ポイは涙で救われる。
一話目
四月の終わり
入学式からの一カ月間、俺は一人で下校している。
高校デビューに失敗したわけでなく、癖毛のツンツン頭や目付きの悪さが原因でもない。
それ以前に、堅苦しいブレザー制服を着慣れる前から不良でないことは全校生徒が知っている。
俺が一人下校を余儀なくされたのは、入学式の日にとある事件(?)が起きたのが原因だ。——正確には、入学式が終わった後、中学からの友達と校門を出た時。
友達は間髪入れず裏切り……というよりは【あの女】に気をつかう道を選び。翌日には全校生徒に噂が広まり、下校時にかぎり全校生徒に気を使われている。
しかし、今日はいつもと違う。
校門前、コンビニ前、信号機の押しボタン前、片道二○分の下校ルートに毎日待ち伏せていたあの女が現れない。
どうしたんだ? と物足りない気持ちを口に出しながら、俺が生まれた年に父親が三十年ローンで建てた苦労の結晶に到着。玄関を開けて靴を脱ぎ、階段を上がって部屋に向かう。
遠足は家に帰るまでが遠足と言うように、下校もやはり家に付くまでが下校。物足りない気持ちはあるが、これが日常なのだとドアノブに手を伸ばす。
俺の部屋は六畳一間、右隅に小学生の頃から使っている机、左隅には敷きっぱなしの布団。家族団欒を主におく我が家ではテレビやゲームなどの娯楽は全て茶の間、思春期男子らしくない殺風景な部屋だ。
その勉強と寝るだけの部屋が今日は一変、どうやら俺の下校は家に帰るまでじゃなく、部屋に入るまでだったらしい。
「らっしゃぁい」
ふてぶてしさ全開のお出迎え。
目の前では通常営業だと言わんばかりに、本格的な縁日仕様の金魚掬い屋が開店している。
この女店主が俺の一人下校を生んだ現況。
顔立ちはつり目で気の強そうな宝塚風お嬢様。艶やかな黒髪ロングヘアと色白の肌が美人メーターを更に上げている……というのは学園でのこの女。
今は、背中に金魚と刺繍が入ったハッピを羽織り、Tシャツの上に腹巻を巻いて、我が家の如く寝そべるオヤジっぷり。どの角度から見ても美人お嬢様の要素なし。
そして、この不法侵入者は俺が通う学園の、生徒会長だ。
「あんたマジですか?」
毎度のことだが敬語を保てる自分を褒めたい。
勘違いしないで欲しい、この女はこんなオヤジではなかった。
はじめの一週間は気持ちがいいほど威勢が良く。二週間目はお嬢様スキル全開におしとやかだった。可愛いところもある人だな、と思った矢先の三週間目からはこのとおり、本性丸出しにふてぶてしい。
「三○○円になりやぁす」
右手には金魚を掬うための薄紙を貼った小道具通称ポイを三本、左手を前に出して三○○円を催促する。
「やりません」
間髪入れずお断り。毎度のやり取りに飽きないのかこの人は……と口に出したいが我慢する。
「有賀幸作海軍中将。貴様は私の金魚が気にくわないのか⁉︎」
「有賀幸作です。何回言ったら覚えるんすか? それに海軍中将でなく、山本学園高等部の一年です」
このやり取りが俺とこの女の一カ月間の日課だ。
この女は極度の戦時中マニア、それも戦艦が大好物。そして俺の名前が有賀幸作、日本人なら一度は耳にした事ある『戦艦大和』最後の艦長と同じ漢字なのだ。
ただ同じ漢字というだけで血筋は代々平民。何度も説明したが毎日この調子だ。
「貴様は金魚を掬わないだけでなく、上官である私に逆ら! ……逆らうか!」
口の中で舌を泳がせる。
「また噛みましたね」
今日は噛むの早かったですね、というのは内に秘める。
「噛んでない。極めて順調な航海だ」
涙目になる。更に決めの部分で噛んだ事が恥ずかしく目を合わせない。
「無理に言葉を変えない方がいいですよ。会長はお嬢様なんですから」
この女はただの生徒会長ではない。あらゆる場所で金魚掬い屋の出店を許された大財閥のお嬢様。
「お嬢様ではない。海軍大将山本五十六と呼べ」
口先を尖らせ、口内では舌を泳がせる。
さすがお嬢様貫禄のあるお名前ですね。と拍手をしたいところだが、この女の名前は山本五十六ではない。どんな大財閥でもお金の力だけでは海軍大将にはなれない。
「山本五十三生徒会長。山本五十六はあなたの祖父、山本学園の理事長です」
このやり取りも何度かあった。建前上バカにすることはできず、毎度同じく訂正している。
「祖父は死んだ。今日から私が山本五十六だ」
目を合わせないで訂正に訂正を返す。
「…………」
この返答は初めてだな……と思いながら下校途中を思い出す。
山本五十六理事長は運転手やボディーガード付きの超高級車に乗っていた。
(あの豪傑ヒゲマッチョが死んだ? 珍しいな、同情で渡される金は商売人として恥だろ……そもそも死んでないし)
呆れた。というのが本音だが会話を続ける。
「下校途中にボディガード付きの高級車に乗ってましたよ」
個人的には五十三の営業魂を尊敬していた、が明らかに分かる嘘での客引きは相手に出来ない。背中を向けてベットの上で横になる。
「うむ。つい先ほど持病が悪化して車内で死んだようだ。そして私の親はすでに死んでいる。従って、私が山本五十六だ。これで貴様と対等になった。金魚を……掬え」
背を向ける幸作にポイを三本向ける。
「…………」
俺は少し考えた。
一ヶ月間、五十三という名前から五十六だと強がる事は何度もあった。だが、祖父の山本五十六理事長が死んだ、とは一カ月間で一度も言わなかった。違和感しかない発言だ。
それに、最後の金魚を掬え、と言った口調は弱々しく、俺には『救え』と聞こえた。
「会長?」
上半身を起こしながら振り向く。
そこには右手に握る三本のポイと左手を俺に向け、口をへの字にしながら涙を浮かべて強がった……お嬢様の山本五十三がいた。
「三○○円です。金魚を掬ってください」
声が震えている。
「会長……、……」
続く言葉が出ない。
五十三の頬を伝う大粒の涙は語っているのだ。
金魚は祖父、掬ってくれは救ってくれ……『祖父を救ってくれ』と。
ポケットの中にある携帯情報端末が、場を壊すように着信音を鳴らす。
「……すみません」
俺は五十三の涙から逃げるように、携帯情報端末を出す。
画面を見ると山本学園から生徒への通達メール。
その内容は、山本学園理事長山本五十六の葬儀案内。
目を見開いたのは一瞬、戸惑いよりも怒りがこみ上げて奥歯を噛み締めた。
この一カ月間、お嬢様のお遊びと思いながら付き合ってきた。それなりに楽しんでいた自分もいた。それが俺の中で一気に壊れ、この女が目の前にいることに怒りがこみ上げた。
「な、なにしてんすか……」
イラだちが口調に出る。
「…………」
返答は無い。
「こんな所にいる場合じゃないだろ!」
怒りが先立ち敬語を忘れる。
「…………」
返答は無い。
「あんた何考え……」
「金魚を……掬ってくれ。三○○円だ」
か細い声。
瞬きする度に、大粒の涙が頬を流れている。
「…………」
俺が言葉を止められたのはか細い声でも流れる涙でもない。口をへの字にして強がるお嬢様山本五十三に言葉を失ったのだ。
ポケットから財布を出し、百円玉を三枚取り出す。
頭が冷えてくると言ってやりたい事が、腐るほど浮かんでくる。だが、何を言ったところで断固として祖父の所に行かないのは目に見えてる。
涙を浮かべるお嬢様のために、俺が有賀幸作としてできる事は一つ。
一カ月間拒んできた左手に百円玉を三枚のせ、右手にあるポイを三本取り、金魚掬いをやる事だけだ。
「終わったら理事長の所に行って下さいよ」
五十三の出すプラスチックのお椀を受け取る。
「うむ。貴様も付いてきてくれるか?」
言葉は固いが口調は弱々しい。
「……俺なんかが行ってもいんすか?」
泳ぎ回る金魚の魚群にポイを入れる。
「うむ。有賀幸作が来たらお祖父様も喜ぶ」
ポイの薄紙が溶けるのを見て笑顔を作る。
五十三の笑顔に、気のきいたご冥福を言えるほど、俺は会話能力に長けてない。ただの会話として返答する。
「理事長も戦時中マニアですか……」
「祖父は有賀幸作の大ファンだ。貴様と酒を交わす日を楽しみにしていた」
「酒は未成年ですから飲めません」




