ハッピーエンド
人生は一つの物語だと、誰かが言った。
一つの人生の中には、様々な物語があると、別の誰かが言った。
「ねえ、どうしてみんなハッピーエンドを好むのかな。ああ、この場合、みんなってのは『多くの人』という意味ね」
電車に揺られるある日の午後、隣に座った彼女が言う。
制服をきっちりと着こなし、栗色の髪をポニーテールに結っている。線の細い体に、白い肌、折れそうなほど細い指。
「さあな…。大方、悲しい結末は嫌とか、そういうことだろう」
僕はさほど考えずに答えた。
「『悲しい結末』ねえ…なるほど、一理あると思うわ。登場人物に感情移入して世界にのめりこむ…その結末が悲劇だったら、確かに辛いわ。でもシェークスピアなんかどう?私は『リア王』しかまだ読んでいないけど、あの結末は良かったと思うわ」
「どうして?」
「あそこで三番目の姫が生きていたら、たしかにほっとするけど…『悲劇』によって、芸術性が生まれていると思うの」
「ふうん…」
窓の外を緑が流れていった。若葉の季節だ。
この車両に、僕たち以外は誰もいない。
「僕は、ハッピーエンドはあまり好きじゃないかな…」
「どうして?」
今度は彼女が疑問をぶつけてきた。
「なんだかね…悲しくなるんだよ」
「ふうん…」
チクリと、胸を刺すような痛みが走った。
「幸せな結末、それは良かったと思う。だけど、もしそうなってなかったらって、余計なことまで考えてしまうんだ」
「そっか…」
彼女はなんだか悲しげだった。
「私ね…ハッピーエンド、大好きだよ…」
どうして、とは聞けなかった。
聞かなくても、彼女は答えてくれた。
「私は本が好き。本が見せてくれる世界が好き。私はその世界にのめり込んで、好きなだけ堪能するわ。それでね…登場人物に、自分を重ねるんだ。そして、夢を見るんだ。たとえそれが現実じゃなくても、自分が幸せになる夢を」
「そうだな、お前はそうだった」
「悲劇は嫌いじゃないよ、普通に読める。でも、読んだ後に寂しくなっちゃうなあ…」
「…」
「どうせなら、笑っていたいよね。『お約束』でも何でもいいよ、私は笑顔でいたかったなあ」
そう呟く彼女の顔は、随分と寂しそうに見えた。
電車が減速する。次の駅まで、あと少しだ。
「何がいい?」
僕は尋ねた。
「何がって、何が?」
「次に読みたい本」
「そうだね…うん、バリバリ王道のハッピーエンドがいいな。読んだ人が、笑顔になれるような本」
「分かった。持ってきてやるよ」
「ありがと」
弾むような声だった。
電車はますます減速し、そして止まった。
ドアが開く音がした。
「じゃ、私、ここで降りるから。またね」
「ああ、またな」
制服のスカートが揺れる。
彼女は僕にキスをして、電車を降りた。
彼女は一度も僕を振り向かなかった。僕も彼女の背を追い続けなかった。
ドアが閉まった。
電車が動き出す。
俺は新品のスーツから手帖を取り出し、挟んでいた写真を取り出した。
高校の時に撮った、修学旅行の写真。中心に彼女がいて、その周りに俺や友人が立っていた。
俺は手帖を戻すと、この一時の結末はハッピーエンドだったのかどうかを考え始めた。
ハッピーエンドとは何か?考え考え、書きました。
何かハッピーエンドに対する意見などございましたら、ぜひお知らせください。
自分一人の、独りよがりな考えを持ち続けることのなるのは嫌ですので。