騎士の葛藤
ナチュラ王国───。
面積も狭く、お世辞にも発展してるとは言えない。それでもこの国は平和で、豊かで、幸せに溢れている。
ブリーズは窓から見える城下町を見て、そう思った。聞こえてきそうな笑い声。太陽のような笑顔。愛情の込められた言葉。波乱からは程遠く、戦争などもうずっと前に終わってから一度もない。それはとても、穏やかな国。
「ブリーズ様! 姫君がまたいなくなりました!」
………本当に平和なことだ。
†騎士の葛藤†
もう何度目になるかわからない姫君の脱走。退屈嫌いのチェリー姫の事だ、刺激を求めて町へと行くのだろう。
仕方ないとはブリーズも思っていた。限られた自由時間、敬語を使う周りの人間、規則的な生活、拒否の許されないレッスン、決められた人生。あまりに閉塞的だ。
例えチェリー姫でなくとも、嫌になるだろう。
――ビオレ様はよく耐えてたな。
我が君主を思い、ブリーズは感心のため息をついた。王子の身分上、毎日が勉学。婚姻も隣国の姫と政略結婚された。それでも彼は、何ひとつ不満をこぼさない。
人に優しく自分に厳しく。
尊い方だ。ブリーズはそんな王子を尊敬してる。けれど、それと同時に心配もしていた。自分を抑えすぎていないだろうか、と。
――その点では、チェリー様は自分に正直だな。
好きだから町へ行く。嫌だからレッスンを抜け出す。そして結婚も……。
「どうにかしてあげたいが、俺の立場じゃ無理だな…」
自嘲気味に呟いた言葉に返事はない。ブリーズも貴族とは言え、王家とは天と地の差だ。その上、チェリー姫の専属護衛。
――愛しい、とは思う。その高飛車な態度も、時々見せる脆さも。
幼い頃から誰よりも側にいた。情がわかない訳ない。その気持ちが、敬愛なのか恋愛なのかはブリーズにとって定かではないが。
「また、探さなきゃな……」
そう漏らした彼は、口調こそ困り果てていたものだけど、表情は穏やかな笑みだった。
◇
「やっほー、リーフ! 久しぶりっ」
町中の広場、ふんわりとしたエプロンドレスを身に纏った少女が、前方にいる少年に手を振った。
声をかけられた少年は、不機嫌そのものの表情で振り向く。
「久しぶり……だと?」
「あ、あら。素敵なお顔……」
たじろぎながら、チェリーは一歩後退った。それを追うようにリーフはチェリーへと踏み出す。
嫌な予感がしたチェリーは、本能に従い回れ右をした。そのまま持ち前の運動神経で逃げ去ろうとしたが、
「逃げんな!」
「ひゃっ!」
首ねっこを掴まれ、手足をいくら動かしても進めない。
「離しなさいよ! レディに向かって何するの!」
そう叫びチェリーはリーフの鳩尾に肘鉄を喰らわす。ピンポイントでやられたリーフは、ぐえっと蛙が潰れたような声を出し、その場に蹲った。
あまりの苦痛に鳩尾を押さえ、リーフは涙目で彼女を睨む。
「お前のどこがレディなんだよ、この馬鹿力……」
「馬鹿力とは失礼ねっ、伊達に護身術を習ってないわ」
「はぁ? お前護身術なんか習ってるわけ?」
いまだに涙の糸を引きつつ、仁王立ちするチェリーにリーフは尋ねた。
その瞬間、チェリーはしまったと後悔する。
チェリーは姫という身分上、ダンスやマナーばかりではなく護身術の稽古もしていた。だけど、ただでさえ姫ということは秘密なわけで……。
「ま、まままぁね! その、知り合いにっていうか、なんていうか」
上手いとは言えない彼女の言い訳に、リーフはふーん?と首を傾げる。
深くはつっこまない。
それがいつの間にかお互いの暗黙のルールになっていた。
その証拠に、チェリーもリーフのことは何も知らない。どこに住んでるかも、何をしてるかも。町で出会う友人、仲こそは良いが、所詮そんな間柄である。
余計な詮索も、干渉もリーフはしない。チェリーは彼のそんなところも好きだった。
「だいたいチェリーは、身勝手だ。前は大変だったんだぞ? 服も靴もとられて、半裸状態。表道歩けなかったんだからな」
痛みがひいたのか、目の高さを同じにしてリーフは多少荒い口調で言う。
チェリーはそれに、あら?とこぼした。
「だから代わりに私のドレスあげたじゃない」
「あんなヒラヒラしたやつ着れるか!」
「照れ屋ねぇ」
「そういう問題!?」
いちいち叫ぶリーフに、チェリーは眉をしかめ、肩をすぼめる。そして、ため息混じりにこう言った。
「じゃ、あのドレス売っていいよ。けっこう高い値で売れると思うんだけど」
「そ、そんな事できるか!」
「……え?」
意外な返答に、チェリーは目を見開く。リーフは、はっとして慌てて口許をおさえた。よく見ると、顔も赤い。
「それってどういう………」
そう聞き終えるより早く、チェリーの耳に聞き覚えのある声が届いた。
今、最も聞こえては困る声。
「ど、どうしよう!」
紅潮したリーフとは対照的に、蒼白となるチェリー。慌てふためく彼女に、リーフは意味が分からないと首を傾げる。
「何がどうしようなんだ?」
「つまりどうしよう! とりあえずどうしよう! だからどうしようー!」
「落ち着けよ……」
混乱状態のチェリーを諭そうとするが、まったく聞いていない。
そうこうするうちに、声の者は現れた。チェリーにとって、愛しいけど、会いたくない人物。
「か、かくまって」
小声でそう言い、承諾を得る前にチェリーはリーフの後ろに隠れた。リーフはマントをしているので、丁度前から彼女の姿は見えない。
「そこの少年」
怪訝な顔つきをしてたリーフに声をかけたのは、この国の騎士であり、身分の高い貴族の青年。
「ブリーズ=レイク……」
リーフは思わずそうこぼした。狭い路地、ブリーズは彼に近付く。
「…お前、どこかで会ったことないか……?」
「! な、ないない! 初対面だよっ」
唐突に聞かれ、千切れそうな勢いでリーフは首を振った。ブリーズはそうか、と呟きながらも、ふにおちない表情をしている。
――な、なんの話だろう。
後ろに隠れた彼女は、息をひそめて自分の護衛の姿をうかがった。眉間に皺を寄せ、難しい顔をしている。
――……でもそれはいつもの事か。
むしろ彼が笑っているほうが珍しいくらい。チェリーは大して気にしないことにした。
「で、俺に何の用だ?」
身を乗り出そうとするチェリーを肘でつつきながら、リーフはブリーズに尋ねる。
それにブリーズは咳払いをひとつして、逆に聞き返した。
「女性を見なかったか? お前より2つか3つくらい年上だ。綺麗なブロンドで、瞳は翡翠色。身長はお前と大して変わらない」
――うわ、思いっきり私のことじゃない。
チェリーは隠れて良かったと胸を撫で下ろす。
そして、急かすようにリーフの背中をつついた。彼はそれに小声で分かったと言い、
「さぁ。チェリーなんて娘、見てないな」
そう答える。
「……そうか。引き留めて悪かった」
ブリーズはそう言って、踵を返した。チェリーは彼の姿が見えなくなるのを確認して、盛大に息を吐く。
そしてリーフの背中に身体をあずけ謝礼した。
「ありがとね、リーフ」
「今度なんか奢れよ」
「お安いごよう♪」
二人はにっと笑い、お互いの手をパアンッと弾いた。
◇
表道を歩きながら、ブリーズは考え事をしていた。騎士であり貴族でもある彼は町中では目立ち、すれちがう人々はみんな振り返る。
――あの少年、どこかで見た気がするんだが……。俺の思い違いか?
未だに引っ掛かるリーフの存在。しかし見た気がすると言っても、身なりは裕福そうには感じなかったし、実際話をしてみてもピンとこない。
――姫君の事も知らないと言っていたし。
そう思った瞬間、ブリーズは何か違和感を感じた。そう、先程のリーフの言葉。
『チェリーなんて娘、見てないな』
ブリーズはチェリーの名前を教えただろうか?
否、外見については言ったが、名前までは教えてない。再び生まれる疑問。
「…………」
ブリーズはUターンし、路地へと走った。
「少年!」
「うわっ! な、なんだよさっきの騎士か。まだ俺になにかあんの?」
突然の不意打ちに、面食らうリーフ。ブリーズはものすごい形相でリーフに歩みよった。
「チェリー様はどこだ」
そう言って。
その言葉にリーフは跳ねる心臓を抑え、努めて冷静に答えた。
「だ、だから知らないって」
「嘘をつくな。現にお前はさっき──」
チェリー様の名前を言っただろう?
そのブリーズの言葉に、リーフは首を傾げる。表情はどういう意味だ?と尋ねていた。
ブリーズはそんな彼の様子を見て、呆れたように小さくため息をこぼす。リーフはムッとし、ブリーズを下から睨んだ。
「…いいか。俺はチェリー様の名前なんて、お前に教えていない。なのにお前は、チェリーなんて娘見てない、こう言ったな」
そう説明すれば、リーフはしまったという顔をする。ブリーズはその表情を見逃さなかった。
追い討ちをかけるように、リーフに詰め寄ろうとしたそのとき
「リーフ、お菓子買ってきてあげたわよ!」
飽きるくらい聞き覚えのある声が、ブリーズの耳に届いた。ゆっくり振り返れば、そこには町娘の服に身を包んだ姫君の姿が。
「…チェリー様…」
「え? ──ゲッ!」
ブリーズと目が合った瞬間、とてもじゃないが淑女とは言えない奇声を発し、彼女は即効回れ右をする。
「姫君っ!」
予想してたと言わんばかりに、ブリーズは主の後ろ姿を追った。
「……姫君?」
呆然と立ちすくむリーフが小さくこぼす。
疑惑の種、ここにひとつ。
◇
その頃ふたりは、全力疾走中であった。
「止まり下さいチェリー様!」
「嫌よっ。止まったら捕まるじゃない!」
「……分かりました。怒らないし、連れ戻したりもしません」
その言葉に、チェリーの速度が僅かに落ちる。それにブリーズはしめたと言わんばかりに距離をぐっと縮めた。
「本当? 本当ね? 嘘ついたら承知しないわよ!」
「俺が貴女に嘘つくはずないでしょう?」
「……っ」
彼女の頬が朱を帯びる。惚れた者からそんな台詞を言われたら、どんな人でも照れるだろう。チェリーも例外ではなかった。
――信じるわよ。
彼女が足を止める。疲れたのか、息が切れ汗も滲んでいた。
「……捕まえた」
ブリーズはチェリーの肩を優しく掴む。ゆっくりと振り返る愛しき姫君。
「ブリー……」
「城に戻りましょう」
「!? だってさっき……!」
チェリーが全て言い切る前に、ブリーズは彼女を掬った。言わば、横抱き。お姫様だっこである。
「なっ」
驚くチェリーを気にせず、彼は当たり前のように町中を歩いて。
「何するの!」
「城へ戻ります」
そこでやっと騙されたと気付いたチェリーは、ブリーズの腕の中で暴れながらこう叫んだ。
「う、裏切り者ー!!」
愛しい我が主。
今までもこれからも。
守るべき存在。
本当はこのまま、連れ去りたい。
だけどそんな行為、許されないから。
姫と護衛の関係はそのままで。
俺は貴女に従いたい。
でも逆らいたい。
貴女に幸せになってほしい。
貴女を幸せにしたい。
甘く切ない葛藤は、案外心地好いんだ───。