑揚のない落ち付き払った声で喋った。

 そして、亜朱羅父娘の前に近づくと、二人の顔を見比べ「燕雀と鳳雛……いや、この場合は凰雛か。」と、意味深に呟いた。

 兌唎亜が、やや緊張を孕んだ口調で話を切り出す。

「これは……最長老様。まさか、貴方がお越しになられるとは。」

「悪いかね。何か、私に聞かれては困ることでも話しておったのか?」

「い、いえ、そんな、滅相もありません。明日いよいよ難儀に挑む娘をただ労っていただけ……のう。」

 兌唎亜は、亜朱羅に同意を促した。

 亜朱羅は答えない。

 幽楽は鼻を鳴らし、「フン、そういうことにしておくか……ただ、私が言いたいことは一つ。小事に拘り、大局を誤るなということだ。人の上に立つ者は、我欲を捨てなければならん。お主ら親子には、ちとそれが足りないようだからのぅ……まぁ、死に損ないの冷や水と聞き流すか、肝に銘じてくれるかはお主ら次第……特に、亜朱羅。」

 幽楽は亜朱羅に目を流した。

 亜朱羅は、全てを見透かすような幽楽の目に、吸い込まれてしまいそうな気持ちになった。

 幽楽は、諭すような口ぶりで、

「感情に支配されるのではなく、感情を支配するのだ……分かるな、この違いが。感情に支配されれば身を滅ぼすぞ……確かに激情は、時として大きな力を生むであろう。だがな、それは妄執に囚われていることに他ならんのだ。己を支配出来なければ王の道には至らぬぞ。」と厳かに語った。

 亜朱羅はただ、「はい。」と答えるしか出来なかった。


 玉座の間からの帰り道。

 亜朱羅達三人は、皇宮内の庭園を歩いている。黙り込んだまま何やら思案顔の亜朱羅。その背後では、武靁が導伽に叱責されているところである。

「この大馬鹿者が。お前は宮中を血で汚すつもりか?あれ程短慮はよせと申し渡しておったのに、儂の話を聞いておるのか。」

「いや、ですが導伽様。摂政のあの態度は頭にきますよ。私だってあれでも堪えた方ですよ。」

「ですがもよすがもない。だからお前は馬鹿なのだ。挑発に乗れば、正に相手の思う壺だと分からんのか。第一命があったからよいようなものの、彼奴等が本気であったなら、今頃その首は無かったのだぞ。」

「ハハハ、でもこうして生きているではありませんか。」

「ぐうぅ、つくづく情けない奴よ。お前に姫の凛々しきお姿を見せてやりたかったわ。憎っくき摂政と阿婆擦れ女を相手に堂々としたあのお姿……きっと沙羅様もお喜びになられたであろう。」

 導伽と武靁は大伯父と又甥の間柄であった。子供や孫の居ない導伽にとって、武靁は配下というよりも孫に近かったのか、このようなやり取りは日常茶飯事なのだった。いつもなら、ここで亜朱羅が二人を茶化すのが定番であったのだが、今日はそれがない。

 先刻より黙り込んだ侭の亜朱羅に気付き、導伽が話しかけた。

「姫、幽楽殿の仰られたことを気にして居られるのか?」

 すると、亜朱羅は歩みを止め、振り返り答えた。

「爺、幽楽様の仰られることは確かに正しいと思う。でも、誰か、自分の大切な人の為に怒ったり、泣いたりすることが、そんなにいけないことなんだろうか?私は、自分の大切な人や誰かを守る為の王道があってもいいと思うんだ……これは……私の我儘なのかな?」

 導伽は頷きながら聞いていた。

 そして、慈しむような優しい目で自分の考えを述べた。

「幽楽殿はこの蓬莱の歴史の生き証人であり、全ての皇帝の頭に王冠を戴いてきたお方。誰よりも、この国の行く末を案じて居られるのです。……姫を幼き頃よりお世話してきたこの爺が思うに、姫の姫たる所以は心お優しきところ。見返りを求めることなく、誰かの為に何かを為すことは、簡単なようで意外と難しいことなのです。確かに、それは幽楽殿の言うように本来の王道からは外れることなのでしょう。ですが、それで宜しいではありませんか。姫は姫の王道を模索すればよいのです……我々臣下が全力でお支えするので、姫は、姫の信じた道を歩いて下され。」

 亜朱羅は導伽の言葉を聞き終えると、少女らしいはにかみを見せて言った。

「──そうだね。爺の言うとおりだ。私は私だし、他の誰にもなりようがない。私は、自分の信じる道を行くことにするよ。」


 すると、武靁が、「私もお支えしますから忘れないでくださいね。」と戯けたような調子で言った。

「全くお前って奴は……」

 亜朱羅の笑い声が響いたのであった。

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