行間 私の名前は猪口敏未です。
私の名前は猪口敏未。
鳥取県鳥取市の郊外、観光地から離れた薬師湯猪屋を代々経営している猪口家の長女です。
薬師湯猪屋の経営は家族三人の生活と数名の従業員を雇う余裕はあるものの、私が高校や大学に行くには余裕がなく、中学校卒業を期に女将修行をしていました。
高齢のお客様に、『鳥取県で猪口姓なら戦艦武蔵最後の艦長猪口敏平少将の血縁ではないか?』、と言われたことがありますが、戦艦武蔵最後の艦長猪口敏平とは一切関係ありません。
一切関係ないのだけど……
GWに薬師湯猪屋で宿泊された大財閥のお嬢様に猪口敏平海軍中将と勘違い(?)され、私の人生は一八○度変わった。
薬師湯猪屋の経営事情がなければ高校や大学に通わせたかった両親は、お嬢様の提案にあっさりと承諾。いや、利害が一致したと言ったほうが正しく、あれやこれやと流されるがまま実家薬師湯猪屋を離れ、私は山本学園という学び舎に通うことになりました。
連休明けの全校集会は浮ついた気持ちを律するために行われる行事ですが、私は何故か、体育館兼講堂のステージ上にいます。
隣にいるツンツン頭の少年は薬師湯猪屋に宿泊された有賀幸作さん。今の私と似た境遇でお嬢様の婚約者にされたらしく、人生が一八○度変わって戸惑う私の良き理解者でもあります。
そして教壇を前に連休で浮ついた全校生徒の気持ちを律している宝塚風美人が、私の人生を一八○度変えた山本五十三さん。
女将修行は高校や大学を卒業した後からでも遅くなく、高校を通える機会をいただけて感謝しているのですが……私は転入試験を受けてなく、入学金や学費は免除という高待遇、試験を受け入学金や学費を払って通う他生徒に申し訳なく、心苦しい部分があります。
『——お次は、山本五十三生徒会長のご友人、提督艦長猪口敏平海軍中将の転入のご挨拶になります』
スピーカーから鳴り響く間違った名前。
有賀幸作さんには、諦めずに訂正を続けていくしかない、と言われてるから名前の間違いは気にならない。
でも、挨拶をするなんて聞いてない。それも全校集会で全校生徒に対してなんて、転校初日の転校生にはハードルが高すぎる。
私は戸惑うしかなく隣にいる有賀幸作さんに視線を向ける。
「……あ、挨拶なんて、できません」
「よろしくお願いします、の一言も無理?」
「む、無理……です」
「普通はクラスの連中だけだもんな……」
チラッと五十三を見て敏未には無理だと視線に込める。
五十三の返答は単純明快。
「有賀幸作海軍中将の出番だ」
「よし、俺が代わりに挨拶するから隣にいてくれ」
「……はい」
私は教壇に向かう有賀幸作さんの後に続く。
教壇を前にした有賀幸作さんの隣に立つと、全校生徒の視線が私に集まり、鼓動と共に緊張感が上がるのがわかる。
私の代わりに有賀幸作さんの挨拶が始まる。
「転校生の猪口敏未さんです。提督艦長でも戦艦武蔵最後の艦長猪口敏平でもないし、血の繋がりもありません————」
こうして全校集会は無事に終わり、薬師湯猪屋の見習い仲居から山本学園の生徒になった。今日から私は、有賀幸作さんと同じ教室で勉学に勤しみます。




