騎士の焦燥
高飛車な瞳。真珠の肌。薔薇色の頬。
挑発的な笑みと、時折見せるはにかんだ表情。
そして、俺を呼ぶ高い声。
幼い頃からずっと見てきた。守ってきた。誰にも傷つけさせなんかしなかった。彼女を守るためなら、何でもやると誓った。
†騎士の焦燥†
「チェリー様!」
ブリーズはその重い扉を難なく押し開き、愛しい姫君の名前を呼んだ。そして彼の視界に映ったものは、想定外に
「いひゃい、いひゃい! はなひなひゃいよ!」
「あ、ごめん。つい」
頬を引っ張るリーフと、それに涙声になりながらも少年の手を振り払うチェリー。周りに花が見えてもおかしくないくらい和やかな光景に、ブリーズは膝をつきたくなった。もちろん、実際は気合いで止めたが。
「まったく、なんなのよ。……あら、ブリーズじゃない。どうしたの?」
彼女のなんでもないといった様子は、彼を安堵させると同時に恨めしい気持ちにもさせた。
自分の早とちりに気まずくなったブリーズは、目をそらして回答をにごす。しかし悲しいことに、チェリーは引き下がってくれない。
「だって、なんか変な顔してるわよ」
その言葉に、チェリーの隣に座っているリーフがくすくすと笑う。睨みをきかせると、彼は明後日の方向を見て口笛を吹くというベタな行動をした。
――変な顔……か。
確かに、自分はきっと情けない表情をしているだろう。そのくらいブリーズにもわかる。
第一、やけに仲の良い2人を見ているだけでイライラしている自分を理解していた。
彼らが同じ寝台に座っているだけで、楽しげに話しているだけで、触れ合っているだけで、どうしようもないくらい複雑な心境になっていることに彼は戸惑う。
否、きっと心の奥では気づいているのだ。それがなんという感情かを。しかしそれを認めてしまうことをブリーズの生真面目さが拒絶していた。何故なら、もし認めてしまえば歯止めがきかなくなる。それを彼は恐れていた。
――本当に、情けないな俺は。
ため息をつくブリーズに、チェリーは気づかない。鋭いようで、彼女は時々ものすごく鈍感だ。
「あ、そうだブリーズ。私の婚約者って、リーフだったのよ。本当にびっくりよね。意外とかのレベルじゃないわ」
くすくすと楽しそうに笑うチェリーに、ブリーズは返事ともため息ともとれる言葉をこぼす。昨日のあの憂鬱さはどこにいったのだと小一時間問い詰めたい程、今の彼女は明るい。
しかしその笑みを見て安心している自分がいることに、ブリーズはいったい己はどれだけ姫君に甘く、また愛しいのだと苦笑した。
ただその愛しいという感情が、主を慕う愛なのか、はたまた一人の女性として想う恋情かは、彼はまだ気付かない。
ブリーズはチェリーからそっと視線をはずし、彼女の隣に腰掛けている少年を見る。改めて、町中で見たときとは別人だと思った。
あの時は服装も今よりずっとみすぼらしかったし、くるくると変わる表情は年相応でもあったのに。それが今はどうだ。気品の漂う仕草に、大人びた瞳。いったい、どちらが本当の彼であろう。
そんな取り留めのないことを考えていた時、リーフがさてと、と言って伸びをした。
「このままじゃ俺と婚約者になっちゃうけど、どうする?」
「えー、リーフが婚約者ー?」
「お前ホント失礼だな!」
あからさまに嫌な顔をするチェリーに、リーフはいきり立って、それを彼女は無邪気に笑う。町中で見た時と同様、仲睦まじい姿に、ブリーズは拳を握った。
彼女の隣はずっと、自分のものだと思いこんでいた。……そんなこと、有り得るわけないのに。
――無自覚に、自惚れていたな。
もう昔のように、自分にいつも甘えて寄り添っていた幼い少女ではない。いつさなぎの殻を抜け出し、その美しい羽をはばたかせてもおかしくはないのだ。たとえそれが今でも、嘆いてはならない。
「っていうか、リーフはどうなのよ。私と婚約しろって言われてできる? 今まで町でしか会ったことないし、ずっと友達と思ってたのよ?」
「まぁ確かに、チェリーが婚約者、と言われてもピンとこないけどさ」
そう答える少年に、チェリーはほらみろといわんばかりに胸を張る。
「でも、俺としてはなってもらわないと困るっていうか」
「……どうしてです」
リーフの言葉にチェリーが叫ぶより早く、ブリーズの低い声が遮った。二人が同時に振り向く。
思わず口をはさんでしまったことに舌打ちしたい気分になったブリーズだが、それよりもリーフの答えが気になった。リーフはブリーズとチェリーの間を何度か視線を泳がした後、語弊があったな、と言う。
「なって欲しいのには変わりないんだけど、実際はふりをして欲しい、かな」
「はぁぁぁ!?」
予想外の言葉に、今度こそチェリーは叫んだ。
「なによそれ! なぁんで私がリーフの婚約者のふりなんかしなきゃいけないのよ!?」
「いや、理由は言えないけど……」
「もっとふざけんなぁ!」
「いててて! ちょっ、姫様がこんな暴力ふっていいのかよ!」
「ええい、お黙り!」
「酷っ」
再び言い争いを始める彼らに、ブリーズはため息をつきたくなった。いや、実際に小さく吐き出した。
彼は少年に襲いかかっている我が姫君の肩をひき、落ち着いて下さい、となだめる。その言葉にチェリーはだって、と不満げな表情をし、
「こんなの納得出来ないじゃない! ブリーズだってそう思うでしょ!?」
「それはまぁ……そうですが……」
煮え切らない護衛の答えに、チェリーは眉をひそめた。そんな様子を見て、フォローを入れようとリーフが彼女の服の裾を軽く引っ張る。
「理由はまだ言えないけど、いつかちゃんと言うし、それに本気で婚約はしねぇから」
「当たり前よ! 第一それでも私はいや!」
「……本当に高飛車だな、チェリーらしいけど。まぁ、確かにいきなり婚約者のふりしろは無理あるよな」
腕を振り払われひとり頷く少年に、チェリーは分かってるじゃない、とでも言いたげに若草色の瞳を鋭く光らせ上目に睨む。
仮にも相手は公爵子息だというのになんと無礼な行為だろう。いや、むしろそれを考えるば一国の姫相手に馴れ馴れしく触れるリーフの方がずっと無礼かもしれない。
だがそれはあくまで2人が他人だった場合だ。彼らは互いに友人だと思っているし、現在進行形で婚約者にまでなろうとしている。もちろん、本人の希望ではないが。
「この頼みは俺のエゴだ。でもよく考えてみろよ、チェリーにとっても悪い話じゃないだろ?」
「……どういうこと?」
「まだ婚約したくないんだろ? ふりとはいえ俺と婚約者になれば、周りから何も言われないじゃん」
ニカッと年相応に笑うリーフに、チェリーは顎に手をそえ考え込む姿勢に入る。
――まさか承諾するのか……?
絶対に断ると考えていたブリーズは、彼女を見て内心驚いた。断ってほしい、と思う。第一、こんな戯れ事許されない。止めるべきだ。
そう結論し、言葉を発しようとした時
「よし、決めたわ!」
チェリーが声高らかに言い握り拳をつくった。
「あんたの企み、のってあげるわ!」
「いや企みって」
ブリーズは目眩がした。
「なっ…にを馬鹿げたことを仰っているのですか姫君!」
「止めないでよ、もう決めたわ」
「なりませんそんなこと!」
「どうしてよ。あ、もしかして妬いてる?」
「チェリー様!」
ブリーズが声を荒げれば、チェリーは分かってるわよ、と顔をしかめる。
なにがどう分かっているのだろう。いや、チェリーも我が道を突っ走っているとはいえ、姫の自覚はある。それが良いことか悪いことかくらいは理解しているだろう。
「大丈夫、陛下と父上にはまだ分からないから何度か会いたい、って伝えるからさ」
二人を宥めるようにリーフが笑い、ベッドから立ち上がった。
「止めたい気持ちは分かりますけど、このことは他言無用でお願いしますよ、ブリーズ殿」
柔らかな声色と利発な笑みを浮かべ、少年は人差し指をたて口唇にあてがう。先程とは対照的なかしこまった敬語にブリーズは眉間にしわを寄せた。
「無茶なことを」
「お父様にバラしちゃ駄目よブリーズ」
「チェリー様、本気で言ってるのですか。よく考えてみて下さい。ふりをして、いつ本当のことを言うのです? きっと陛下とエア公爵は喜んで式の準備をしますよ」
彼のもっともな指摘にチェリーは言葉に詰まったが、リーフが横から口をはさむ。
「だからまだ陛下達には言わないって。今日はただの顔合わせなんだから、仲良く話しましたって報告すればいいんだよ」
「そ、そうよね。それにそうすれば、これから町以外でもリーフとちょくちょく会えるし」
そう言ってチェリーはブリーズの腕を叩くが、彼の表情は厳しいまま何も言わない。
チェリーはため息をつき、もう何を言っても無駄と解釈したのだろうか、ブリーズから離れ部屋の外へと繋がる扉に手をかける。リーフもそれに続くように彼女の後を追う。
「……公爵子息、貴方はなぜ町にいたのですか?」
部屋の外へと出ようとする少年に問うブリーズ。その質問に彼は足を止め振り返り、切なげな笑みを浮かべた。
「会いたい人が、いるからね」
◇
彼等はその後王と公爵に会い、様子を聞かれた。それにチェリーが答えるより早くリーフが二人に爽やかな笑顔を向ける。
「はい、とても素敵な姫君で大変貴重な時間を過ごせました。婚約の方も前向きに考えたいですね。姫君に支障がなければ、私はこれからも何度かお会いしたいと思います」
王と公爵が嬉しそうに笑う横で、チェリーとブリーズが少年を見て誰だよと心の中でツッコミをいれたのは、言うまでもないだろう。